東京医大が、女性および多浪生への実質的減点措置を行っていたとして、少し前から問題になっています。文科省は、全国の医学部入試に関して、調査をすると発表しました。
「女性が3割以下になるよう調整していた」という関係者の話もあり、多くのメディアで、女性の妊娠出産や、離職の問題が議論されました。わたしもほかのメディアで、医師の働き方や保健医療のシステムと今回の問題が密接に関係していることを書きました。
東京医大女子減点問題の本質:ハード勤務だけが問題ではない——現役女性医師が提案する5つの改善策|BUSINESS INSIDER
こうした現実的な問題が、入試差別の背景にあることは間違いない事実です。
ただ、ひとつ気になることがあります。「3割」という数字についてです。この数字を見てすぐに思い出したのは、マイノリティと組織に関する議論です。「マイノリティの比率が3割を超えると、組織の質的な状態がかわりはじめる」という理論(3割は、critical massと呼ばれる)があり、政治におけるクオータ制や、会社における役員の男女比率に対する検討の際に、ときどき引き合いに出されます。
これを参照すると、「3割以下」という数字は、「マイノリティが組織に影響をもたらさない」最大限の数字ということになります。
ここで、東京医大がどんな学生を求めていたのか?と考えてみると、ひとつの人物像が浮かんできます。若い男性で、長時間労働をいとわない人です。
実際に、今回の問題に際して、「女性は救急や外科をやりたがらない」「女性が多くなると眼科や皮膚科ばかりになる」という声も挙がりました。文句を言わずに低賃金で長時間労働を行い、組織文化を乱さない、従順な若い男性。おそらく、それが「求められる人物像」なのではないでしょうか。
妊娠や出産など、現実的な問題のほかに、組織や業界内における、均質な文化の維持が多かれ少なかれ求められていた、と、考えるのは、考えすぎかもしれませんが、当たらずとも遠からず、というような気もします。「現役あるいは一浪の男性」が多数派を占める医者の組織の中では、女性とか、多浪生、社会人入学の学生(この人々に対する差別があったかについては報道がありません)などは、特に管理する側にとっては、少なからず「面倒くさい」存在であった可能性があります。
また、「女性は皮膚科や眼科に行く」ことが「問題」とされていますが、これは、皮膚科や眼科の医療に対する貢献を無視した言い方ではないでしょうか。たしかに、医療の世界でも、外科や内科などの可及的に生命に関わる診療科と比べて、マイナー科と呼ばれる眼科や皮膚科、耳鼻科などは、心理的に軽視される傾向にあることは否めません。
しかし、眼科がなければ白内障手術はできず、多くの高齢者の生活の質が落ちますし、皮膚科に関しても、アトピー性皮膚炎などで悩んでいる人は多いのです。高度医療施設を除く、地域医療においては、こうした診療科の方が、外科よりも貢献度が高い可能性もあります。眼科医や皮膚科医が増えても、とりわけ大きな問題には思えません。
医療の世界では、「命に関わる診療科でハードな仕事を、365日休みなくしている人は偉く、『楽な科』に行く人はやる気がない」というような、精神論、根性論的な考え方がまだまだ多いのが現実です。外科や救急は確かにハードな、とても尊い仕事で、個人的にはこれらの仕事についている医師を尊敬しますが、なぜ男女ともにこれらの診療科に進む人が少なく、不足しているのかを考え、対策することが必要であり、こういったときに、精神論や根性論は役に立ちません。外科などの診療報酬を上げ、『楽な科』よりも高収入が得られるようにすれば、進む人も増え、人員が増えると交代勤務も可能になります。
また、日本は医師の数に比して病院の数が多いという問題があり、そのために、医師の力が分散してしまっており、一つの病院あたりの医師は少なく、効率よく仕事ができていない側面があります。医師が何歳になっても、月4日の当直、それを上回る数のオンコール(自宅待機だが携帯が鳴ったらいつでも病院にかけつけなければならない)、当直明けの連続勤務をし続けなければならないのは、病院が多すぎるという構造的問題も関与しています。
例えば、ハードな診療科として知られる脳神経外科は、諸外国に比べると患者あたりの医師の数が多いのですが、病院が多すぎることなどにより、「相対的な医師不足」を来しています。病院の統廃合などを急激に進めることは難しく、地域医療に対する副作用を伴いますから、まずは、系列の異なった中小病院同士でも連携して診療できるようにしたりすれば、一人あたりの過重労働が減らせるのではないでしょうか。ICT化により、以前よりも連携はとりやすくなっているように思います。
これから、わが国では、未曾有の少子高齢化、人口減少など、医療においても大きな問題に直面します。そういった困難を乗り切るのに、均質な文化や根性論などはあまり適していないように思います。多様な視点を持つ人々による、現実的な知恵を結集していかねばならないことは言うまでもありません。