最先端「エストニア電子政府」に日本ベンチャーが技術供与

2019年01月29日 11:30

「DX (デジタル・トランスフォーメーション)」が企業、社会、人々の生活を大きく変えつつある。

当初、DXは、鉄道(SUICA等)、銀行(コンビニATM、ネットバンキング)など大手企業の業務効率化から始まった。やがて主役は新規企業(Uber, Airbnb, Amazonなど)に移りつつある。彼らはデジタル技術を使って顧客に新しい価値を提供した。こうした動きは、「デジタル・サービス・リ・デザイン」というべきもので、私は「DX2.0」ととらえる。

民も官も「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」から「DX.2.0(デジタル・サービス・リデザイン)」へ

政府はどうか。国も自治体も電子政府(デジタル・ガバメント)化を掲げるが、国民(住民)目線にたった「デジタル・サービス・リ・デザイン(DX2.0)」の発想は薄い。例えば、その気になれば運転免許証、健康保険証、住基カードは一体化できるはずだ。しかし、議論すら始まらない。そして国民もマイナンバーカードの取得の必要性を感じない。

だが、政府がDX2を目指す国がある。エストニアの電子政府である。エストニアは、IT化をテコに政府業務を再構築した(DX)。また電子政府は行政サービスのみならず医療、金融、教育までカバーし、企業経営や社会のあり方を変えつつある(DX2.0)。

わが国の行政サービスはDX以前

わが国の行政サービスは本質的に昔と変わらない。もちろん、コンビニで住民票がもらえ、ネットで税金が払える時代だ。入国審査も指紋や画像の認識で機械化された。しかし、これらは役所の合理化の末のDXである。市民の暮らしに身近な市町村の行政サービス、特に子育て、医療・介護、教育などのDXは遅れている。たとえば今どきはホテル、映画館、アパートの空き状況までスマホで見られ、予約もできる。

ところが多くの公立保育園の空き具合は電話で問い合わせるしかない。申し込みには書類が必要だし、通園が始まると毎日、出退記録にサインや押印が必要だ。学校給食も前近代的で現金払いが多い。医者に行くには保険証が要るし、予防接種の記録も政府のデータベースで一元化されない。かくして家の引き出しには健康保険証、年金手帳、運転免許証、母子手帳など、行政の縦割り組織別に各種証明書が入っている。

金融、医療、教育に及ぶエストニアの電子政府化

エストニアは日本の12%の面積、1%の人口の小さな国だが世界中が注目する。15歳以上の全国民にマイナンバーにあたる国民ID番号が与えられ、IDカード(eIDカード)の所有が義務付けられる。国民ID番号は「デジタルネーム」とも言われ、政府11省の行政サービスのうちの約1500で使われる。近年、携帯電話SIMとも共有されるようになったeIDは、MobileIDやIDカードとして健康保険証や免許証にもなり、民間取引の電子署名や電子認証でも使える。その結果、エストニアでは官民合わせて3000ものサービスがネット上で利用できる。

デジタル化によるサービスのリデザインが著しいのは医療サービスだろう。個人の医療情報(過去の病歴、電子カルテ、処方箋記録、医療保険情報、受診情報など)が政府運営のクラウドに載っている。旅先で病気になっても現地医師がこれを見て対応する。電子画像もデータベースに保存され数年間の健康状態の変化が監視できる。eIDでは専門医の予約ができ、薬局でもeIDの提示で処方箋が示せて薬がもらえる。また政府は非居住者向けに「eレジデンシーカード」を発行する。法人登記等の電子政府サービスの利用や銀行取引などができる。

デジタル化を機にソ連時代から訣別

エストニアがソ連から独立したのは1991年である。新政府は独立当初からソ連政府の旧弊を排し、民主主義と国民主権に沿った国づくりを始めた。その際にこだわったのがデジタル化、情報公開、そして徹底した情報管理体制である。例えば、エストニアでは全公務員の給与がネット上で公開される。また公的機関がアクセス権限を使って医療記録など個人情報を閲覧した場合、そのアクセス記録がすべて本人に開示される。こうして政府の透明性を確保し、国民の信頼を獲得し、その上で国民にeIDカードの所持を求める。エストニアの電子政府はこの意味でe-デモクラシーと連動する。

エストニアが誇る2つの技術

政府の業務の「サービス・リ・デザイン」は、実はとても難しい。まず提供するサービスの範囲が広いうえに多種多彩である。しかも確実性やセキュリティの要求レベルが極めて高い。民間サービスなら料金を払ったお客だけにサービス提供し、そこから順次、拡大すればいい。ところが行政サービスの場合、全国民向けに同一レベルのサービスを同時かつ確実に提供しなければならない。誤りや不正は許されず、セキュリティも企業以上に高度なものが要求される。

