石破氏の一部憲法学者への絶対忠誠心をいぶかる

篠田 英朗

石破茂元自民党幹事長の発言は、ニュースで頻繁に取り上げられる。もっぱら安倍首相の批判者としての役割を期待されてのことだろう。

ホルムズ海峡における民間船舶護衛の有志連合への参加は、「現行法では難しい」という。

参照:現行法では困難=中東・有志連合への日本参加-自民・石破氏(時事通信)

93項改憲は、1項・2項を無効化するもので、「整合性が取れない」という。

参照:石破茂氏、安倍改憲案を一刀両断──「整合性がない」(週刊金曜日オンライン)

石破氏は大変な読書家だという評判らしいが、私の本は絶対に読んでくれない(篠田英朗『集団的自衛権の思想史』、篠田英朗『ほんとうの憲法』、篠田英朗『憲法学の病』)。

では2014年安保法制懇談会の議論などはどうか。安保法制懇は、憲法91項にそって2項を読む解釈を簡潔に示した。しかし石破氏の視野には、安保法制懇の議論も全く入ってこない。

井上武史・関西学院大学教授のような良心的な憲法学者も視野に入らない。

参照:篠田英朗×井上武史「『憲法学の病』出版記念対談」 #国際政治チャンネル 52(ニコニコ生放送)

どこまでもただ一部の憲法学者の見解だけが存在し、それ以外の憲法理解は、この世に存在していないのと同じのようだ。

一部の憲法学者だけが、まず92項を彼らの主張する独特の「戦力」「交戦権」の理解に従って読み、それから91項に戻って憲法を解釈しなければならない、と主張している。これによって国際法遵守を求めているはずの9条の全体が、国際法に反した独特の意味を持つようになる、と説明している。

この一部の憲法学者による、2項によって1項の意味を変える「ちゃぶ台返しの解釈」は、法解釈として「尋常ではありません」、と憲法学者の安念潤司教授は指摘する。(「集団的自衛権は放棄されたのか憲法九条を素直に読む」松井茂記(編)『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』[有斐閣、2016年])。

それもそうだ。この「ちゃぶ台返し」の解釈によって、「不戦条約」や「国連憲章」のコピペの文言でできている91項までもが、なんと国際法に反した意味を持つなどと説明されてしまうのだから。確かに「尋常ではない」。私は、この一部の憲法学者による「ちゃぶ台返し」解釈は、奇異で根拠のない憲法解釈だ、と主張している。

しかし、石破氏らは、一部の憲法学者によるこの「ちゃぶ台返し」解釈だけを、唯一無二の憲法解釈として信奉し、それ以外の憲法解釈の余地を認めない。解釈を確定させるための93項を追加しても、ダメらしい。ただ3項が1項・2項を無効化してしまうだけだ、という。

2項が「ちゃぶ台返し」で1項の意味の逆転させることを要求する。その後、3項がさらに2項・1項の意味を逆転させる「ダブルちゃぶ台返し」を行うことになるのだという。

なぜこのような複雑怪奇な憲法解釈に固執するのか。

素直に1項から順に2項を読み、その流れで憲法解釈を確定させるものとして3項を読めば、それで済む話だ。それなのになぜ「尋常ではない」法解釈に固執するのか。なぜ石破氏は、そこまで徹底的に一部憲法学者への忠誠心を強く持ち続けるのか。

いずれにせよ、国際的に理解される議論ではない。ホルムズ海峡問題は、参院選後に切迫してくるのではないか。一部憲法学者の「尋常ではない」憲法解釈のために、また日本の国家政策が迷走していくのかと思うと、残念でならない。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室