韓国の人に読んでいただきたい『朝鮮雑記 ー日本人が見た1894年の李氏朝鮮』

東京経済大学図書館に収蔵される桜井義之文庫に明治27年(1894年)に出版された「朝鮮雑記」の原本があるそうだが、本書はその現代語訳で2016年に祥伝社から出版された貴書である。

著者名が本間九介とあるが、原本には如囚居士とあり、本名は安達九郎、後に改名して本間九介のようである。
本間九介は1869年、陸奥二本松藩(現福島県二本松市)に安達九郎として生まれた人のようだが、その生涯には不明な点が多いそうだ。

本間は、明治26年(1893年)秋山定輔という実業家によって設立された「二六新報」に「朝鮮雑記」を連載し、日清戦争中は同紙の特派員をしていたようだが、朝鮮雑記は「二六新報」に掲載された本間の連載記事を一纏めにして本にしたものである。

朝鮮雑記は日清戦争直前の朝鮮を日本人の目で淡々と叙述した紀行文であるが、今日では忘れ去られている古き朝鮮半島に関する記録としてこれに勝るものはないと言っていいだろう。

本間は、当時の朝鮮の生活水準が低く、いたるところが不潔であること、流通が不便であること、貨幣経済が発達していないこと、経済の停滞、役人の腐敗、教育の不徹底などを容赦なく指摘しているが、決して朝鮮半島の人々を批判することを目的とするのではなく、当時の朝鮮半島とその人民が置かれた惨憺たる状況の責任を追及することに主眼があったと言っていいだろう。

以上は、「朝鮮雑記とアジア主義」の題で本書の解説をされているクリストファー・W・スピルマン氏の解説文から私が一部表現を改めて本書の紹介文としたものである。

なお、スピルマン氏は、その解説の後半部分でこう総括されている。

「朝鮮雑記は、紀行文の枠を超えた、日朝関係論や外交政策論でもある。(略)朝鮮雑記には、日朝不平等条約に基づいてなされた日本の朝鮮半島への進出が具体的に描かれている。釜山や仁川には、1万人に及ぶという日本人の居留地(租界)ができ、ここでは日本の裁判制度が布かれ、日本人巡査が治安を保っていた。

本間は、新しく進出した日本人と現地の人たちとのトラブルを見逃していない。「薬商」では日本人の詐欺まがいのふるまいを、否定的に書いている。それに対して、「漁民保護」では、驚くべき数(1万5000人)の日本人漁民が、朝鮮の沿岸で活動している実態を紹介し、彼らが現地の人から、軽侮を受けていることを嘆いている。このことを含めて、日本人に対する朝鮮人(本文では「韓人」)の反発、一種の反日感情は、過去の出来事に遠因があると、本間は考えていた。つまり、倭寇や文禄の役(秀吉の朝鮮半島への遠征)で日本人が過去にしたことに対する記憶が強く残っており、その恨みによる反発があると見ていた。」と記している。

スピルマン氏は、「朝鮮雑記は、」1890年代の朝鮮半島の状況を知ることができる貴重な紀行文である。自国の文化を照らしだす鏡として、朝鮮の文化をつぶさに観察した結果、編みだされた書籍である。だが、それにとどまらず、当時、アジア主義という思想を抱いていた一人の若い日本人が、国家の近代化とは何か、欧米の帝国主義とアジアの関係はいかにあるべきかといった、壮大な問題について思索をめぐらせながら生みだした作品でもある。(略)監修者としては、この書籍が、広く一般の日本人に読まれ、いままでほとんど語られることのなかった歴史への新たな議論が起こることを願ってやまない。」

私は、韓国の方々にこそ是非この本を読んでいただきたいと思っている。

今から116年前の朝鮮半島は、当時の日本人の目にはこう映っていたのですよ。

こういう本があったのか、と驚いている。
皆さんにもご一読いただければ幸いである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2020年1月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。