森ゆうこ質問通告騒動を見て、日本の民主主義を考える

2019年10月24日 14:00

森ゆうこ議員による、台風が東京を直撃する前夜の深夜まで質問通告を行い続けた問題(と名誉棄損の疑いがある発言問題)が騒動になっているようだ。この問題の背景に、野党による日程闘争と、官僚にブラック労働を強いる文化がある、という指摘がなされている。

参照:“犯人探し”に固執!国民民主党というバカの集まりにつける薬なし

国民民主党サイトより:編集部

この問題の根は深いな、と私も思う。思い出す言葉がある。まだ20代半ばだったときだ。私の留学先のLSEには、日本の官僚の方々もよく留学に来られていた。その中のお一人と、中央省庁の官僚機構ではなぜ度を越した残業が常態化しているのか、という話をした。そのとき、「第一の理由は民主主義だから」、と言われたことが妙に心に残った。それから四半世紀が立っているが、まだ覚えているのだから、本当に耳に残ったのだ。

なぜ民主主義をとると、官僚が深夜まで連日残業することになるのか?

「国会議員の先生は大変に偉い方々なので、無茶な要求であっても、国会議員の先生方の要求に従わなければいけないから」、であるらしい。

知識先行で世の中のことを知らない大学院生であった私は、その説明に、非常に強い印象を受けた。不思議な説明だと思ったのだ。

ただし、今でも不思議さの感覚は、なくなっていない。

言うまでもなく、これは単純な問題ではない。こうした日本の議員=官僚関係の文化から、かえって「忖度」だけでなく、「面従腹背」のような不健康な文化もはびこってくる。実際に、多くの社会問題の温床になっているのだが、誰も不思議には思っていないようだから、改善はされない。

私は「働き方改革」の流れで、対応すべきテクニカルな要素もあるとは思っている。そもそも国会議員の数が多すぎるので、議員数を減らして議員スタッフを充実させるべきではないかという学者的な考えも持っている。

しかし本質はそこではないだろう。本質は、日本における民主主義の理解の問題である。

実際、森ゆうこ議員は、批判に対して、「質問権への侵害で、重大な民主主義への挑戦だ」と反論しているという(参照:ZAKZAK)。憲法51条の議員特権と、憲法41条の国会の「最高機関」の規定を根拠に自己の正当化を図るということらしいが、これが正当な主張なのか、憲法規定の濫用にあたらないのかは、野党議員と親交の深い憲法学者の方々のご意見を拝聴したい論点である。

いずれにせよ、国会議員は憲法によって最高の地位を保障されている民主主義の代表者だ、という意識が働いてくるため、官僚機構の職員に過度な負担がかかる。民主主義の絶対権力の行使者によって、官僚が強制労働を強いられているという気持ちが生まれる。

台風前夜の深夜残業が問題になったのは、テクニカルな問題というよりも、人間の「尊厳」にふれてくる問題だという意識があったためではないか。奴隷扱いをされた、という意識が広がったことが、問題の噴出につながっているのではないか。

「働き方改革」は、「尊厳」を保って働けているという感覚の問題を軽視して、テクニカルな側面ばかりに目をやって処理するならば、失敗するだろう。

国会議員は官僚に対して主人のような立場にある、という理解は、本当に民主主義の根幹をなす考え方なのか。

国会は、本来、国会議員同士が議論をする場だ。しかし、日本では、そうなっていない。立法府職員が行政府関係者を問いただす場になってしまっている。

議会制民主主義の本質は、議論をすることの大切さだ。権力関係の確認ではない。

日本の国会が、立法府の議員同士が議論をする場ではなくなり、行政府vs国会議員という対立構造が常態化している場になってしまっていることが、問題の温床だ。

日本にいるとほとんど忘れてしまうが、本来は、国会議員同士、与党議員と野党議員が議論を戦わせるのが、国会の主任務である。国民はそれを見て、問題の性格を知っていくように期待される。

ところが日本では、議員同士が全く議論をしない。ただ、国会議員が、行政府関係者に質問をし続け、行政府関係者が回答をし続けている。

そこに一部の憲法学者が、「権力を制限するのが立憲主義なので、アベ政治を許すな」という風潮を広めるので、あたかも野党議員が行政府を攻撃すると立憲主義が進展するかのような誤解も生まれてくる。そして、実際に本当に権力を持つ首相はまだしも、なぜかそのあおりを受ける行政府職員が、「民主主義」や「立憲主義」を振りかざす権力行使の対象とされてしまう。

しかも、自民党が長期政権化し、野党が万年野党議員化する中で、行政府を野党議員が追求する場と化しているのが、日本の国会の実情になっている。政党間関係が固定化された不健康な考え方の中で、議員が、行政府職員に対して、民主主義の絶対性を理由に、権力関係の確認をするかのような行為に及ぶことが、憲法の名において許されてしまうような文化が助長されている。

一時期、官僚主導の国会答弁を排して「政治主導」にするべきだという議論があり、官僚による答弁が減った。しかしポイントは、政治家と官僚の間の権力関係にあるのではない。国会において議員同士が議論をしていないことが問題だ。

議会制民主主義は、議論をすることよって人間の社会は発展する、という信念によって成り立っている。立法府議員が行政府職員に質問をすることは、その一部ではあっても、本質ではない。

森ゆうこ議員問題の根は深い。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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