大学院って必要なのか?

2018年08月19日 06:00

「東大法学部教授の中には法学博士はいない」
最近はどうかわからないが、従来までは常識だった。

東大法学部は、優秀な学生をすぐに助手として採用するシステムをとっていた。
大学院に行く学生は、助手として採用された学生よりも劣後した学者人生を歩むことになり、まず東大に教授として残ることはなかった。

学生からいきなり助手になってしまうので、修士課程も博士課程もすっ飛ばしてしまう。
だから、修士・博士課程未修者が東大法学部の教授として残ることになる。

私が大学生の頃、日本の大学は学部という専門分野があり、それが米国の大学院の役割をしていると言われていた。
米国では大学で一般教養を学び、ビジネススクール、ロースクール、メディカルスクールのように大学院で専門科目を修得する。

「日本の大学院は屋上屋を重ねるようなもので、必ずしも必要なものではない」というのが、少なくとも文系学部の常識のようだった。
理系学部の学生の相当割合が(少なくとも)修士課程に進んだのとは、極めて対照的だった。

今や、悪名高きロースクールを筆頭にして、文系学部でも大学院が拡大されている。

どうしてこのようになってしまったのか?
かなり穿った見方だが、大学教授よりも大学院教授の方が世間的なステイタスが高くて国際的にも泊が付くことから、教授たちが大学院教授の肩書きを欲しがったことが理由だと考える。
いつの間にか、「東京大学教授」の肩書が「東京大学大学院教授」に変わってしまった。

実際に、文系学部の大学院が機能しているかというと大いに疑問だ。
修士課程レベルだと大学院入学が極めて容易で、いわゆる学歴ロンダリングに使われることも多いと聞いている。
大学入試の段階では短大に入学し、その後4年生大学に編入、最終学歴は東大の大学院という人もいるそうだ。

大学院が補助金や助成金も受けず、独立採算で運営されているのであれば、何ら文句を付ける筋合いはない。
しかし、大学院を独立採算で運営しているという話は聞いたことがない。

今の日本では、子供を大学に通わせる資力のある親の割合が減少している。
地方から一人暮らしで都会の大学に通わせるのは、親に相応の資力がなければ不可能だ。

国立大学の授業料が年間数万円で済んだ時代は、親世代の所得がそれなりにあったことと相まって、複数の子供を都会の大学に通わせるのが普通だった。
私の高校時代の同級生やその前後の世代では、兄が京都、弟が東京というふうに別々の都市の大学に通うケースがいくらでもあった。
親が資産家だったという訳でもなく。

学費が高騰し、家庭教師のように割のいいアルバイトが激減したことから、一人暮らしの大学生は厳しい立場に追い込まれている。
英語の「be動詞」から教えるような大学を早々になくして助成金等の有効活用を図ることは必須だが、たいした意味もない大学院を整理することも必要だと考える。

能力と志の高い若者に教育の機会を与えるためには、無駄な組織をどんどん整理して「選択と集中」を図ることが急務だ。
米国の大学や大学院だと、優秀な成績を維持すれば学費免除だけでなく生活費まで奨学金で賄えると聞いている。

レジャーランドに戯れる高等遊民もどきを切り捨て、やる気のない教授陣を切り捨て、有為な若者のために国費を使うべきだ。

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荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年8月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。

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