治水秘史?吉原の遊郭に行くには堤を通る必要があった

2019年11月10日 06:01

昔、治水は人の生活と非常に密接でありました。

エジプト文明においては「エジプトはナイルの賜物」という言葉があるように、あえて氾濫を利用した伝統的な灌漑が流域に肥沃な土をもたらしていました。水の活用は、文明の始まりであり、現代の世においても最も重要なインフラであります。

図1は日本における人口、耕作面積の変遷です。

戦国時代より各国が国力を増強するために耕作面積を増加させていると推察されます。
人口と耕作面積の需給バランスが悪いことで江戸時代において経済が悪化し、近年においては逆転し、自給率が低く、海外からの輸入に頼るところです。

その辺りの論説は専門家に任せますが、ここで読み取っていただきたいのが水利用、治水、利水など水に関する整備が耕地面積を増加させているということです。

図1:日本における人口、耕作面積の変遷

出典:農水省HP

治水の歴史はその国の歴史を語る上で非常に重要な情報です。
長尾朋子氏は戦国時代における農地を広げるための「おみゆきさん」という祭礼に関するエピソードを記しています(太字は筆者)。

その起源は、天長2年(825 年)甲府盆地の大洪水後に朝廷の勅使が下向し、水防祈願祭礼を命じたのが始まりで、御勅使川の名称はこれに因む。16世紀に武田信玄が治水システム群を整備した際に、管理システムの一環として祭礼が継承かつ整備された。霞堤の開口部を開墾させて,税免除を条件に移住させた住民に堤防管理をまかせ、住民による水防の維持管理を積極的に果たすようにシステム構築をおこなった。

さらに、流域住民の治水管理意識を高めるため、甲府盆地内の洪水災害の多い金川、濁川、笛吹川、荒川、釜無川の治水要所を練り歩き、信玄堤にある三社神社まで神輿を担ぎながら堤防天端を踏み固めて歩く祭を、甲斐国一宮浅間神社、二宮美和神社、三宮玉諸神社に義務づけ、代わりにこの3社に寺社税などを免除した。一年に2回,洪水前後の時期に、堤防上を700kgの神輿を担ぎ、総勢 500 人で練り歩く神輿巡幸は、堤防強化および、維持管理システムの確認を住民が定期的に行うことによって,治水維持管理意識を高める災害文化を形成する。

このように、神輿で、いわば人間ブルドーザーともいえる方法を堤防に対して行ったことがわかります。

町会の神輿も初めて担ぐと何故なかなか前進しないのか疑問に思いながらも、それが粋だといわれて何となく前進しているように思われますが、実は堤防や道路を踏みつけるための公共事業としての意味合いがあったと考えられます。

寄付をいただいた家の前で念入りに担ぐのはそのためではないかと推測もできるところです。
そう考えると多くの日本古来の祭りには土を踏み固めるための意味があったと考えます。

阿波踊り(遅くとも戦国末期には存在)、ねぶた祭(18世紀には定着)など地面を強く踏みつける祭りは治水技術が大きく発展する明治よりも以前からのルーツがあります。楽しみつつも公共事業を行おうという領主の知恵がみえます。

図2 よし原日本堤の浮世絵

また江戸幕府はほかの“本能”も利用しました。
広重最晩年の揃物「名所江戸百景」には「よし原日本堤」が描かれています。

日本堤は元々隅田川の治水のために築かれたものだ。郊外に位置する吉原へは船で隅田川を北上し、日本堤を通るのが一般的だ。堤の上には遊客をあてこんだ茶店が軒を連ねたのが本図でも判る。右遠方に描かれているのが不夜城・吉原だ。

つまり日本堤の上を通らなければ、吉原の遊郭にいけませんでした。
国交省で河川局長などを歴任した竹村公太郎氏などによれば、

日本堤とこの墨田堤・荒川堤・熊谷堤で囲む一帯で隅田川を溢れさせる。ここで洪水を溢れさせ、江戸に洪水を到達させない。現在でいう遊水池であった。

出典:『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP新書)

とあります。

日本堤は江戸の町を水害から守るために重要な治水施設だったわけですが、そのメンテナンスのために江戸幕府は遊郭を現在の鶯谷駅付近である吉原に移転し、男性の本能を利用した堤防維持管理システムを構築したと言えるかもしれません。のちには桜の木を植えて、桜の名所とし、さらに賑わいが大きくなった歴史もあったとのことです。

図3  日本堤・隅田堤の位置と効用

出典:「迅速測図」より国交省関東地方整備局作成(同局HPより)

現在の日本は、もはやブルドーザーなどがあり、催事に絡めたり、人間の本能を利活用したりする“堤防強化”はありえません。

しかし近代化・機械化が進んだ一方で、河川は行政が管理し、国民から日頃の生活で治水を意識するような、身近なものでなくなったかもしれません。本稿は歴史的なエピソードをご紹介しましたが、今回の水害を機に、各人が治水および河川事業に対するご理解を深めていただければと思います。

加藤 拓磨   中野区議会議員
1979年東京都中野区生まれ。中央大学大学院理工学研究科 土木工学専攻、博士(工学)取得。国土交通省 国土技術政策総合研究所 河川研究部 研究官、一般財団法人国土技術研究センターで気候変動、ゲリラ豪雨、防災・減災の研究に従事。2015年中野区議選で初当選(現在2期目)。公式サイト

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