「韓国の悲劇」とドイツの戦後賠償:石破茂氏に異論あり

2019年09月01日 06:00

閣僚や自民党三役を歴任した大政治家である石破茂氏のブログ「日韓GSOMIA、訪印など」に、一介の在野のディレッタントが異論を述べるなど真に畏れ多いことだが、そこは懐の深い石破氏のこと、笑ってお許しをいただけると思う。

Wikipediaより:編集部

筆者が引っ掛かったのは以下の二ヵ所だ。

日本と朝鮮半島の歴史、特に明治維新後の両国関係を学ぶことの必要性を強く感じています。日韓関係については、前回ご紹介した碩学、故小室直樹博士の「韓国の悲劇」が最も読みやすく・・

我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます。・・ニュルンベルグ裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならないと考えます・・

一つ目に「前回ご紹介した」とあるので石破氏のブログに当たってみた。そこにはこうあった。

故・小室直樹博士の「韓国の悲劇」(カッパビジネス・昭和60年)は誠に優れた深い論考です。30年以上も前の、中曽根康弘総理・全斗煥大統領時代に書かれたものですが、それだけに本質を見極めておられるように思いました。

小室博士の・・一連の著作には随分と蒙を啓かれたものですが、本作も、いま書店に平積みしてある「嫌韓本」とは全く厚みを異にする論考です。

筆者も小室信者としては人後に落ちないので、書棚には憲法・宗教・経済・中国など原論物、ソ連・韓国・昭和天皇など悲劇物、国際法学者色摩力夫氏との共著、そして日下公人氏との対談「太平洋戦争、こうすれば勝てた」等々の三十冊近くが並んでいる。

が、「韓国の悲劇」が「読み易い」とはご自身が碩学の石破氏にして言えること。浅学を自任する筆者には、その語り口の平易さとは裏腹に実に難解な内容で、再読再再読によっても容易に小室氏の言わんとするところが理解できなかった。カッパビジネスだからといって決して侮れない。

要するに、古今東西の歴史の知識は当然ながら、宗教、国際法、倫理学、論理学、心理学、社会学、経済学から果ては民族学等々の、ありとあらゆる分野に渡って一定程度の予備知識を持ってから読むのでないと歯が立たない、そこらの嫌韓本とは「厚みを異にする論考」なのだ。

倉前盛通氏が「大変にきびしい韓国論である」とカバーに書いている通り、日本にも韓国にも厳しい内容だ。筆者がそこから読み取った日本にとって一番厳しい指摘は「朝鮮人に対する差別がなくなっていないこと」であり、韓国にとって最も厳しい指摘は「何でも韓国が本家で日本が分家という論理」だ。

つまりは双方が相手を軽んじているということで、小室氏は「差別は人類の宿痾だから、対症療法では治せない」とする。が、世界に通用する円と通用しないウォンの話から「一見、旭日昇天の韓国経済だが、日本経済との格差を如実に見せつけられる思いがする」として、結局は、韓国を大目に見よ、と仄めかしているように筆者には読めた。

しかし、筆者はこの本が1985年に書かれたことを石破氏が軽視なさったと思う。ご自身も「30年以上も前」に書かれた本だが「それだけに本質を見極めておられる」とされる。確かに1985年の時点で考えられ得る限りの「本質を見極め」た内容だが、実はこのタイミングが最も重要なのではあるまいか。

1945年8月に光復した韓国は、反米・反日だが極めて強固な反共の李承晩が国づくりをした。その後クーデターで政権の座に就いた朴正熙も一時共産党員だったが、後に反共に転向し日韓国交正常化を果たした。そして朴暗殺後にクーデターで政権を取った全斗煥時代に「韓国の悲劇」は書かれている。

勿論、「漢江の奇跡」と世界が瞠目した経済発展は果たしつつあった。が、韓国の民主化は1988年2月に初めて直接選挙によって大統領となった盧泰愚の第六共和憲法まで待たねばならない。その後、経済格差はかなり縮まったが、もちろん執筆時点は朝日が書く前だから慰安婦問題も起こっていない。

ましてや金大中、廬武鉉そして文在寅と続く親北容共政権の出現や、一連の日韓国交正常化協定を揺るがすような事態が起こるとは、小室氏の慧眼をもってしても思いもよらぬに違いない。令和を迎えた現時点で小室直樹氏が韓国を書いたなら、その題名はきっと「韓国の喜劇」としたのではあるまいか。

