差別発言を糾弾する人々が差別を再生産する

2019年10月06日 00:00

関西電力の事件の本質は同和問題である。これは1970年代にはリアルな問題だったが、今は部落解放同盟の組織力も衰え、糾弾闘争もなくなった。電力会社やマスコミのような古い産業がその幻影に怯えているだけで、こんな問題は時間が解決する――と思っていたが、最近のネット上の言論を見ていると必ずしもそうはいえないようだ。

10月3日に佐々木俊尚氏がツイッターで「高浜町と関西電力の話は同和がらみなのですか」とつぶやいただけで、いろいろな人々がこれを糾弾している。町山智浩氏は、このツイートを差別発言としてツイッター事務局に通報した。

佐々木氏を非難した小田嶋隆氏、町山智浩氏(ツイッターより:編集部)

しかし森山栄治元助役が、少なくとも1969年から部落解放同盟に在籍していた事実は、解放同盟も確認した。彼が糾弾活動をやった事実も、共産党の機関誌『前衛』が1982年に指摘している。これが「同和がらみ」でなかったら、いったい何だというのか。

彼らは例外ではない。こういう人々が、昔はもっと多かったのだ。1960年代までは、それには正義があった。私の京都の実家の近所には大きな被差別部落があったので、その実態はよく知っている。就職差別や結婚差別の実態はあった。

70年代には解放同盟が極左的な学生運動と連携し、糾弾活動が激しく行われた。京都府庁や京都市役所では、全員が解放同盟の機関紙を購読させられた。「同和がらみ」などという言葉を口にしたら、解同に大衆の面前で吊るし上げられ、役所にいられなくなっただろう。

野中広務(Wikipediaより)

そういう状況を変えたのが野中広務だった。彼は園部町の被差別部落の出身で、京都府の副知事になり、1983年に中央政界に転身して、自民党の幹事長になった。その政治力の背景に、同和があったことは否定できない。

しかし野中は解放同盟の糾弾活動を批判していた。「差別発言が理由でクビになったりすると、かえって同和はこわいという偏見をもたれ、差別が再生産される」というのがその理由だった。

同じ理由で、彼は被差別部落を公共事業で優遇する同和対策事業にも否定的だった。これが2002年に終わったのは、野中がその廃止を強く主張したからだといわれている。彼以外の政治家には、やめることができなかっただろう。

部落差別の実態がなくなってからも森山との癒着を続けていた関電が批判されるのは当然だが、森山との関係は普通の「地元の顔役」との関係を超えた異常なものである。

なぜ小さな町の元助役が、町役場をやめてから30年以上も大企業に影響力を持ち続けたのか。なぜ関電は森山におびえ、彼を切れなかったのか。それを明らかにしないと真相はわからないし、再発を防ぐこともできない。

部落差別が終わっても、差別発言を糾弾して正義の味方を演じる人々は後を絶たない。彼らの糾弾を恐れる大企業は「人権勉強会」などの名目で金を出す。これは関電だけの問題ではない。差別発言を糾弾する人々が、差別を再生産しているのだ。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 学術博士(慶應義塾大学)

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