これまでも韓国の大統領の反日言動はされていたが、文在寅大統領のはとくにひどいように見える。そのあたりを少し分析的に見ていこう。
すでに書いたように、韓国はその成り立ちからして反日が「国是」のようになっている。しかも、歴代の大統領はつねにエスカレートさせている。前任者より一歩進まないと後退させたとみられるからだ。
とはいえ、かつては、任期の初めは融和的な姿勢が目立ち、だんだん、反日色を強める傾向があった。それは、就任早々は支持率も高く余裕があるので、日本に融和的な姿勢を見せて実利を得ることで基盤強化が図れると思ったのではないか。
それに対して、日本側は融和姿勢への受け止めが必ずしも上手でなく、むしろ、厳しく出た方が妥協的になるような傾向もあったと思う。
金大中については、すでに解説したことがあるので、今回は盧武鉉、李明博を中心に朴槿恵まで三人の大統領の対日政策を振り返ろう。
盧武鉉大統領(2003~2008年)のときは、最初は、「私たちはいつまでも過去の足かせに囚われているわけにはいかない」とし、当時の小泉純一郎首相との間でシャトル首脳会談を創設した。
この時期の盧武鉉による反日は、日本に対するよりは韓国内の保守派に向けられた。それがゆえに、当初は日本に直接の被害はなかったのである。
つまり、2005年には、「親日反民族行為者財産調査委員会」 が創設されて親日派財産を没収し、「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行された。
さらに、日本に植民地支配への明確な謝罪と反省、賠償を要求したが、これには、小泉首相が靖国参拝を繰り返したことも影響した。そもそも、中国が総理などの靖国参拝に反対しているのは、いわゆるA級戦犯のなかに日中戦争の責任者でとみられる人たちがいることを理由にしており、もし、A級戦犯を分祀したら、中国は参拝にそれほど強い批判はしないとみられている。
それに対して、韓国には中国のような明確な参拝反対理由はないし、もし、明治以降の戦争のすべてを問題にされたら、A級戦犯を分祀したところで同じことであって、靖国神社の存在そのものへの反対なのであるから、日本側としてはいっさい相手にするべきでないのである。
また、盧武鉉は日本とドイツを同一視して、ドイツ訪問のときには同調を求めたりしたが、かえってナチスの蛮行を甘く見ることにつながるという批判も受けた。
ちなみに、このときの首相だったシュレーダーは、退任後にロシアのガスプロムの役員となって批判を浴びたが、離婚して韓国人女性と結婚し、そののちは、韓国目線での日本批判を行っているが、まったく、政治家としての誇りもなにもない醜態ぶりである。
米国はアメリカ政府幹部に日本を共通の仮想敵国に規定しようと提案したといわれ米国を呆れさせたが、その当時、日本では報道されなかった。
ただし、米国については、反米思想であることははっきりしていたが、文在寅と違って現実重視で、イラク戦争に派兵してみずからの支持層から猛反発を受けた。
ずいぶんとひどい大統領で、弾劾はなんとか切り抜けたものの、石もて追われるように任期を終えたが、離任後に親族の汚職容疑で追い詰められて自殺した。そのために、同情が集まり人気が回復した。そのために盧武鉉路線への反省があいまいになり、それが首席補佐官で盟友だった文在寅の大統領就任を助けた。
任期途中で人気が落ちると反日化した、最たるものが、李明博であって、就任したときは、麻生内閣が低支持率に悩んでいたときで、そのあと民主党政権になって、稚拙な外交を繰り広げたので、少し気の毒だった。
李明博大統領(2008~2013年)は、大阪生まれで、生まれたときの名前は月山明博。一説によれば、明治天皇の明と伊藤博文の博だという。まさかと言う気もするが、「明」と「博」という字についてそういう由来を意識しなかったはずがなかろうから本当だと思う。
李明博は、「わたし自身は新しい成熟した韓日関係のために、『謝罪しろ』『反省しろ』とは言いたくない」「日本は形式的であるにせよ、謝罪や反省はすでに行っている」と比較的前向きの姿勢を示し、歴史認識問題で日本に謝罪を求める考えはないことを明らかにしたし、2011年訪日して天皇陛下に訪韓を要請した。
李明博の新自由主義的な経済政策はそれなりに成功した。しかし、米国とのFTAにともなう牛肉の輸入自由化は国民の反発を招いたうえに、リーマンショックに遭遇した。ウォン安に対して野田政権と交渉して通貨交換協定を130億ドルから700億ドルに拡大して救済してもらったりもした。けっこう手堅い手腕を見せたのだが、景気の悪化は国民の支持を失う結果となり、兄の汚職事件もあって、反日に活路を見出すことになった。
とくに念願としていた天皇訪韓も実現せず、それにかえて、慰安婦問題での追加措置を求めたが野田政権はにべもなく拒否した。そこで怒った李明博は、それまでの大統領も控えていた竹島上陸という暴挙に出て日韓関係は最悪の状況のまま任期切れとなった。
もちろん、李明博は現代建設の社長をつとめた有能なビジネスマンであったが、政治家としては経験が浅かったのが惜しまれる。
しかし、李明博にとって気の毒だったのは、その任期がほぼ民主党政権と重なったことである。十分に練られているとは言い難かったがそれなりに対日関係に前向きだった李明博を上手に面子が立つように誘導することなく、原則論を繰り返した民主党政権側にも責任があると思う。
天皇訪韓については、クリアすべき問題が多いが、もし実現するならどういう条件が整うべきなのかしっかり説明すべきだったし、あるいは、無理なら皇太子訪韓ならどうかとか、対応はいろいろあったかと思うのである。
そのあとが朴槿恵大統領(2013~2016年)だが、彼女の場合は、父親の経歴などから親日的でないかと思われたのだが、就任早々から反日で「告げ口外交」を繰り広げた。
これは、ひとつには、父親の経歴から親日派とみられがちなので、あえてそういうポーズを取らざるを得ないという見方もあった。しかし、呉善花さんなどは、最初から、彼女の世代は反日教育(韓国では保守政権のもとでも歴史学者たちはわりに左寄りで、日本の戦後教育に似たようなところがある)を子どもの時から受けてきたので、親日だという期待は甘いと指摘していたが、まさにそういうことになった。
もうひとつ、金大中までの大統領は、日本統治時代を自分で経験しており、ひどいことばかりの時代だったというわけでないことを知ってたが盧武鉉以降の若い世代は自分では知らずにデタラメな歴史教育を通じてしか知らないと言うことがあるし、朴槿恵の場合は、貧農の子であったのが日本統治のお陰で教育を受け成り上がれた父親の本当の人生から目を背けたかったのだと思う。
しかし、安倍首相が一方で毅然と対応し、他方で朴槿恵大統領自身への批判は抑制し対話を求めた結果、オバマ政権の仲立ちもあって、2015年には、慰安婦についての「最終的かつ不可逆的な解決を確認」する合意がされるなど任期後半には融和的になっていった。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授