エストニアの電子政府は、高度な個人認証セキュリティ技術とデータ共有技術の2つに支えられる。

第1のセキュリティ技術だが、エストニアではサービスのプロバイダー(行政・企業)とクライアント(国民)のそれぞれが政府が管理する個人情報データにアクセスする。そこに高度なセキュリティ認証技術を導入している。そのもとで国民は、国民IDを使って行政サービスはもとより、医療、金融など生活に密着したサービスにもアクセスできる。どういう経緯でこれができたかというと政府はまず国民IDでログインするクラウドインフラ「X-Road」を整備して行政サービスに使った。さらにそのインフラを民間開放し、高い個人認証技術が必要な医療や金融サービスの取り込みに成功した。

第2のデータ共有技術は、「Data Exchange Layer X-tee (データ・エクスチェンジ・レイヤー エックス・ティー)」といわれる。これはネット上で安全にデータ交換をする技術的、組織的な環境を意味する。これで何が便利になるのか。例えば日本では引越すと自治体への転出入届け、ガス、水道、電気、電話等の引越し手続きは、それぞれ新旧両住所でやらなければならない。だがエストニアでは、国民IDの情報さえ変更すればすべてが同時に変更される。

「Data Exchange Layer X-tee」上でのデータ交換とはどういうものか。X-Roadのクラウド上で、あるサービスプロバイダー(「X-teeメンバー」)が共有データを記述の上、利用許諾をする。すると「Data Exchange Layer X-tee」に参加する他の全てのメンバーもそれを利用できる。逆もそうだから全メンバーが他のメンバーのサービスとデータを利用できる。

このようにエストニアでは個人認証とデータ共有の2つの技術をテコに国、自治体、民間企業の壁を超えて金融、教育、医療など国民の暮らしに必要なサービスがシームレスに提供される。つまり、電子政府化が公務のDXにとどまらず、国民の暮らしを支える仕組み全体のサービス・デザイン(SD)、つまりDX2につながりつつある。eIDカードの普及率98%という高い数値の裏にはこれがある。

エストニアの取組みはソ連崩壊後の混乱の中で始まった。限られた財源の中で都市部だけでなく地方の国民に均質の行政サービスを届ける工夫の一つが電子政府化だった。エストニアの電子政府は国家戦略そのものなのである。

行政サービスを「ワンストップ化」、さらに「ノンストップ化」する

エストニアは電子政府化の過程で、行政手続きの「ワンストップサービス化」にとどまらず、手続き自体を数多く廃止した(「ノンストップサービス化」)。その結果、市民が政府に出かけて手続きしなければならないのは今や「結婚、離婚、死亡の時くらい」(タリン大学研究員談)だという。

片や日本では何事も書類や面談などの手続きが必要となる。内閣官房が主導し、手続きの「ワンストップ化」が進められているが、進捗は遅い。また電子政府化を機に不要な手続きを見直す動きも少ない(ちなみに筆者が特別顧問で手伝った東京都庁の「2020改革」ではキャッシュレス、中間レス、はんこレスに注目し、一定の成果を上げつつある)。

日本を含む各国はエストニアに調査団を派遣し、その先進技術を称賛する。しかし、国民の暮らしを支える官民両方をサービス・リ・デザイン(SD)する発想、そして電子政府化の作戦シナリオにも注目すべきだろう。

次の課題は国境を越えたデータ連携

エストニア電子政府の目下の懸案は、他のEU諸国とのデータ連携の仕組み作りである。EU各国では各種制度が統一化され、資金や物の移動はかなり自由にできる。しかし生身の人間の移動に伴う制度調整は不十分だ。例えば他国に転勤した人が本国にある子供の頃の健康データを引き出して使いたくても、今は各国の制度が違うので情報共有できない。またエストニアは小国なので国内のみを電子政府化してもメリットは限られる。そこで彼らはEUと共に地域と国境の壁を越えて行政サービス情報を機械認識し、比較検証できる仕組みの構築に取り組んでいる。

日本のベンチャーがエストニア政府に協力

2018年11月ブリュッセルでEU各国のデータ連携の会議(「行政・企業・市民に関するデータ連携ソリューション進捗会議」(EC(欧州連合会議)主催))が開催された。

ここでエストニア政府は、国立タリン工科大学が日本のベンチャー企業「アスコエパートナーズ社」と共同でEU各国の制度間のデータ連携に取り組んでいると発表した。当面の対象分野は子育て支援サービスだがいずれ全ての行政サービス分野に同じ仕組みが適用されるとみられ、注目に値する。

官邸サイト「アスコエパートナーズ説明資料」より:編集部

「ユニバーサルメニューモデル」の威力

アスコエパートナーズ社がエストニア政府に提供する予定の制度間調整は、ユニバーサルメニューという枠組みに基づく。これは国や自治体の行政サービス情報を、制度や組織の枠組を超えてデータベース化する仕組みである。住民向け行政サービスの内容は、法令、条例などに文章で書かれている。誰がどのような支援を受けられるか、いつまでに申請すればいいのか等はすべて文章化されている。しかし今は個々の省庁・自治体の規定を調べ、あるいは問い合わせないときちんとした比較、検討はできない。もちろん規程の多くは電子データ化されている。だからコンピュータで比較検討できるといいのだが、文章形式のデータのままではコンピュータで処理しきれない。

