トランプ「日米同盟破棄言及」をチャンスに変えよ

梶井 彩子

日米同盟に変化の時がやってくる?

「米国にとって不公平だから」と、トランプ大統領が日米安保体制の「撤回」に言及した、というニュースが報じられています。思い返せばトランプ大統領は選挙の時から「米軍基地は撤退だ」と言っていたので、驚くことではありません。

Gage Skidmore/flickr

これを日本はどう受け止めるのか。日米同盟の在り方、日米関係の今後を考えるいい機会ではないでしょうか。

対米関係でいうと、5年前の安保法制もそうでしたが、今回のトランプ大統領来日で、いわゆるリベラル(左派・護憲派)と分類していいであろう方々が、アメリカに対する日本の過剰適応(に彼らには見える状態)に激しい怒りをぶつけていました。今回も、トランプ発言に左派が沸いているようです。

私も親米保守には疑問を感じる程度には反米ですが、「そうか、そんなにアメリカが嫌いなのか……」と今回も、5年前も思いました。これは結構大きな発見でした。「左派の皆さんは、(右派とは違って)戦後体制を肯定していると思ってたんだけど、違うのか……?」という次の問いが見つかったからです。

近年では、戦後一貫して左派が反対してきた在日米軍基地のみならず、日米地位協定や日米合同委員会、横田空域に至るまで、「米軍(米国)支配と言えそうなもの」に左派から批判の声が上がるようになりました。これらすべて「戦後体制」の賜物です。

翻って右派は、もはや「在日米軍は必要悪」を通り越して「あってしかるべき」というところまで来てしまっています。「戦後体制」から脱却したい、日本は自立せねばと願ってきたのが右派のはずなんですが、おかしいですね。しかしさすがに憲法だけは、実務的(自衛隊の運営上)問題もあるので改憲したい。

いずれにしても、戦後のアメリカとの関係を含む日本の歩みの中で、右派と左派が問題視しているものを「戦後体制」という箱の中に放り込んでみれば、いずれの立場もアメリカとの関係において清算しきれていないものがある、という意味では一緒。アメリカをこじらせているというか、占領の呪縛はまだ解けていないということになります。

これが何とアメリカのほうから「もう呪縛解いてもいいんじゃない」と言ってきたわけで、トランプ大統領のブラフであっても、いい機会ですからもう一度日米安保の意義や国内の議論を再確認したいところです。

また、「喜んでる場合じゃなくて、防衛体制の構築にものすごくカネがかかる!」という話も、ゼニカネの話になって初めて、自国の安全保障に真摯に向き合うことができると考えれば、いい機会であることに違いはないでしょう。

「戦後の国際社会の体制」は右も左も大筋で支持

右派も左派も不満を持っているこの戦後体制=占領政策の継続を、私たちはどう乗り越えればいいのか。

一案としては、「右派が(否定すべき)戦後の象徴だと思っている憲法9条を改正すると同時に、左派が(否定すべき)対米従属の象徴だと思っている地位協定を同時に改正・改定する」ことでしょう。実際、9条と地位協定はセットで存在している。この点については左派からも「地位協定という対米従属から逃れるためには憲法も考えなければならない」というところまでは声が上がり始めています。

そしてもう一つは、「日本が主体的に、国際社会への貢献を行っていく」という共通理念を国民が自発的に持つことです。

右派であれ左派であれ、もちろんすべてを全肯定してはいませんが、「戦後にできた今の国際社会の体制」について根底から否定してかかっている人はそう多くないと思います。右派であれ左派であれ、おおよそでは、現在の国際社会の方向性に歩調を合わせていきたいと思っているわけです。

今の国際社会の中心にいるのはアメリカ。国連という機関があっても、ビッグな力を持っているアメリカは国連を振り切ってでもやりたいことをやってしまう。「そこに巻き込まれたくない!」という人たちが、「安保法制を通して、アメリカの都合で始まる戦争に駆り出されたらどうすんだ!」と反対してきた。

では右派のどのくらいの人たちが、「アメリカの戦争は正しいから一緒にやるべきだ!」と思っているのか。ケースによりけりとはいえ実際は、「いや、だってアメリカがおかしいと思っても、9条で軍隊を持っていない日本はアメリカに守ってもらってるんだから、言うこと聞かないわけにいかないじゃん……」というくらいの方々が大半でしょう。

「アメリカのため」ではなく「世界と自国のため」に

陸自サイトより:編集部

自衛隊が海外派遣される事態となった場合、それが「アメリカの勝手」なのか「国連で認められたことなのか」。アメリカ一国の勝手に付き合わされるのはごめん。しかし国連のオペレーションとしてやるならどうでしょう。

安保法制の時に最も混乱したのがこの点でした。つまり、「アメリカのため」なのか、「世界のため」なのか。ここが分けられていないのが問題だったのです。

戦後の歩みを肯定し、「戦前に回帰しない」と強く誓い、国際社会との協調を重視する左派であれば、本来は「国連の活動には積極的に関与する」ことに賛成するはずです。それが武力を行使するものであったとしても、行使することによって平和を作り出そう、現在の国際社会の基盤を守ろうとしているわけですから。

なにより、憲法前文にはこうあります。

われらは平和を維持し、専制と隷従圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものでありこの法則に従ふことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

この理念を重んじるのであれば、日本が国際社会に貢献することは憲法の理念そのものと言いえます。そしてそれが結果的に、日本を守ることにもなるのは言うまでもないし、そのためにアメリカとの協力を必要とするならば、それはそれでいいわけです。占領の継続としての日米関係ではなく、日本の理念の実現のために必要な日米関係、という意識の転換が必要になります。

自由主義陣営の一員としての自覚と誇りを

日本は自由主義陣営の一員として、国際社会の安寧に寄与する、積極的に貢献していくという大きな世界観から、「そのために何が必要なのか」を下ろしていけばいい。その発想からであれば、改憲も地位協定の改定も、あるいはその先まで、右であれ左であれ、「途中までは一緒にやれる」はずなのです。

先の香港デモに対する左右両派の見解はまさにそうでした。反中国であれ、香港市民に寄り添ったものであれ、「人権は抑圧されてはならない」という、自由主義陣営の一員としての自覚が意識されたのではないでしょうか。

少なくとも未来を見据え、世界に貢献する日本の在り方を共有できれば、未来志向の建設的な議論ができる。「日米同盟は不公平だ! 解消だ!」はトランプ大統領の持論ではあるけれど、これを契機に「右と左が一緒に」対米関係を昇華させる議論をしてもいいのではないでしょうか。

梶井 彩子  ライター

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