大日本帝国は多民族帝国:(続)日韓併合を憲法学者はどう説明するのか

篠田 英朗

先日、「日韓併合を憲法学者は、どう説明しているのか」という文章を書いた。わかりにくかったかもしれないので、少し補っておきたい。以下は、私が書いたことの要約である。

かつての憲法学に日韓併合の法的効果を否定する議論はなかった。ところが現在では韓国政府だけでなく、日本の「知識人」たちも法的効果を否定している。そこで現代の憲法学者が、どう捉えているのかが気になる。しかし、それは不明である。

しかし、不明では困る。曖昧になっているから、「日本の韓国に対する戦争責任」などという頓珍漢な言説まで広まる社会現象も起こってしまうのではないか。

参照:日韓問題を混乱させる単純な錯覚(池田 信夫)

参照:GSOMIA破棄 自民・石破氏「日本が戦争責任と向き合わなかったことが問題の根底」(産経新聞)

大日本帝国の法制度については、私自身、いずれもう少し勉強したいと思い始めている。ただ今現在は、『憲法学の病』を公刊した後で、本当の専門分野(国際政治/平和構築)の仕事に時間をあてているところだ。そこで、まずは専門の近い憲法学者を含めた「知識人」同士で、議論を進めておいてほしいと思っている。

石川健治・東大法学部教授(ビデオニュース・ドットコムYouTubeより:編集部)

石川健治・東大法学部教授の論文から引用しよう。

かつての大日本帝国は、複数の異「民族」によって構成された多民族帝国であり、今風にいえば、複数の異「法域」をかかえ込んだ「一国多制度」の国制であった。

(石川健治「憲法のなかの『外国』」早稲田大学比較法研究所叢書41『日本法の中の外国法 基本法の比較法的考察』所収[2014年])13頁

一元的な「帝国」の中に、異なる法制度を持つ地域があった、と言うのは、まあ、わかる。一つの大日本帝国の中に、地域ごとに異なる法制度の部分もあった。

ところが、この論文で石川教授は、「帝国憲法が及ばないという意味で、『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、とも書いている。これは修辞的な表現なので、混乱する。

大日本帝国憲法が適用されないのであれば、「憲法のなか」などではない。「外国」だ。逆に、憲法が適用されるのであれば、それは「外国」ではない。

「多民族帝国」の国制は、異なる複数の法域を抱えた法制度であった、というのであればまあわかる。憲法が適用されても、地域ごとの特別法は存在する。だがそれは、「憲法のなかの外国」などといった修辞的表現で言い換えたりする話にはつながらない。

現代の「知識人」たちに気を遣っているのだろうか。混乱する。

清宮四郎(1953年「アサヒグラフ」より)

石川教授の師匠の師匠であり、戦後憲法学のスタンダード基本書の一つを提供し、改憲に反対する社会運動でも「護憲派」の旗手として行動した清宮四郎の戦中の著作に、『外地法序説』(1944年)というものがある。それに先立って清宮が1940年に発表していた「帝国憲法の外地適用」という論文は、『憲法の理論』(1969年)に収められている。

清宮によれば、「帝国憲法の外地適用とは、帝国憲法が何らかの仕方において、外地といわれる地域に通用することを意味する」(131頁)。「全面的適用説」を唱える佐々木惣一・京都帝大大学教授に反して、清宮は、美濃部達吉・東京帝大教授、宮沢俊義・東京帝大教授らと同じく、「一部適用説」を主張する。それは、憲法の外地での適用のされ方には、様々な法制度にもとづいた様々な形態がある、という意味である。「朝鮮・台湾及び樺太の如きもの」=「狭義の領土たる外地」に適用されても、「関東州及び南洋群島の如きもの」=「狭義の領土たらざる外地」には適用されない帝国憲法規範もある(152頁)。朝鮮半島は、全面適用地域である。

それぞれの外地ごとの憲法適用の違いは、「天皇の裁断」によって決まる。なぜなら「外地領地は内地領地と相合して帝国の綜体領域を形成し、外地領民と内地領民とは相合して帝国の綜体領民を形成し、いずれも、帝国に所属し、帝国における統治権に服する」からである。「外地に対する統治権と内地に対する統治権とは、ともに、帝国における統治権として、究極において、或る一点に帰一し、統一され、一元化されていなければならない」。「国家において、何人が統治の主体であり、統治権の総攬者であり、最高の統治者であるか、に関する規範は、統治の本源に関し、統治の根本のまた根本に関する規則である。これを基本的統治法たる憲法と名づけて置く。」(152-154頁)。

清宮によれば、「外地」の全てに、天皇の「統治権」が及んでいる。だから、憲法の適用の仕方も「天皇の裁断」次第で決まるのであった。<=朝鮮半島には、「天皇の裁断」によって、帝国憲法が完全に適用された。>

ところが石川教授は、「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」といった謎めいたレトリックを駆使する。清宮四郎は、そんなことは言わなかった。むしろ清宮は、「外地は、いうまでもなく、外国ではない」、と断言していた(152頁)。だからこそ清宮は、「基本的統治法たる憲法は、必ず、内地・外地に共通に通用し、一元的でなければならない」と力説した(153頁)。

清宮研究に造詣の深い石川教授は、「大日本帝国は、複数の異『民族』によって構成された多民族帝国」だったと言いながら、なぜ「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、などといったオリジナルなレトリックも使うのだろうか。石川教授のオリジナルなレトリックのほうは、根拠が不明である。石川教授自身の説明が必要だと思われるのだが、見つからない。

だから私は、現代の憲法学において日韓併合は何だったのかが、「不明である」、と書かざるを得ないのである。

そこでまた同じ文章で、今回も結んでおかなければならない。

日韓関係の緊張関係にともなって「歴史認識」問題が深刻な外交問題にまで発展している。日本の憲法学者のきちんとした見解の表明が待たれる。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室