次にドイツ。石破氏のおっしゃるドイツが明らかにした「ニュルンベルグ裁判とは別の戦争責任」とは、2000年8月12日に施行された「記憶・責任・未来」財団設立法に基づいてドイツ政府とドイツ企業が創設した「記憶・責任・未来」基金(以下、「基金」)のことを指しておられるのだろう。

「記憶・責任・未来」財団が入っているビル(Wikipediaより:編集部)

この「基金」については、人権派弁護士として名高い宇都宮健児氏が本年7月22日に韓国の赤旗?「ハンギョレ」に寄稿した、「徴用工問題の解決に向けて」と題した4600字ほどの、新聞に掲載するにしては長文の論文の中でもこう触れられている。

ナチス・ドイツによる強制労働被害に関しては、2000年8月、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が「記憶・責任・未来」基金を創設し、これまでに約100カ国の166万人以上に対し約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきている。このようなドイツ政府とドイツ企業の取り組みこそ、日本政府や日本企業は見習うべきである。

「基金」は、ナチス政権下で行われたドイツ企業による強制労働被害者らへの人道的見地による補償を行うため2000年に設立された。ドイツはこの他にも連邦補償法を設けてナチスによる被害者に1060億マルク(約5兆6000億円)の補償をした。

しかし、これらはあくまで「補償」であって「賠償」ではない。1953年のロンドン債務協定で平和条約締結までドイツの賠償問題を棚上げされ、その後、東欧諸国や多くの西側諸国は一方的ないし二国間の取り決めにより賠償請求権を放棄してきている。ドイツはもはや賠償問題は存在しないとの立場だ。

また、「基金」にいう「強制労働」とは一般に、本人の意思に反して脅迫、暴行、監禁などの直接的な方法での労働の強制や心理的圧迫など間接的方法をもって行われる労働などを指す。が、イ・ウンヨン氏の研究では、朝鮮半島出身労働者の多くが自発的な来日であり、かつ賃金や労働条件も日本人労働者と何らの差別がなかったとされる。

西尾幹二氏の「異なる悲劇 日本とドイツ」(文春文庫)は彼我の戦後賠償を知るに格好だ。西尾氏はドイツの犯した罪を、「生物学的人種思想」に基づいて、むしろ「戦争目的にそぐわない」にも拘らず「ある人種に属しているものはそれだけで生存の価値のないもの」として抹殺した「テロ」と断じる。

すなわち、「テロが支配の手段でなく、テロそのものを固有の本質とするような運動体としての全体主義は日本には無縁であった」というのだ。西尾氏はこれ、すなわちホロコーストを「戦争行為ではない」とする一方、「日本は普通の戦争行為をしたのだ」とし、こう続ける。

(日本は)同時に戦争犯罪も犯したに相違ない。戦争犯罪は戦勝国も犯す。捕虜迫害、民間人虐殺、戦略空軍による住宅地爆撃、民間客船や病院船の撃沈などがいわゆる戦争犯罪に当たるが、ナチスの行為は殺人それ自体が目的で、戦争行為とはいえないから、その犯罪もまた戦争犯罪とはいえないのである。

このことが、ナチスのホロコーストに象徴される「人道に対する罪」が多くの被告人に適用されたニュルンベルグ裁判の内装までも模した東京裁判で、それが誰一人の被告に対しても適用されなかった所以だ。犯した罪の内容が違えば償いの仕方も違って当然だ。

まして日本と韓国は戦争していない。そして日韓は1965年に14年に及ぶマラソン交渉を経て、政治的妥協の末にやっと国交を正常化した。そのために日本は経済協力金として有償無償の官民合わせて10億ドル近い資金提供を行い、両国と両国民の請求権は完全かつ最終的に解決された。もう済んだ話なのだ。

なお、31日の石破氏の「日独『戦後』の違い、インド・バラナシ訪問など」にある「独立回復後、回復した日本国の主権に基づいて戦争を総括する選択肢はあったと考えますし、これは憲法改正についても同じ構図と思われます」には同感。石破先生には是非そのように活動して頂きたい。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。

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