太田房江から小池百合子まで7人の女性知事列伝

2018年10月23日 06:01

那覇市長選挙の城間幹子の勝利はどうだっていいことだ。これまでたしか、現職の女性知事や県庁所在地の女性知事・市長が再出馬して落選した人はいない。

どんなひどい女性首長でもそうだ。一般的に日本の制度では現職首長は抜群の強さで、知事の場合で言うと約90パーセントの勝率だ。しかも首長は2期目はいちばん強い。まして、女性はマスコミにも登場できるし、確実に女性票の積み増しがある。

馬鹿馬鹿しいがそうなのだ。那覇も例外でなかったと言うだけだ。城間市長の得票率は、ほぼ前回並みだが、普通なら2選目は前回より多くて当たり前だ。

ところで、これまで女性知事はのべ7人、県庁所在地の市長は5人である。本稿では、最近、出版した「47都道府県政治地図」(啓文社)の内容から、歴代の女性知事が生まれた事情と業績についての解説を抜き出し、再編成して紹介したい。

47都道府県政治地図
八幡和郎
啓文社書房
2018-10-18


女性知事第1号の太田房江大阪府知事

太田房江氏

女性知事第1号は、大阪府の太田房江である。大阪では岸昌(1979年)と中川和雄(1991年)という副知事経験者が知事を務めたが、府庁の職員による私物化が目立ち、横山ノック(1995年)が知事となった。圧倒的な庶民人気を背景に、財政再建問題に取り組み、2期目には、与党連合も対抗馬を出すことが出来ず楽勝した。ところが、選挙運動中のセクハラ事件で任期途中辞職に追い込まれることになった。

こういう背景で、いっそう女性知事をという声が高まり、東京大学経済学部を全優で卒業して通商産業省に入省、岡山県副知事や消費者行政担当の官房審議官をつとめ、近畿経済産業局勤務経験もあった太田房江(2000年)に白羽の矢が立った。

横山知事の退任の経緯だけでなく、男女共同参画への関心の高まり、中央政界の対立で普通の候補では相乗りしにくいという事情もあり女性候補がよいのではないかという地合がこの時にはあった。

そこに、大阪在勤時代の実績から経済界にもファンが多く、しかも、庶民的なおおらかさが大阪で力を持つ連合や公明党からも好ましいと評価された。太田は行政改革を積極的に進め、また、これまで疎かになっていた政府への働きかけを正常に機能させた。

男女共同参画の観点からは、太田が知事になったこと自体がすでに大きな波及効果を発揮した。犯罪を減らすための対策も成功した。ただ、相乗り体制のもとで、行政改革や経済振興も進めていこうという、バランス重視の路線は、どの勢力にとっても不満が高まっていった。

2003年、石原都知事と共同記者会見に臨む太田氏(都庁サイトより)

そして、小泉退陣後の自民党政府不人気の時期に行われた知事選挙では、相乗りも期待できず、3選出馬はせず、タレント弁護士の橋下徹が圧倒的な人気で後任となった。

すでに書いたように、太田がめざましい成功を収めたという印象はないが、混乱が続いた大阪府政を正常化させ、次の段階への橋渡しをしたという評価は誰しもが認めるところで、女性知事第1号としては成功したといえ、その後の女性首長ブームの基礎をつくったといえよう。

これまでの女性知事は7人

高橋はるみ氏(公式サイト)

北海道では、人気があった横路孝弘が不祥事などで人気に陰りが出て国会議員に転身したのち、副知事だった堀達也(1995年)が嗣いだ。しかし、裏金問題など道庁の不祥事で、知事は生え抜きだけに厳しく責任を追及された。また、鈴木宗男との関係の深さが足かせとなり、町村信孝らを中心に元北海道経済産業局長の高橋はるみ(2003年)が擁立された。高橋は富山県生まれ。母方の祖父は富山県知事をつとめた高辻武邦である。

一橋大経済学部から通産省入りした。与党との太いパイプを活かし、道州制特区の推進、北海道新幹線の開通、知床の世界遺産登録を実現し、道職員の給与削減などに踏み切った。日本ハム・ファイターズの優勝や外国人観光客の増加など明るい話題も多いが、なにしろ、ミニ霞ヶ関といわれる道庁の岩盤は強固で、支庁制度の廃止も中途半端になるなど難しい状況が続いている。

吉村美栄子氏(知事会サイト)

山形県では、斎藤弘(2005年)が、日銀マンから山形銀行に転職していたところを加藤紘一が後押しして、「県庁改革」「三年間で200億円の人権費削減」「女性副知事の登用」を唱えて勝利した。

しかし、原理主義的な行革路線が反発を招き、吉村美栄子(2009年)に敗れた。亡夫の一族が政界の名門だったが、本人はリクルートのOLをした経験はあるが、専業主婦となっていた。未亡人となったのちに不登校児童の指導などで活躍し、教育委員や各種の審議会委員などをつとめていた。

そして民主党政権誕生の前夜である2009年1月25日の選挙に、野党と自民党の一部の支持を受けて立候補し勝利した。そして、その後の2度の選挙では無投票で当選している。

堂本暁子氏(Wikipedia)

千葉県では、「ぼくはエピソードのない男」と自らを語っていた元副知事の沼田武(1981年)が知事を務めていたが、もっぱらバランスを重視し、県民の県政への関心は低調で、全国の知事選挙の投票率の最下位3位まで独占という不名誉な記録を作った。

そうしたなかで、堂本暁子(2001年)が、いわゆる市民派選挙の潮流に乗って当選した。堂本はTBSでプロデユーサーをつとめ、社会党から参議院議員となり、新党さきがけ、無所属の会に属した。市民派的な感覚で人気を博し、千葉の政治風土を変えるのに貢献したが、経済界などからは物足りないと批判があった。

嘉田由紀子氏(Wikipedia)

滋賀県では、県職員出身で副知事だった稲葉稔(1986年)、同じく県職出身の國松善次(1988年)とプロパー職員出身者が2人続いていた。そこに、環境学者の嘉田由紀子(2006年)が、新幹線駅への反対を看板に無党派で殴り込みをかけ、各党相乗りの国松の油断もあり、また、斬新な選挙戦略の成功もあって当選した。

出発点においては必ずしも反自民でなかったが、県議会の自民党が対立姿勢を崩さなかったことから、むしろ、野党側に嘉田を追いやった感がある。嘉田は小沢一郎の誘いで新党未来の党首に就任したが、これは県民に不人気で、三選出馬を断念する伏線になった。

潮谷義子氏(日本社会事業大学サイト)

細川護熙の引退後に知事となっていたのは、代議士で大蔵官僚出身の福島譲二(1991年)だったが、女性副知事の登用を行った。それが潮谷義子(2000年)だった。

福島は3期目の途中に急死し、潮谷は乳児院の経営者で公的な職務についていたが、副知事としての行政能力があったわけではない。しかし、現職知事の死去という異常事態のなかで担ぎ出され、2期務めた。

そして、もう1人は東京都の小池百合子知事だが、これは改めて紹介するまでもあるまい。ただ、私はやはり2020年の東京五輪開催直前の知事選挙では、やはり、現職女性知事としての強みを発揮するだろうとみている。

都知事Facebookより:編集部

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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