平成に咲いた徒花一輪:「世界に一つだけの花」の歌詞が好きになれない理由

2019年04月30日 17:00

遂に終わりを迎えた平成、そこで一番たくさん売れたシングルCDはSMAPの「世界に一つだけの花」との報道があった。販売枚数は300万枚を超えたという。ネット音源が大いに幅を利かせるようになった今日、これだけの数のCDが売れたとは実に驚いた。

Amazonのアーティストページより:編集部

Wikipediaには、この曲は2002年つまり平成14年7月に出たアルバムの収録曲だったとある。まさに平成を代表する楽曲ということだろう。また「作詞作曲した槇原敬之によると、依頼を受けて最初に提出した作品をボツにされ、締め切りが迫る中で書き上げたという」とも書いてある。

筆者は「徒花」と書いた。「徒花」を辞書で引くとこうある。「咲いても実を結ばずに散る花。転じて、実(じつ)を伴わない物事」と。さぞ大勢いるであろうフアンの方々には申し訳ないが、実は筆者はこの歌の歌詞がどうにも好きになれない。

そのこととその理由とを友人に話すと、ほぼ異口同音にこういう反応が返って来る。曰く、「お前は臍が曲がっている」、「あなたは考え過ぎよ」、「素直じゃないねえ」等々。好きになれない理由を書く前に、先ずはその歌詞をおさらいしよう。(太字は筆者)

「世界に一つだけの花」

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で一番になりたがる?

そうさ 僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように

そうさ 僕らも世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

さて、筆者がこの曲の歌詞をなぜ好きになれないかだが、先ずは蓮舫の「2位じゃだめなんですか?」を思い出すからだ。2009年9月から2012年12月末まで3年余り続いた、あの悪夢の民主党政権の幕開け飾ったTV中継入りの事業仕分けで官僚らを前にいい放った一言だ。

筆者も国民の多くも唖然として耳を疑ったはずだ。が、どうだ、「世界で・・」の歌詞も、槇原流の誤魔化しで「もともと特別なOnly one」と続けることで巧みに論点ずらしをしているものの、歌い出しから「NO.1にならなくてもいい」と蓮舫と同じことをいっている。

確かにこの歌の歌詞全体から受ける印象は一見もっともらしい。しかし、一見もっともらしいけれどもよくよく考えるとどこかおかしいことが世の中には間々ある。作者本人も「最初に提出した作品をボツにされ、締め切りが迫る中で書き上げた」と述べている。つまりは深く考えることなくそれらしい言葉を並べて書き飛ばした訳だ。

「もともと特別なOnly one」もそれに当たる。diversity(多様性)などという言葉が使われるはるか以前から、それこそ人類が誕生した時から全員が違う個性の人間であることは自明のことだ。が、それは磨かざる原石の違いの類であって、磨かれた玉としての違いではない。

「NO.1にならなくてもいい」とは、すなわち磨かなくて良いといっている、あるいは聞き手が無意識にそう解釈していることに他ならないのではあるまいかと筆者は思う。が、向上心を失い努力をしなければ人間は進歩しない。「鶏口牛後」というではないか。小さい集団だろうがトップを目指すべきなのだ。

「人間はどうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で一番になりたがる?」も一見もっともらしい。が、果たしてそれは悪いことだろうか。筆者はそうは思わない。なぜなら人のふり見て我がふり直せないようでは向上心を持続することは難しい。要は妬み嫉みがいけないだけだ。

まして比べるのは生きている者や周囲にいる者に限らない。それは偉人の伝記を読んで感動することを考えればすぐに判ること。本を読むだけでなく、報道を見たり他人の話を聞いたりして感動し、そういう人間になりたい、そういう職業に就きたいと思う、これだって比べることに相違ない。

最後に一番もっともらしいが、一番おかしいと思うところ、それは「花屋の店先に並んだいろんな花」という部分だ。なぜなら、花屋の店先に並ぶのはそもそも選ばれたエリートの花だけだ。見た目の悪いのや雑草の類はそもそも花屋の店先には並ばずに放って置かれる。

こういった一見もっともらしいがよく考えるとおかしい、皮相的で浅薄な歌詞や言句が持て囃され、地道な努力や勤勉さがダサいと疎まれる、そういった側面が平成という時代にあったことは否めまい。ゆとり教育が取り入れられたり、教育勅語が否定されたりするのも、これに一脈通じるだろう。弱者の権利が声高に叫ばれるのも同様で、黙ってはいても日本人には元々惻隠の情が備わっている。

そういった風潮が平成の後半を覆った長い経済低迷や世界と比べての学力低下を生んだのではないか、と筆者には感じられてならない。令和は、日本人みなが、立派な他者と比べてそれを妬むのでなく、素直に我が身を振り返り自らを磨く努力を地道にするような、そんな時代にしたいものだ。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。

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