望月記者と大塚久美子社長「怖いもの知らず」の醜悪

2019年03月04日 16:00

「怖いものを知らない」という言葉がある。狭義で言えば、怖い事象に無頓着な危うさやそういう人に対しての言葉であろう。新入りが強面で通っているお偉いさんにぞんざいな言葉遣いをしているのを聞いて、周囲の者が気をもむようなシーンで使われるだろう。そしてもう少し広いニュアンスとしては、人生の機微を知らない。本当の危機や窮地を知らない様相を示す場合もあるだろう。「あの御曹司、まだ怖いものを知らないよな。」という具合で使われる。

望月衣塑子記者の「怖いもの知らず」

望月氏公式写真より:編集部

東京新聞の望月記者を見ていると、この言葉が真っ先に浮かんでくる。その理由はお相手が、他ならない菅官房長官だからである。いや決して圧力をかけて権力で潰しにくるというような類の”怖さ”を言っているのではない。その佇まいが相当な風圧を感じさせる菅官房長官ではあるが、望月記者がギャーギャーと騒ぎ立てている事からは何のプレッシャーも正直感じていないだろう。単純に会見の進行が妨げられることや、結果としての機会不均衡が生まれることに対して、主催者として当たり前に問題を感じているに過ぎない。

それではなぜ私が望月記者に対して、”怖いものを知らない”と感じるかと言えば、菅官房長官という人物をまったく理解勉強していないで接しているように感じるからだ。

菅官房長官という人は、現在の政界でも突出してユニークな人物だ。2世3世が大勢力になってしまった議員の世界で彼はまったくのたたき上げで知られる。ちなみに広告代理店にもコネで入社してくる政治家の子弟も少なからずいるが、新人にして上座が当然という勘違い人間も少なくなく逆に本当に驚かされる。

そんなコネ、カネ、カンバンが幅をきかせる社会で、秋田の農家に生まれ、上京してからは板橋の段ボール工場で働くなどしたのち法政大学を卒業した菅官房長官はまったくの異色である。議員を志してからも秘書や市会議員からたたき上げてきた苦労人なのである。

私が知っているだけでも菅氏周辺のピカレスク的な人物群像は相当なもので、その関係において面白い話や出来事には事欠かないだろう。私が望月記者の立場ならば、圧倒的に興味深い人物、取材対象として菅氏に対して一目も二目も置くに違いなく、今の彼女のように幼稚な発言をステレオタイプに繰り返す行為は記者として愚かな振る舞いとしか言いようがない。

つまり私は、菅氏が経験してきただろう“何か”に対して無関心、無頓着過ぎる望月氏に対して、「怖いものを知らない」というあきれる気持ちを禁じえないのである。

大塚久美子社長の「怖いもの知らず」

大塚家具サイトより:編集部

実は同じような感慨は、大塚家具のお家騒動でも感じたものだった。

家具という難しい商売。私は個人的にも家具好きなので長くウオッチさせてもらっているのだが、まず長く安定して成功した企業は見たことがない。在庫が広大な場所を取りしかも一品一様の難しさ。しかも、大多数が狭い家に住む日本では、本格的な値段の家具を買う消費者層のボリュームが非常に薄いときている。ニトリが頑張れているのも低価格帯であるからだが、同じ価格帯で戦ってもあの世界のイケアでさえ思い通りにならないのが日本の家具市場なのだ。

そう考えると、かつて大塚家具の繁盛は奇跡的ともいえるものだったが、業績悪化のタイミングからお家騒動に至った経緯は大変残念としか言いようがなかった。

何より驚かされたのは、大塚久美子現社長が父親であり創業者の大塚勝久氏と対立し、追放するに至ったあまりにもリア王的な成り行きであった。単純に親とそこまで対立できるものかという酷薄さと、創業期には納品のために勝久社長自身がリヤカーで家具を創業の地、春日部から都内まで運んだという家具商売というものの厳しさに対する「畏(おそ)れ」を感じさせない久美子社長の有り様が異様でもあった。

終局、久美子社長の経営はまったくの稚戯に等しいもので、まさにただの「怖いもの知らず」であったことが露呈したと言わざるをえない様相である。

苦労人や創業者への理解共感がなくて記者や経営者が務まるものなのだろうか?

人間生きていると誰しも苦しい局面があるものだ。自分や家族の病気、仕事がうまくいかない、思わぬ事故、子供の反抗期、恋愛の不調。そういう経験を積むと、「畏れる」ことを知るようになる。人間なんでも自分の思い通りにはいかないことを悟るのである。そうすると、自らに照らして他者の人生にも理解や共感をせざるおえなくなる。「きっと大変だっただろうな」とか「どういう苦労をしてこられたのだろう」と問われずとも考えてしまうのである。

残念ながら、望月衣塑子記者と大塚久美子社長の両氏に共通するのはこの「畏れる」という感覚の弱さと、一方での、何かを成し遂げたり、地位を得るに至った人の人生に対する理解や共感、洞察の浅さである。何も今更に薄っぺらな道徳を持ち出そうというわけでは毛頭ない。記者であれば、苦労人の苦労人たる由縁、経営者であれば、起業の難しさや情熱、重みを理解せずしてどうして職業を全うすることができるだろうか、という当たり前のリアルの話なのである。

受験、就職エリートの勘違いプライド、特権意識が生むリア王的悲劇の風景

なぜ、この二人がこのような感性の人であるか。答えは、至極常識的なものである。

恵まれて育ったサラリーマンだからである。(大塚久美子氏の場合はみずほ銀行OBではあるが)私が同じような属性だったから、良くわかる。

親の経済力と学歴の関係はすでに明らかになっている。親に経済力があり、ある程度まじめに勉強すれば両氏程度の学歴は現実的な目標となり得る。就職にしたところで、まずまずの幸運も味方にすれば、希望の企業にも就職できただろう。)親のしっかりした立場も就職に有利だったはずだ。)就職してしまえば、先輩たちの築いたがっちりとしたビジネスモデルや既得権に守られ相対的にはやはり安泰と言える。

一方で人生の振れ幅や経験領域は、たたき上げの政治家や創業者に比べてはるかに狭いものである。特に望月氏は、新聞社、中日新聞(東京新聞の母体)という地域独占企業の強さに守られている。さらにジャーナリズム特有の既得権をバックグラウンドに二重にも三重にも特権的な立場も与えられているのである。まさにその盤石のセーフティーゾーンからの、異例行動であり、そもそも勇ましくもなんともない話なのである。 (二人が女性であるのは、この際たまたまと考えたい。筆者自身、女性と仕事することが多い環境でもあり、女性であるがゆえの事象とは考えない。)

それにしても、この二人の物語は、人間として誰もがもつ普遍的な感性に反する醜悪さに満ちていないか。

望月記者で言えば、たまたま恵まれた環境と何度かの試験を受かっただけで手に入れた特権の立場から、苦労人であり国民から選挙で何度も支持を受けた国家の要人に対して、何らの敬意も払うことなく居丈高でひるむことがない。

大塚久美子社長で言えば、単純に親不孝なだけでなく、身代を潰しそうだ。共通するのは、見ているほうが何か苦みを感じてしまうリア王的な風景でしかない。

恩を知らない子を持つことは、蛇の歯にかまれるよりも苦しい。
シェイクスピア『リア王』

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。

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秋月 涼佑
ブランドプロデューサー

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