財務省決裁文書改ざんが起訴できない“本当の理由”

郷原 信郎

森友学園への国有地売却をめぐる背任事件と決裁文書改ざん事件で、検察が、佐川宣寿前国税庁長官ら財務省関係者全員を不起訴にしたことに対して、野党やマスコミから、厳しい批判が行われている。国有地売却という国民の重大な利害に関わる行政行為についての決裁文書が300か所以上にもわたって改ざんされていたにもかかわらず、刑事責任が問えないという結論に国民の多くが納得できないのは当然であろう。

私は、決裁文書改ざん問題が明らかになって以降、国会での審議あるいは国政調査権の行使等に関して重要な事実を隠蔽したということであり、行政権の行使について内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制・議会制民主主義の根幹を揺るがしかねない許すべからざる行為であるものの、今回の「書き換え」は基本的に「一部記述の削除」に過ぎず、一部の文言や交渉経緯等が削除されたことによって、国有地売却に関する決裁文書が、事実に反する内容の文書になったと認められなければ「虚偽公文書の作成」とは言えないとの理由で、虚偽公文書作成罪で起訴される可能性は高くないと言ってきた。

検察も、最初から、国の関係者を起訴しない方針だったはずだ。それでも告発を受理し、任意聴取を続けてきたのは、一方の当事者の籠池泰典被告ら森友学園側だけを対象にすると「国策捜査」との批判が巻き起こると予想したからだろう。

今回、検察が不起訴理由としているのは、背任罪については、幹部や職員に自らの利益を図ったり国に損害を与えたりする意図は認められないこと、虚偽公文書作成罪については、「虚偽の文書を作成したとまでは言えない」と判断したというものだ。そのような理由で不起訴にするのであれば、背任については1年以上、決裁文書改ざんについても3ヶ月もかけて捜査を続ける必要があったとは思えない。

いずれにせよ、検察がこれまでかけてきた捜査期間の大半は、国民向けの「ポーズ」だったと言わざるを得ない。

虚偽公文書作成罪での起訴は「検察の判断」の問題

私が、「虚偽公文書作成罪での起訴の可能性が低い」としてきたのは、同罪に関する法解釈の問題というより、同罪に関する従来の刑事実務の観点からだ。「虚偽の文書」という文言を、「少しでも事実と異なる記載がある文書はすべて虚偽の文書に当たる」とすると、公務員が作成した文書の多くについて虚偽公文書作成罪が成立することになりかねない。そこで、「虚偽の文書」については、「その文書作成の目的に照らして、本質的な部分、重要な部分について虚偽が記載された場合に限られる」という限定を加えるべきという考え方になる。

しかし、そのような消極論は、「虚偽の文書」という文言解釈から当然出てくるものではなく、理論上の根拠や判例上の根拠があるわけではない。一方で、今回のような決裁文書のような、官公庁の内部文書に関する虚偽公文書作成罪の成否に関する基準を示す判例もない。(昭和33年9月5日最高裁判所判決を根拠に、虚偽公文書作成が成立すると主張する人もいるが(【従たる内容の変更でも犯罪ですよ、菅官房長官】など)、同判例は、「村農地委員会議事録」について、「本件の工場跡の買収につきこれを宅地とするか耕地とするかを定める重要点であり、その除去により恰も現実にされた決議と異(な)る事項が決議されたかのように記載することは公文書の無形偽造であるといわなければならない。」として、「未だ所定の署名者の署名押印を終つていない場合においても、既に会長の押印を終つて一般の閲覧に供せられるようになつた」場合に、その一部の除去について虚偽公文書作成罪が成立するとしたもので、一般の閲覧に供される農地委員会議事録において実際の内容とは異なる議決がされたように記載された事案であって、決裁文書の改ざんについて虚偽公文書作成が成立することの根拠となるものではない。)

