元号をめぐるアベノセイダーズの罵詈雑言

2019年03月30日 11:30

『女性セブン』(2019.4.11)が「皇太子さま「新元号」決定の裏に、無念の「安倍極秘会談」30分」という記事を載せている。何事かと思ったら、「今回の改元の舞台裏では、その名を冠することになる「新天皇」が“ないがしろ”にされかねない事態が起きている——」のだそうだ。

Wikipedia、官邸サイトより:編集部

さて、4月1日に何があるかだが、次の通りだ。

①有識者による「元号に関する懇談会に5案が示され議論の上で官房長官が首相に報告

②衆参正副議長から意見聴取

③閣議で決定

ここまでははっきりしているが、このあと、菅官房長官が11時30分から発表、正午から安倍首相が記者会見して説明するらしい。

一方、首相は陛下と皇太子殿下には速やかに説明するというから、官房長官の発表と並行してであろうか。

そして、陛下はその日のうちに政令に署名され、速やかに公布されることになる。かたちのうえでは、陛下の公式の署名より前に発表されることになる。

ただし、3月29日には、安倍首相から陛下に内奏が行われており、22日には皇太子殿下にも説明された。この場では具体的な案についても披露されたとみられている。

また、2月22日にも皇太子殿下に元号の問題にかかわらず国政や継承一般について説明が行われた。

さて、元号を事前に発表することについては、日本会議や神道政治連盟が猛反対してきた。元号は新天皇が決めるべきものであって、事前に決めて発表するのはおかしいということである。

しかし、元号を事前に公表しないと、コンピューターによる処理のための準備が5月1日までに間に合わない。本当は年初には発表して欲しいところだが、ぎりぎりが1か月前といわれる。

というわけで、このふたつの要請を同時に満たすのは無理なのであってどうしようもない。ではどうすればよかったのかといえば、方法は四つあった。

ひとつは、事務的にはすべて西暦に統一することである。池田信夫氏は元号廃止論だが、私はそこまで過激でない。しかし、事務的には使わないようにするというのは検討に値すると思う。そのかわりに、ありがたい雅号のように特別のときに使うというのがいいかもしれない。たとえば、正式の辞令とか公布文書とか戸籍とかにだけ使えばいい。そのほうがありがたみも出る。パスポートや運転免許証などには不要では無いか。

もうひとつは、今年一年は併用してどちらを使ってもいいとか、平成を続けると言うことだ。そもそも、昭和と平成の切り替えを考えれば、昭和64年1月7日午前6時33分に崩御されたが、当日はずっと昭和で、平成は1月8日から始まった。つまり、そのあいだ、17時間余りは今上陛下が天皇でありながら昭和だった。それなら、今年中は平成という解決も論理的には同じである。その場合、次の年号は来年から始めるのか、今年は平成31年であり新年号元年でもあるという解決も両方可能だ。

三つ目は、大晦日から元旦にかけて代替わりをすることだった。正月行事の重要性を宮内庁は主張してつぶしたらしいが、神事は誰かが代行するなどよくあることだ。昭和64年の元旦行事を昭和天皇はできなかった。掌典長が代行することも可能である。そもそも今上陛下は神事に熱心で、それは素晴らしいことだが、昭和天皇も、それ以上に明治天皇などそれほど熱心にはされなかったのであるから、神事を陛下が自らすべきだとあまり厳しく言うのは、明治天皇などへの批判である。

元号について建前を通すのが大事なら、正月行事は代行でということも可能だったし、あるいは、大晦日の早朝に代替わりと継承儀式を済ませて、新年行事は新陛下がされればよかった。それなら、2018年の大晦日の何時間かは新陛下だが平成ということになるが、それは平成の始まりと同じであって問題はなかったはずだ。

さらに、もうひとつは、御退位についての法制を先に定めて、いつ御退位されるかは、突然に予告なくすることだった。それなら、崩御に伴う代替わりと同じで、平成はいつまで続くか分からないから、新年号になるので事前に対処するという必要は無かった。世間で困っているのは、平成31年5月1日という日付けが存在しないことは確定しながら、新年号が予告されないということなので、たとえば、御退位の予告がされていないのなら事前に対処する必要がなかったともいえる。

いずれにしろ、もともと、すべての要素が満たされる解決などないのだから、それを政権批判に結びつけて、祝賀ムードにみずをさすべきでないと思う。そういうことで、元号というもののイメージを損ねる意図も感じられる。

また、事前に皇太子殿下にご説明することへの批判もおかしい。先に挙げた週刊誌記事のように、殿下が元号を決める権限を首相に奪われて口惜しいだろうから29日夕方の安倍首相による皇太子殿下への説明は殿下にとって屈辱的だというのも理解しがたいが、もう一方で、現在は今上陛下の御代なのであるから、皇太子殿下に首相が説明するのは陛下をないがしろにするものだというような人もいるが、これもおかしな話だ。

王位継承予定者と首相が会って話するのがいけないなどという発想はどこから来るのだろうか。古今東西、そんな考え方は無いと思う。

君主には帝王教育が必要であるが、最良のものは、歴代首相の考えを若いうちから聞くことだと思う。戦後、まことにおかしいのは、それがされていないことだ。悠仁さまだって、いまから、新陛下に首相が内奏するときに同席していただいていいくらいだ。

そして、さらに好ましいのは、2月と3月の謁見を出発点に、新しい陛下と首相が直接の連絡を密にすることだ。安倍首相より前からのことだが、これまで、ヨーロッパの君主と国王に比べて陛下と首相の対話が少なすぎたと思う。

それならば、一般に陛下は実質的な意見を首相にいっていいのかということだが、私はイギリスなどのように秘密が守られ、また、首相があくまでも参考意見として扱うなら肯定的だ。

イギリスでは女王は国家機密に触れられるし、なにごとについても首相に意見を言える。ただし、首相はそれを秘密にしなければならないし、それを受け入れるかどうかは首相の責任である。もし、女王の意見が外にもれたら大スキャンダルで、王制を廃止しろという声が澎湃として湧き上がるだろう。

たとえば、元号について、皇太子殿下の意見を首相が聞いてもいいのだと思う。しかし、それは聞いたかどうかも含めて永久に秘密であることが必要なのだと思う。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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