伊藤詩織事件で残るTBSへの疑問

池田 信夫

伊藤詩織事件でマスコミがまだ騒いでいるが、これは犯罪事件としてはもう終わっている。真実は当事者以外にはわからないが、疑問が残るのは、山口氏が帰国するとき高輪署の取った逮捕状を警視庁が執行させなかったことだ。これは異例だが、その原因は今も不明である。

山口敬之氏、TBS(AbemaTV、Wikipediaより)

コメンテーターは安倍首相との関係を憶測しているが、首相官邸が個別の犯罪捜査に介入することはありえない。それよりはっきりしているのは、山口氏が事件当時、TBSのワシントン支局長だったという事実である。TBSは警視庁クラブの加盟社であり、その関係に警察が配慮したことは十分ありうる。その経緯を時系列で整理しよう。

  • 2015年4月2日:ベトナム戦争のときの韓国兵の「慰安所」があったことを山口氏が書いた『週刊文春』が発売。
  • 4月3日:伊藤氏が一時帰国中の山口氏とホテルに行く。
  • 4月9日:伊藤氏が原宿警察署に相談する。
  • 4月23日:山口氏がワシントン支局長を解任され、営業局に異動。
  • 4月30日:伊藤氏が被害届けを高輪署に提出。告訴状も受理される。
  • 6月8日:山口氏が帰国したとき成田で逮捕する予定で捜査員が空港に待機していたが、直前に逮捕状の執行が停止される。
  • 8月26日:警視庁が準強姦罪の容疑で山口氏を書類送検。
  • 2016年5月30日:山口氏がTBSを退社。
  • 7月22日:不起訴処分。

2015年4月から2ヶ月ほどの間に、文春事件とホテル事件という二つの系列の(互いに無関係な)事件が連続して起こっている。文春に無断で記事を書いたことが社内規定に違反するというのがTBSが彼を解任した公式の理由だが、その直後にホテル事件が起こった。

文春の記事とホテル事件には因果関係はないが、伊藤氏が警察に相談した直後に懲戒処分が出たのは偶然とは思えない。山口氏が文春に記事を書いたのは初めてではなく、それまでも何度かアルバイト原稿を書いて黙認されていた。1本の記事で支局長解任という処分は重すぎる。

つまり警察からTBSに(4月中旬に)「山口氏が帰国したら逮捕する」という連絡があり、TBS幹部が警視庁に「逮捕だけは勘弁してほしい」と取引したと推測できる。

ワシントン支局長が準強姦罪で逮捕されたら大スキャンダルで、特に採用にからんだ事件となると経営責任も問われ、社長の進退問題になる可能性もあった。このとき警視庁が逮捕しない代わりに、TBSは支局長を解任して社会的制裁としたわけだ。

こういう取引は政治家の事件ではよくあり、警察と記者クラブの関係でもある。NHKでも芸能担当の理事が暴力金融から巨額の不正融資を受けて警察の捜査を受けたが、彼が退任して事件が表面化しなかったことがある。

TBSは「処分のときホテルの事件は知らなかった」とコメントしているが、少なくとも警視庁クラブのTBS記者は逮捕状の件を知っていただろう。その話がTBSの幹部に上がって、警視庁と取引した可能性がある。

いずれにせよ逮捕を見送ったことで、警視庁はTBSに大きな「貸し」をつくったわけだ。マスコミがこの問題に沈黙しているのは、こういう取引で事件を「おさえる」ことがサツ回りの大事な仕事だからである。