そういう意味では、今回の事件についての虚偽公文書作成罪の成否は、検察の判断如何にかかっていると言ってよい。決裁文書を改ざんする重大な行為が虚偽公文書作成罪で処罰されないのはおかしい、納得できない、という世の中の常識や圧倒的な世論を受けて、もし、検察が、虚偽公文書作成で起訴した場合、検察の判断を否定する理由はなく、裁判所はほぼ間違いなく有罪判決を出すであろう。

しかし、私は、検察が今回の事件を「起訴しない」と確信していた。それは、検察が、自らの「虚偽公文書作成罪」の問題に関して過去に行ってきたことと比較して、「組織的な虚偽公文書作成」が疑われる事件を起訴することは凡そあり得ないと考えられたからだ。

陸山会事件の虚偽捜査報告書作成での「虚偽公文書作成罪」の不起訴

東京地検特捜部の小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部所属の検事が作成し、検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事(当時)、佐久間達哉特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

その事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙してまで「起訴すべき」との議決に誘導した「前代未聞の事件」であった。検察審査会に「強制起訴」された小沢氏に対して東京地裁が2012年4月26日に言い渡したのは無罪判決であったが、その中でも、「検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである」「本件の審理経過等に照らせば、本件においては事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で対応がなされることが相当であるというべきである」と、検察を厳しく批判し、調査の必要性に言及した。

この東京地裁判決の批判を受けて、最高検による調査が行われ、その調査結果と田代検事などの不起訴の理由についての最高検報告書が取りまとめられた。

この虚偽捜査報告書の事件との比較からも、今回の決裁文書改ざん事件での虚偽公文書作成罪による起訴はあり得なかったと言える。

捜査報告書が実際の供述と「実質的に相反しない」という論理の破綻

最高検の報告書で、田代検事を虚偽公文書作成罪の「不起訴」の理由とされたのは、

①田代検事が作成した捜査報告書は、取調べにおける石川氏の供述と実質的に相反しない内容となっている

②実際にはなかったやり取りが捜査報告書に記載されている点については、その記載内容と同様のやり取りがあったものと思い違いをしていた可能性を否定することができない

という点だった。

しかし、田代検事が作成した捜査報告書に書かれている取調べの状況は、石川氏が密かに録音した実際の取調べでのやり取りとは、全く異なったものだった。

捜査報告書に記載された状況は、

石川氏は、従前の供述調書の内容について一貫して全面的に認める一方で、小沢氏の供述を否定することを気にして供述調書への署名を渋っていた。そこで、田代検事が、石川氏に供述調書作成に至る経緯を思い出させたところ、田代検事に言われたことを自ら思いだし、納得して小沢氏への報告・了承を認める供述調書に署名した

というもので、田代検事は小沢氏の供述との関係ばかりを気にする石川氏に、従前と同様の供述調書に署名するよう淡々と説得しているだけで、全く問題のない「理想的な取調べ状況」が描かれていた。

もし、取調べの経過が、この通りだったとすれば、誰しも、それ以前に作成されていた、石川氏が小沢氏との共謀を認めた供述調書は信用できると判断するであろう。                                      実際にそのような捜査報告書の提出を受けた検察審査会は、「小沢氏との共謀に関する石川氏の供述が信用できる」として小沢氏の「起訴相当」を議決した。

ところが、実際の取調べ状況は、それとは全く異なる。

録音記録によると、田代検事は、石川氏に、「従前の供述を覆すと、検察審査員も石川氏が小沢氏から指示されて供述を覆したものと考え、起訴議決に至る可能性がある。」なとど言って、従前の供述を維持するように繰り返し推奨し、「検察が石川氏を再逮捕しようと組織として本気になったときは全くできない話ではない。」などと恫喝まがいのことを言っていた。石川氏が、取調べの中で、「捜査段階で作成された『小沢氏への報告・了承に関する供述調書』の記載は事実と異なる」として、それを訂正するよう求めているのに、そのような石川氏の要求を諦めさせ、従前の供述を維持させようとしていた。最高検の報告書でも、そのような田代検事の発言は「不適正な取調べ」として指摘している。

