万葉集「梅の花」の序文は漢籍
平成に代る新しい元号が「令和」に決まりました。漢字を組み合わせた新造語ですから、まだこなれておらず、冷たい印象を受けます。「平成」の時も、それ以前の元号の時もそうであったように、使っているうちに国民感情が肉付けされ、馴染んでいくのでしょう。
今回の特色は、対中感情が悪化していることもあって、「中国の古典にいつまでも典拠すべきでない」という点です。私も「いつまで漢籍依存を続けるのだろう」と、思ってきました。安倍首相は記者会見で、開口一番、「歴史上初めて国書(日本の古典)を典拠とする元号を決定した」とまで強調しました。首相は「歴史上初」と言いたかったのです。純粋の日本の古典と皆が思います。力み過ぎでした。
新元号の決定では、早い段階から安倍首相は「日本の古典を含め検討すべきだ」と、周辺を誘導し、さらに万葉集からとった「令和」は意中の案だったといいます。元号決定の有識者懇(9人)に元号や古典の専門家は見当たりませんから、首相は思い通りに選定作業を進めてきたのでしょう。
ネット情報で真相が拡散
「国書を典拠」との発言に対し、1日の昼過ぎからネットに早速、「万葉集から引用したという部分は、中国・後漢の文人の古典が原典」という情報が拡散しだしました。「純粋の日本の古典と思っていたら、あれれ・・」です。「なんだ、漢籍が原典か」となると、「元号の中国離れ」という首相の願いとちぐはぐの感じです。
万葉集のころも、中国の影響なしに、日本の文化は存在しえなかったのですから、「日本の古典」と思ったものが「漢籍に原典があった」のは当然で、それで全く構わないのです。事前に知っていたのなら、首相談話、会見の際に、そのことに触れ、説明しておけば、それで済んだ。
それにしても、万葉集の梅の花32首の序文にある「初春の令月にして、気淑く風和らぎ」は、中国の古典にある「仲春令月、時和気清」(後漢の文人・張衡の誌、帰田賦)と、酷似しています。酷似というより、この詩を典拠にして、大伴旅人が書いたのだろうという説がもっぱらです。
出典の中国説を朝日は強調
朝日新聞は、この問題を解説原稿、学者の座談会でくどいほど言及しています。3面に「中国の文章を踏まえた令和」の見出しで、「漢籍の名文を集めた詩文集、文選にある張衡の帰田賦が出典」、「東晋の書家、王義之の蘭亭序が下敷き」と、解説しました。
15面の座談会でも、「令和は中国の古典に典拠を見つけられる。しかし、今回、(首相は)そのことに言及していない」「万葉集より古い詩文集、文選に収録されている帰田賦に同じ部分がある」との学者の発言を掲載しています。目立つ大きなスペースです。
張衡の帰田賦⇒王義之の南亭序⇒昭明太子の文選⇒大伴家持の万葉集を変遷を経て、「令和」にたどりついたという説をどこかで見かけました。元号の原典は中国発なようです。
首相がそのことを知っていたら、果たして「令和」を選んだか。提案者の中西進教授にそうした知識がなかったとは考えられません。なぞです。メンツをつぶされたと思った識者からは、「海外の素養を同化していくのが日本文化の強み。漢籍が典拠でもおかしくない」と。悔しさがにじんでいます。
NHKは会長が有識者懇委員、つまり決定に責任があることを意識したのか、しないのか、1日のニュースでは「漢籍の出典説」には全く触れませんでした。NHK会長が委員になることは間違いです。同じく読売新聞は2面の解説記事の中で6行、「令月と和の組み合わせは中国詩文集にもある」と。「にもある」は、必ずしも漢籍が原典であるとは限らないという意味を含めたのでしょうか。
米AP通信は「中国の古典を使った元号からの離脱」と、韓国紙は「安倍政権の保守色が日本の古典を出典とする元号誕生の背景」と書きました。「実は出典は漢籍」となると、こうした指摘は的外れとなります。「しっかりと説明する」が口ぐせの首相がそうしていれば、妙な誤解は聞かれなかったはずです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。