アスコエパートナーズ公式サイトより:編集部

ユニバーサルメニューはこの問題を解消する。すなわち文章に書いてある意味情報を構造化する。すると個々の省庁・自治体の行政サービスの支援内容、対象者、期限などがシステムで特定できるようになる。あるいは逆に検索条件に合った行政サービスを全国から抽出したり、自治体間のサービス内容や付与条件の比較が簡単にできる。

行政情報は、これまで個々の省庁・自治体に文章形式で点在していた。これが構造化されることのインパクトは大きい。例えば最近、住民への案内業務にAIを使うサービスが始まっている。ここにユニバーサルメニューを導入するとサービスの質も内容も飛躍的に向上するだろう。

行政サービスは誰もが必要なときに使えるものでなければならない。少なくとも住民サービスの行政サービスデータは、ユニバーサルメニューのように標準化された仕組みのもとでシステム上、扱いやすくしていくことが重要であろう。

EUが日本のユニバーサルメニューに注目

ユニバーサルメニューは、日本ですでに150近い自治体のWEBサイトで利用されている。(ぎょうせい刊「行政サービス情報整理術・ユニバーサルメニュー導入公式ハンドブック」)。特に進んでいるのは子育て支援制度である。例えば、児童手当は、支給内容や支給基準が全国どこでも同じだ。

しかし医療費補助のように自治体が独自に支給し、あるいは内容を上乗せする制度もある。ここにユニバーサルメニューを使うとメニューの全国共通部分と自治体独自部分の両方を網羅した上で、自治体間の差異がわかる。つまりわが国の全省庁・自治体が提供する子育て支援制度の全体がデータベース化できる。

すなわち各省庁・自治体の行政サービス、根拠となる制度、法令が組織の壁を越えて整理でき、包括的な行政制度データベースが運用できるようになる。また制度間の比較も容易になり、個々の住民ニーズにあった行政サービスをどの省庁・自治体が用意しているかも簡単に検索できる。

ユニバーサルメニューは、“復旧・復興支援制度データベース”でも使われる。その他、国の子育て手続きに関するマイナポータルである“ぴったりサービス“にも使われる。

エストニアとEUがユニバーサルメニューを評価するのは、これを使うと各国、各自治体の行政制度を標準仕様に沿ってデジタルデータ化できるからである。その結果、EU内の国・地域の壁を越えて日本の自治体間でやっているような制度の比較分析ができるようになる。また住民が他国に引っ越しても今と同じサービスが受けられるかどうか事前に調べられる。各国やEU政府も政策や予算の差別化領域を決める手がかりが得られる。EUでは国が違えば言語、制度の名称、根拠法令、支給条件などが異なり、比較は容易でない。その壁を超えるツールとしてユニバーサルメニューが期待されている。

縦割りで複雑な行政制度が育てたユニバーサルメニュー

日本で生まれ、育ったユニバーサルメニューがエストニアとEUから評価される理由は、次の2つと思われる。

第1に日本の行政サービスは内容と制度自体がEUより手厚く、きめが細かい。子育て支援制度でも世界に誇る母子健康手帳のほか、妊婦向け健診、ひとり親向け支援など国・自治体・民間が連携しつつ、様々なサービスを提供する。また1億人を超える人口の厚みのもとで様々な経験を経て、改訂され、充実した制度になっている。

第2に日本では省庁縦割りに加え、約1700もの自治体がある。その結果、わが国の行政制度は総体として極めて複雑なものになっている。こうした環境のもとでアスコエパートナーズ社のユニバーサル・メニューは磨かれてきた。

ソフトインフラの輸出と国際標準作りへの参画

エストニアには、毎年、日本から調査団が出かけ電子政府の仕組みを学んでいる。しかし当のエストニア政府は、インフラ構築の最先端のところで日本のベンチャー企業の協力を得ている――。

政府はインフラ輸出を国家戦略に掲げ、原発や新幹線を売り込む。しかしインフラ輸出の対象はハードだけでない。トヨタのジャスト・イン・タイムシステムなどソフトのインフラもある。今回のアスコエパートナーズ社の「ユニバーサル・メニュー」もこうしたソフトインフラの輸出の例といえよう。

先端技術はどの分野でも国境を越えて標準化され、協同利用されつつある。その国際的な動きに日本の企業も参加すべきだ。それを通じて例えばエストニアやEUのノウハウが日本に取り込める。世界の電子政府化の流れに日本が取り残されないためには、技術をもった企業が実務ベースの技術交流をすることが大切だ。

電子政府を進めるソフトインフラの開発には海外との連携が不可欠である。一方的にエストニアに学ぶだけではだめだ。これからはエストニアに技術を提供している「アスコエ・パートナーズ」のような企業にもっと注目すべきだろう。

(注)エストニアの電子政府については、2月24日(日)に慶應大学にて詳細を紹介するセミナーが開催される(こちらから申し込み可能)。

編集部より:このブログは慶應義塾大学総合政策学部教授、上山信一氏(大阪府市特別顧問、愛知県政策顧問)のブログ、2019年1月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、上山氏のブログ「見えないものを見よう」をご覧ください。

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上山 信一
慶應義塾大学総合政策学部教授

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