田代検事は、検察も「不適正」と認めざるを得ないあらゆる手段を弄して、何とか、石川氏に従前の供述を維持させようとし、そのような「不適正な取調べ」によって、ようやく供述調書に署名させたというのが実際の「取調べ状況」だった。

田代報告書と取調べの録音記録とを読み比べてみれば、誰がどう考えても、捜査報告書に記載されている取調べ状況が、実際の取調べ状況と「実質的に相反し」、捜査報告書が「虚偽公文書」であることは明らかだ。

ところが、最高検は、田代報告書の中から、録音記録中の同趣旨の発言と無理やりこじつけられなくもないような箇所だけを抽出し、「記憶の混同」で説明できない箇所は見事に除外して、両者が「実質的に相反しない」と強弁した。

それを正当化する理屈として、供述内容を報告することを目的とする報告書の記載に関する一般論として、「表情や身振り、手振り等のしぐさ、それ以前の取調べにおけるやり取りを含めたコミュニケーションの結果得られた供述の趣旨を取りまとめて記載する」ことが「一般的には許容され得る」という理屈までを持ち出していた。しかし、「捜査報告書」というのは、供述調書とは異なり、供述者に供述内容の確認を求めることもなく、検察官が一方的に作成して上司に報告するものだ。その報告内容について、表情や身振り、手振りなどを勝手に「供述」に置き換えて具体的な言葉で表現したり、過去の取調べで述べたことを、再度供述したように勝手に記載したりすることが許されるということになれば、検察官は、取調べ状況の捜査報告書に何を書いてもかまわないことになり、それについて「虚偽公文書作成」などあり得ないことになる。

このような全く事実に反する捜査報告書を作成して、検察審査会に提出し、その判断を誤らせる行為が「犯罪」であることは、否定する余地はないところであろう。ところが、検察は、この、誰がどう考えても「虚偽公文書作成」としか考えられない行為を、東京地検特捜部が組織的に行ったのに、告発されていた特捜部長以下を全員「不起訴」にし、その理由として、捜査報告書の内容が、実際の供述と「実質的に相反しない内容」だと言ってのけたのである。

虚偽公文書作成罪を不起訴とした検察の判断が不当極まりないものであり、「検察の正義」が大きく揺らいだことは、当時のブログ【「社会的孤立」を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している~】に記載している。

陸山会事件での虚偽捜査報告書作成事件不起訴の「その後」

捜査報告書作成者で直接の行為者であるT検事は懲戒処分を受けて辞職したものの、佐久間特捜部長は、その後も検察の要職を務め、現在も、法務省法務総合研究所長の職にある。また、虚偽公文書作成事件を、凡そあり得ない理由で、なりふり構わず不起訴処分にした最高検察庁の主任検事であった長谷川充弘氏は、認証官の広島高検検事長を務めた後、現在は証券取引等監視委員会の委員長のポストに就いている。

陸山会事件での虚偽捜査報告書作成事件は、「検察の歴史上最悪の組織犯罪」と言うべき事件である。しかし、検察は、その後、関係者らを相応に人事上処遇するなどして、組織的に許容したのであり、今さら、「虚偽捜査報告書の作成が、実は虚偽公文書作成罪に当たる犯罪であった、その不起訴処分が不当であった。」などと言えるわけがないのである。

陸山会事件での捜査報告書が、実際の供述と「実質的に相反しない」と強弁した検察の論理を当てはめれば、今回の森友学園への国有地売却の決裁文書での改ざんについても、改ざん前の文書と改ざん後の文書とが「実質的に異ならない」ということにならざるを得ない。

虚偽公文書作成罪における「虚偽の文書」の範囲は曖昧であり、結局のところ、検察の判断によるところが大きい。検察が、自らの組織的犯行が疑われた虚偽捜査報告書作成事件と財務省の決裁文書改ざん事件とで、虚偽公文書作成罪の成立範囲について、明らかに異なった判断を行った場合、そのような検察の判断の是非が公判で厳しく争われることは必至だ。

