『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える②

呉座 勇一

前回に引き続き、『日本国紀』の監修者の一人である久野潤氏の反論に応答する。

私は12月11日の朝日新聞朝刊のコラムで「私の見る限り、古代・中世史に関しては作家の井沢元彦氏の著作に多くを負っている」と指摘した。

通説と思いつきの同列やめて

これに対し久野氏は

「すでに校正段階で筆者もその件で百田氏に直接尋ねたところである。自らの知見に基づいて部分的に井沢説を採りつつ論を展開するのは、百田氏の著作である以上自由であろう。」

と反論している。

久野潤氏(SNSより)と「日本国紀」:編集部

ただ私の見る限り、同書の古代・中世パートで通説と大きく懸け離れた主張を展開している部分は、古田武彦氏の九州王朝説を除くと、井沢元彦氏の著作に大きく依拠している。百田氏の独自説というと、「百済は日本の植民地に近い存在だった」ぐらいではないだろうか。

井沢元彦説をつまみ食い

17pなどは「作家の井沢元彦氏は~」と書き出しているので問題ないが、明記していない箇所でも井沢説の影響が随所に見られる。その典型が、前掲コラムでも取り上げた足利義満暗殺説の採用である。

他にも55~56pのコラムでは天智天皇と天武天皇は兄弟ではなく、ゆえに天智の死後に壬申の乱が起こったという説が紹介されている。これは昔から作家などが唱えている説で井沢氏の独創ではないが、井沢氏の『逆説の日本史』で一般に広まったので、おそらく直接の参照元は『逆説の日本史』だろう。天智天皇が暗殺された可能性を匂わせている点も陰謀論的な井沢説の強い影響を感じさせる。

怨霊信仰の強調も井沢説由来だろう。75pに突然「「祟り」について」という項が登場し、祟りと怨霊についての解説が始まる。85pには崇徳天皇(上皇)の怨霊に関するコラムが載っているが、崇徳を日本最大の怨霊として重視するのはもともと井沢氏の見解である。

率直に言って、日本通史を書く上でここまで怨霊を強調する必要があるのか、疑問なしとしない。あるいは井沢氏のように「人々の怨霊への恐れが歴史を動かした」と考えているのだろうか。だとしたら、いっそのこと徹頭徹尾「怨霊史観」で行けばいいと思うのだが、そういうこだわりがあるわけでもなく、その後、怨霊への言及はなくなってしまう。『日本国紀』はこの種の「つまみ食い」が多く、百田氏の一貫した歴史観が見えてこない。

「通史の作法」を踏まえるべき

1019年の刀伊の入寇(女真族の北九州襲来)に紙幅を割き、平安貴族の「平和ボケ」を厳しく批判するのも(78~81p)、井沢説の踏襲であるが、井沢氏の名前は記していない。平安貴族の「平和ボケ」と戦後日本の「平和ボケ」を重ね合わせ、その一方で質実剛健な武士たちが幕府という軍事政権を作ったことを賞揚し、憲法改正の論議につなげていく、という論理構成も、井沢氏と同じである。こうした傾向は蒙古襲来についても見られ、勇猛果敢な幕府と無為無策な朝廷を対比的に叙述する(97~105p)。

なお78pには朝廷が「武力を用いず、ひたすら夷狄調伏の祈禱をするばかりだった」とあるが、実際には祈禱だけでなく要所の防備、賊徒(刀伊)の討伐、戦功を立てた者への行賞、山陰・山陽・南海・北陸道の防備を行うことを決定している。平安貴族は神頼み一辺倒ではなく現実的な措置もとっているし、鎌倉武士もしばしば神仏にすがっている。井沢氏や百田氏が公家の「文弱」を誇張するのは、勉強不足で古い学説しか知らないのか、護憲派を揶揄するために歴史を歪めているかのいずれかであろう。

いずれにせよ、井沢氏の種々の主張には問題が多い。学界では既に過去のものとなった俗説の焼き直しか、作家的な想像力が旺盛すぎて学問的な批判に耐えない奇説が大半だからである。歴史ファンタジーとして楽しむ分にはいいが、「これが歴史の真実だ!」と勘違いすると危ない。

それでも井沢氏の場合、一応は自説の論拠を掲げているから検証可能だが、『日本国紀』は考察過程をすっ飛ばして結論部分だけを紹介する。しかも井沢氏の名前を挙げなかったり、有力説であるかのように語ったりしている。

左翼だらけの日本史学界など信用できないと言うなら、それこそ井沢氏の『逆説の日本史』のように学界の通説を全否定するスタンスの本を出せば良い。だが『日本国紀』の体裁は明らかにそうなっていない。

教科書やwikipediaに載っているような通説的記述も多く(ただしミスが散見される)、一見すると中立的で穏当な「日本通史の決定版」に映る。そこに陰謀論的な説明や極端な政治的主張が混ざっているから問題なのだ。

仮に『百田尚樹の痛快!日本史講義』みたいなタイトルだったら、私はわざわざ朝日新聞で批判しなかった。作家の百田氏はともかく、歴史学界に身を置く久野氏は「通史の作法」を知っているはずだ。なぜ忠告しなかったのだろうか。全く理解に苦しむ。

呉座 勇一   国際日本文化研究センター助教

1980年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他書『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。