歴史教科書で反日の理由が判明!韓国には2つの「歴史」がある

田村 和広

韓国人の歴史観は日本人にとって理解し難い。そこで「どのような知識と考え方が国民に注入されているのか」を知るために、韓国の歴史教科書を検証した。すると、現在起きている歴史にまつわる諸現象について、その理由についてだけはわかった。(もちろん内容はとても許容できない。)

安倍政権を糾弾する反日デモ(KBSニュースより:編集部)

検証に使用した教科書

大槻健・君島和彦・シンキュソブ訳『【新版】韓国の歴史【第二版】国定韓国高等学校歴史教科書』(世界の教科書シリーズ1、明石書店)を用意した。

この教科書は、「韓国教育部 国史編纂委員会・一種図書研究開発委員会編の上下巻」を1冊にまとめ日本語に翻訳された書籍である。原典は主に1996年(一部1999年)に発行された国定教科書ということである。

3名の訳者と明石書店には心より感謝したい。この書籍は、日本人が韓国人の状況を知る上で大変貴重な資料である。主張の内容は受け入れられないものであるが、日々の謎多き言動の理由はだいぶ理解できるようになる。

なお、日本語訳の書籍なので、多少は翻訳による原典との差異もあるだろう。翻訳物にはその点の注意が必要だ。

例えば戦前の日本語翻訳版『マインカンプ(わが闘争)』では、ヒトラーが日本民族を蔑んだ描写を翻訳者の配慮で省いてしまった。そのためヒトラーの考え方が為政者・軍政家をはじめ多くの日本人には伝わらなかったことなども、三国同盟締結の背景の1ピースだったと筆者は考えている。

(逆に最後の海軍大将井上成美は海軍軍務局長時代にマインカンプを独語の原典で読み、ヒトラーの本質と侮蔑的日本観を看破し三国同盟締結を阻止していた。)

また金泳三政権時代に編纂された歴史なので、「反日・愛国・反北」主義が鮮明に反映されている。

(「積弊清算」が反映されている今の教科書も本当は読んでみたい。)

韓国国定教科書における「歴史」の定義

同教科書では、はじめに歴史についての説明がなされる。

「歴史は事実にもとづく学問である。したがって過去にあった事実は恥ずべきとして隠蔽することのできるものではなく、誇るべきとして誇張することもできない。それは虚偽で歴史を飾ることができないからである。」(同教科書P3より引用。太字は筆者)

韓国でもやはり、「歴史は事実にもとづく」「虚偽で歴史を飾ることができない」という定義がなされていることが新鮮だった。現実にはそうではないので「仮定法」的記述法であろうか。

次にいきなり「恥ずべきとして隠蔽」がくるところ、やはり歴史に対して心中強い劣等感や屈辱感を抱えていることが伺われる。そして、そのわずか13頁後に、韓国における「歴史」の定義の本質が登場する。

2つの「歴史」

教科書のほぼ冒頭にある「① 歴史と歴史学」という項目で、歴史について極めて特徴的な次の記述がある。

「歴史とは(中略)“過去にあった事実”と“調査された過去”という二つの意味を持っている。すなわち、歴史という言葉は“事実としての歴史”と“記録された事実”という二つの側面をもったものと定義されている。」(同書P16、太字筆者、以下同じ)

「歴史という用語は、客観的事実としての歴史とこれを土台にして歴史家が主観的に再構成した歴史という二つの側面を意味している。」(同書P16)

3回も繰り返しているが、要するに韓国の教科書では歴史には2つの定義がある。

歴史の定義1:「客観的事実としての歴史
歴史の定義2:「歴史家が主観的に再構成した歴史

このように「歴史の定義」に2種類あることが、韓国の歴史観を理解する上で核心的に重要な部分である。

教科書「山川日本史」上における「歴史」の定義

比較対照のために、日本側は山川日本史から引用する。

「数百年前からの、地球上における人類の長い歩みがあった。その歩みを知ろうとするのが、歴史という学問である。」(山川日本史P1)

見ての通り、能動的に「事実を主観的に再構成する」という考え方は日本人にはない。ただし、結果としてそうなるということは知っている。

歴史家が主観的に再構成した韓国史の例

例えば韓国では、国家の起源を次のように定義している。

「最も早く国家として発展したのが古朝鮮であった。古朝鮮は檀君王倹によって建国されたという(B.C.2333年)」(同書P41)

ここを読むと、日本人ならば次の様な疑問は当然湧き上がる。

  • 文字記録もない時代に、「檀君王倹」という表記はどう書いて、その情報をどういう媒体で保存・伝承してきたのか?
  • 文字記録もない時代の年号なのに、どうして「紀元前2333年」という精密な建国年が判明したのか?

しかし、これこそ、「歴史家が主観的に再構成した歴史」と考えれば、その理由は判明する。つまり、「建国」から約3500年後である13世紀に、一然という人物が書いた『三国遺事』という記録の中で触れられた(おそらく創作と見なされる)神話「天神の子と熊から人になった女性を親とする檀君王倹が建国した」が根拠なのである。

「歴史家、つまり一次資料の筆者一然とそれを調べた現代歴史家が、主観的に(こうであったらいいなという願望に基づき)再構成(創作)した歴史」なのである。今から約800年も前に書かれた“歴史的古文書”に記述されているという事実に基づいた、科学的根拠を持つ建国の歴史なのである。

これは、韓国人にとっては、「歴史的古文書に記録が残っている建国の歴史的事実」なのである。つまり科学的に検証された根拠を持つ「真実の歴史」となる。

この思考方法が「従軍慰安婦」の主張のベース

この思考方法によれば、「強制連行した(された)と主張する証人達がいる。それを日本の新聞が報道記述した。

更にそれを日本の歴史学者や日本政府(河野談話)も認めた。国連までもが認めた。」という事実があるので「従軍慰安婦」という人権問題は「歴史的真実」なのである。

それが過去に本当に起きたかどうかとは無関係に存在することができる「歴史」なのである。

際立つ矛盾をはらむ歴史認識

しかし同時に、これは明確に自己撞着をおこしている。

「記録された事実としての歴史は、科学的認識を土台に学問的検証を経た事実を表したものでなければならない。」(同書P16)

「事実を離れた恣意的解釈と叙述は、歴史の事実をゆがめるからである。」(同書P17)

この教科書では、自らの叙述を「歴史の事実をゆがめたもの」であることを、自ら認定しているとしか思えない。

これは、アリバイ作りの虚言だろうか。それとも筆者たちの抵抗なのだろうか。もしかして認知機能由来の現象なのだろうか。

その真意は筆者にはわからない。異文化のギャップかも知れない。

まとめ:歴史の教科書を調べてわかったこと

  1. 韓国には、「客観的事実という歴史」「歴史家が主観的に再構成した歴史」という2種類の歴史がある。
  2. 韓国側が主張する歴史とは「主観的に再構成した歴史」である。一方日本の歴史とは「人類の歩みを知ろうとする学問」である。そもそも違う事柄を同じ「歴史」という表記で指し示しているので話が噛みあわない。
  3. 事実として、「韓国とは、矛盾を孕む歴史の定義を国定教科書として掲載する国」である。

次回はいよいよ、「日韓基本条約」をめぐる日韓間の認識の違いを明確化したい。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。