陸山会事件での虚偽捜査報告書の作成が、「東京地検特捜部が組織的に、虚偽の捜査報告書を作成して検察審査会を騙したことが疑われた事件」であったのに対して、森友学園に関する決裁文書の問題は、「財務省が、組織的に決裁文書を改ざんして、国会を騙そうとしていたことが疑われる事件」であり、両者は、「組織の内部文書によって外部の組織を騙そうとしたことが疑われる事件」である点で共通する。

今回の決裁文書改ざん事件についての不起訴が、一般人の常識に反する不起訴であるとしても、そのレベルは、陸山会事件の虚偽公文書作成事件と比較すれば、低い。陸山会事件での「虚偽公文書作成罪」についての判断を前提にすれば、決裁文書改ざん問題を、検察が起訴することはあり得ないのである。

真相解明に向け今後行うべきこと

今回の財務省の決裁文書改ざん問題は、行政行為の意思決定に関わる文書を財務省が組織的に改ざんして国会に対して虚偽の説明をしたという問題なのであるから、「書き換えられた決裁文書」の提出を受けた「被害者」とも言える「国会」が主導的な立場で調査を行うべきであり、犯罪捜査や刑事処罰は中心とされるべきではないことを、これまでも指摘してきた。実際に、今回、すべての関係者が「不起訴」に終わったことで、今後の焦点は、国会での真相解明に移る。

本日(6月4日)、財務省による内部調査の結果が公表される予定だが、今回の問題で著しく信頼を失墜した財務省自身の調査結果をそのまま「鵜呑み」にすることができないのは当然だ。公表される財務省の内部調査については、調査結果だけではなく、調査の内容、経過についても問い質し、調査が不十分な点や疑問点を徹底して追及することが必要だ。

特に、昨年、理財局長として国会で事実と異なる答弁を行い、決裁文書改ざんにおいても中心人物だったとされている佐川氏が、国会での証人喚問では、「刑事訴追を受けるおそれ」を理由に証言を拒絶する一方で、財務省の内部調査に対して、どのように対応し、どのように供述をしているかが注目される。

内部調査への供述内容如何では、佐川氏の再度証人喚問が必要になることも十分に考えられる。検察で不起訴処分になったことで、前回の証人喚問の時とは「刑事訴追を受けるおそれ」に関して状況が大きく異なる。

ただ、検察の不起訴処分に対しては告発人側が検察審査会への審査申立てを行う方針を明らかにしており、その審査結果如何では、検審議決による起訴の可能性もないわけではない。とりわけ、本件では、既に述べたように、佐川氏らの行為が虚偽公文書作成罪に当たらないとの検察の判断は、一般人の常識では理解できない面があり、一般市民の検察審査会では、起訴すべきとする意見が多数を占める可能性も否定できない。

そうなると、国会での再度の証人喚問を行った場合に、ここでも、佐川氏が「刑事訴追を受けるおそれ」があるとの理由で証言を拒絶する可能性も全くないではない。しかし、検察審査会で「強制起訴」され、最終的に有罪となったケースは、これまでに殆どない。検察が起訴すれば、裁判所は有罪とする可能性が高いことは既に述べたが、検察が「不起訴」にした場合には、「公務員の世界における文書作成に関する問題」だということで、検察の判断が重視される可能性が強く、裁判所が有罪の判断をくだす可能性は決して高くはない。

佐川氏が、財務省の内部調査に対しては供述し、検察の不起訴処分を受けたのに、検審議決に基づく起訴の可能性を理由に国会での証言を拒絶することは、国税庁長官まで務めた官僚にあるまじき態度と厳しく批判されることは必至であり、再喚問が行われれば証言をせざるを得ないであろう。


編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2018年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。