【訃報】大西宏さんご逝去

アゴラ編集部

アゴラでおなじみの大西宏さん(ビジネスラボ代表取締役)が11月23日に亡くなられました。ご家族が24日、大西さんの個人ブログで公表されました。それによると、がんの療養中だったとのことです。

大西さんは京都大学卒業後、大手広告会社の大広に入社。その後、ブランドコンサル会社を経て1986年に独立。マーケティング畑を歩み、大手化粧品メーカーやフィルムメーカー等のプロジェクトで活躍されました。

インターネット時代が到来すると、2004年に個人ブログ「大西  宏のマーケティング・エッセンス」を開設。本業で培った企業のビジネス戦略の論評だけでなく、時にはマーケティング視点から政治や社会問題、国際情勢に至るまで、精力的に発信し、「マーケティングの棟梁」の異名を取りました。

アゴラには創刊翌年の2010年春から寄稿。2016年秋まで累計で約300本の投稿をされました。ブロゴス、ハフィントンポスト日本版(現ハフポスト日本版)が立ち上がった後も、いち早く転載されるなど、専門家が実名でブログでオピニオン記事を発信するのがまだ珍しかった時代から、ビジネスジャンルのアルファブロガーの草分けとも言える存在でした。

慎んでご冥福をお祈りいたします。

2018年11月24日
アゴラ編集部

評伝:鋭い着眼点と温かい心で本質を追求

大西さんとは残念ながら生前お会いする機会がなかったが、編集長に就任してからどこかのタイミングでFacebookで繋がるようになった。きのう(24日)子どもを連れて都内を地下鉄で移動中、ふとスマホでFBを見た際、ご家族の代理投稿で訃報を知った。不明ながらご病気だったことは知らされておらず、少なからず衝撃を受けた。

大西さんといえばマーケティングの専門家として、企業評論でおなじみ。「アップルは体験を売り、サムスンはモノを売る」に代表されるように、鋭い着眼点で本質を浮き彫りにし、わかりやすくて腑に落ちる論評が多かった。その鋭い視点は多岐に渡って時事問題のさまざまなジャンルに向けられ、政治評論にも意欲的だった。政治を専門領域とする私もしばしば参考にさせていただいた。

クールな筆致でありながら温かい心で対象を見つめているようにも感じた。私が5年前に独立した直後、政治の世界に関わるきっかけとなったのは、政治のネット世論観測の仕事をPR会社からの発注で始めた下請け仕事だった。その際、政権から滑り落ちて失意のどん底に喘いでいる民主党に対し、「党を根本から変えるチャンス」などと厳しくも叱咤される記事に目が止まった。それが大西さんのブログだった。

自滅にむかう民主党を再建するには

高支持率の安倍政権との差がなぜ縮まらないのか。マーケティング視点から指摘しており、特に次のくだりは当時の民主党、いや現在も野党が全くできていない問題点を言い当てている。

今日のマーケティングでは、いくら消費者の人になにが欲しいかを聞いても答えは返ってきません。仮説が必要で、仮説を示してはじめて、本音が返ってきます。つまり、まずはコンセプトを再創造することが第一です。それなしには、国民のほんとうの声も返ってきません。

マーケティングの重要性という点では、橋下徹氏が近著『政権奪取論   強い野党の作り方』(朝日新書)で力説している部分と重なるところもあるが、大西さんの当時の記事を読むと、さすがにご本業だけに、現代マーケティングの本質を踏まえた視点で踏み込んでいたように感じる。

現代マーケティングは何が旧来型と違うのか?典型的なのがスティーブ・ジョブスのiPhoneだ。

革新的な商品を世に出せたのは、顧客の声をそのまま反映したのではない。そもそも顧客は自分たちのニーズを言語化できないことの方が多い。だからこそ商品やサービスを提供する側が考えに考え抜いた上で、顧客に対して「斬新」な提案をする。ジョブスはまさにそうして「皆さんが欲しかったのはこういう携帯電話でしょ?」とiPhoneを世に送り出したのではないだろうか。

大西さんはそういうクリエイティブなマーケティングを、衰弱している政治に求めていたのだ。

アゴラには2016年9月を最後にご寄稿が途絶えたのが気がかりだった。その時期、アゴラはまさに蓮舫氏の国籍問題でヒートアップしていた。左翼的という意味ではなく、良い意味でリベラルなところもあった大西さんだから、アゴラがあまりに蓮舫氏を激しく追及したことに違和感を抱かれたのかもしれない。

最近のアゴラの弱点が政治系の執筆者が目立ってしまい、ここ数か月、ビジネスニュースを俯瞰して語れる専門家を改めて補強する必要を感じていた。ゴーン前会長逮捕で揺れる日産とルノーの経営統合問題は、まさにその矢先でのことだった。

大西さんの復帰を望み、ご連絡をとって見ようとこの何か月も思い浮かべながら、ついつい日々の業務に忙殺されてしまった。

「空白の2年」の真意を確かめられなかったことは編集長として悔いが残っている。

亡くなられたその日、奇しくも地元大阪で万博開催が決定した。今後もご壮健ならば、万博の準備がともすれば「高度成長期の夢をもう一度」となりそうな、古臭い便乗型の公共事業的な動きを見せようとする際には、きっと苦言を呈されただろう。

大阪万博の論評を機にアゴラでまた存在感を発揮していただきたかったが、叶わぬこととなった。

生前のご寄稿に心より感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。合掌。

アゴラ編集長 新田 哲史