『日本国紀』問題を考える―歴史学と歴史小説のあいだ①

2019年01月17日 06:02

先週、私はアゴラで『日本国紀』に関する記事を投稿した。

『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える①
『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える②

これを受けて評論家の八幡和郎氏が拙稿への批評を下記記事で行ったので、若干の補足説明を行いたい。

『日本国紀』をめぐる久野・呉座論争とは何か

井沢氏(ブログより)、八幡氏も巻き込む「日本国紀」論争=編集部

井沢元彦説に似ているのは誰でも気づく

八幡氏の記事は非常に長文で論点も多岐にわたるが、主要な論点の1つは『日本国紀』と井沢元彦氏の著作との関係だろう。

八幡氏は次のように述べる。

井沢元彦『逆接の日本史』に対する評価については、呉座氏が朝日新聞(12月4日)やアゴラの記事(1月10日)で指摘しているのとほぼ同趣旨を、私はアゴラの記事「百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?」(11月23日)で論じている。出している例も、怨霊の問題、刀伊への対処、古代史などかなり重複している(足利義満については私が「足利義満皇位簒奪計画」を論じる前に、呉座氏がTwitterで足利義満暗殺について論じられているが隣接しているがテーマは別である)。

「井沢氏の歴史観は、しばしば、陰謀史観チックなものだ」と私は書き、呉座氏は「陰謀論的な井沢説の強い影響を感じさせる」としている。 呉座氏の朝日新聞連載の最初が「百田氏新作、過激と言うよりは」(12月4日)で、私の「百田尚樹「日本国紀」:意外に戦後史観的で韓国に甘い」(11月17日)でタイトルからして良く似た内容であることが分かる。

このあたり、気鋭の歴史学者である呉座氏と意見が一致したことは光栄だと思う。ただし、先般の池上彰氏の場合と同じで、「八幡さんの百田さんについての意見は呉座さんに似てますね」と言われるとしゃくなので記しておく。

別に歴史学者や評論家ならずとも、井沢氏の著作と『日本国紀』の両方を読んだ人ならば、両者の類似性(後者が前者の影響を受けていること)には誰でも気づく。なので、この点は発見でも何でもない。私もオリジナリティを誇る気は毛頭ない。

厳しすぎるのはどちらか

八幡氏は私と意見が似ていると言うが、私にはむしろ正反対に思える。私は井沢元彦説に批判的である。これに対し八幡氏は、以下のように井沢説を擁護する。

私は井沢氏についての呉座氏の指摘はやはり厳しすぎると思う。「井沢氏の種々の主張」というのは、どの範囲を指すのだろうか。井沢氏の著作はなかなかよく調べているし、井沢氏が取り上げたのでよく知られるようになった史実も多い。

その分野の研究者からすれば常識でも、世間一般には井沢氏の連載で知られるようになったことは多い。私も自説をお知らせして、書いてもらい、お陰でよく知られるようになったこともある。

そのなかで、学界の支持を受けない部分だけをもって「井沢氏の種々の主張」と指摘しているのではないかという気もする。したがって、百田氏が井沢氏にならったところが、どこもかも「学界では既に過去のものとなった俗説の焼き直しか、作家的な想像力が旺盛すぎて学問的な批判に耐えない奇説が大半」とまでいえるとは思わない。

だが私には、井沢氏の歴史学界への指摘こそが厳しすぎるように思われる。八幡氏は井沢氏の著作を愛読しているようなので先刻ご承知だろうが、井沢氏は『逆説の日本史』などの著作の中で、日本の歴史学界を厳しく批判している。学界に身を置く私には、それは時として罵倒にすら感じられる。学界の歴史研究者は視野が狭く頭でっかちな専門バカである、と井沢氏は再三述べている。歴史学者が発掘し、歴史学者が読解した史料を利用しているにもかかわらず、である。それに比べれば私の批評はむしろ生ぬるいぐらいである。

井沢氏の著作の何が問題か

井沢氏は歴史学界の「史料至上主義」を批判する。史料に書いてあることだけが事実であると思い込み、史料に書いていないことを推理することを断固として拒み思考停止に陥っている、と。氏の主張が端的に示されているのが、以下の記事である。

山本勘助と真田幸村。時代劇のスターは歴史学では厄介者?(WEB歴史街道)

なぜ歴史学界は勘助の存在を否定したのでしょうか? 理由は簡単で「同時代の史料に勘助が登場しない」というものでした。いかに状況証拠で勘助が存在したと推論できても、証拠が出ない限り絶対ダメだというのが歴史学界の頭の固さです。

ところが証拠が出ました。皮肉なことに『天と地と』がNHK大河ドラマになって放映された時に、それを見ていた視聴者が自分の家に先祖から伝わっている文書が、信玄の書いたものだと気がつきました。テレビ画面に信玄の花押、つまりサインが大写しになったからです。その文書になんと山本菅助(勘助)の名前が書かれていたのです。文書はもちろん本物で、これ以降、歴史学界は手のひらを返したように「勘助は実在した可能性が高い」といい出しました。

証拠(史料)があれば認めるが、証拠がなければ絶対に認めない。こういうのを実証主義といいます。人の運命を左右する裁判なら、それでも結構ですが、歴史については史料がないものもあります。そこは推理推論で埋めるしかないでしょう。そしてその推理推論は妥当ならば仮説として、この場合なら「山本勘助は実在した可能性が高い」と認めるのが学問の常道であるはずですが、日本歴史学界はこの常道を外しているということです。

井沢氏は、歴史学界が「手のひらを返した」ことを卑怯なことのように言うが、史料が出てきたら見解を訂正するのは当たり前である。新史料によって自説が否定されたのに、屁理屈をこねて自説に固執する方がよほど恥ずかしい。

以下のインタビュー記事でも答えたが、史料がないから確たることは言えない場合、「わからない」とはっきり認めることが歴史学者の「勇気」である。作家は個人だが、学者は学界の一員である。現時点で答えが出なくても、将来史料が出てきて答えが出るかもしれない。次代の研究者に後を託すのもひとつの見識と言える。

なぜ、陰謀論がはびこるのか? 本気で論破しまくる本を出した歴史学者が語る怖さ(バズフィードジャパン)

史料に書いていないことを想像で埋めるのは歴史小説には有用だが、歴史的事実を解明する上では有害である。仮に作家の想像が、後に史料で裏付けられたとしても、それはその作家の手柄ではなく、ただのまぐれ当たりである。当たった時だけ「ほれ見たことか!」と喧伝する、たちの悪い占い師や予言者と何ら異なるところがない。

(編集部より:続きは18日に掲載します)

呉座 勇一   国際日本文化研究センター助教

1980年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他書『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。

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呉座 勇一
国際日本文化研究センター助教

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