日本の「書籍文化」の行方

2020年02月16日 14:00

かつて駅前には本屋があり、そこには立ち読みをする人が壁をなし、書架に手が届かないということもしばしばありました。書籍や雑誌は情報を取り込むための重要な手段であり、これを読みかじることでうんちくを垂れたりしたものです。

今の人が書籍を読まなくなった理由はいくつもあります。ネットで情報がとれることが最大の理由でありますが、それ以外にも家が手狭なのに書籍が場所を取る、買っても全部読まない(読めない)、読む時間がそもそもない、表題に比べて内容が劣っていた、キンドルなどでダウンロードして読める等などあるでしょう。

販売額についてはこの20年で概ね書籍が2割減、月刊誌が4割減、週刊誌は7割減といった感じでネットに代替されやすい週刊誌や月刊誌の落ち込みが目立っています。一方でコミックについては人気あるものは注文が追い付かないものも散見できますが、かつてのような状況ではありません。

先日、最近書籍を初出版した方と会食をしていたのですが、この著者が一言、「こんなのは名刺代わりにしかならないですよ。著作料でどうにかなるという人は50人ぐらいしかいないんじゃないですか?」というのです。大型書店に行けば今でも毎日数多くの新書が発売され、普段名前を耳にしない著者、作家も数多く見受けられるのですが、直木賞作家でもそれだけで生計はたてられないといわれる時代、労力をかけた作品に対して小遣い程度の著作料では間尺に合わないでしょう。

小説に関して言えば近年、内容が非常にフェミニン化しているものが押し出されている感があります。本屋大賞と称する売れ筋からみた人気小説の上位は女性が好む作品が多くなっているのは男性が書籍を読まなくなった証拠ともいえます。男性サラリーマンに書籍をなぜ読まないのか、と聞けばそんな時間はないという返答であります。ハウツー本ならまだしも小説など遠い存在ということなのでしょう。

書店の書架もそんな時代を反映してか、昭和の時代に名をはせた作家の書籍はほとんどなくなり、回転率を狙っているところが多くなっています。大型書店のように書架のキャパが大きいところはともかく、デパートの中の書店など店舗のサイズが限られているところでは昭和の書籍が削除されていくのも時代の趨勢と言えるのかもしれません。

私はカナダで書籍事業をやっているわけですが、多くの方から聞かれるのです。「なぜ、今更書籍?」と。それは廃れて誰もやっていないので本が欲しくても手に入らない状態になっているからゆえのブルーオーシャンがあるからです。もちろん、このブルーは「限りなく透明に近いブルー」の真逆で化学変化の結果発色したどんよりした青でありますが、少ないながらも需要にお応えする社会的使命はあるのかなと考えています。基本的に在庫ビジネスではないので日本の一般書店のイメージとも違いますのでリスクは限定されています。

書籍を読まなくなる日本人が成人するとどうなるのか、やや想像しがたいものがありますが、知識が「表面さらい」になる可能性はあると思います。北米に長くいてコンベンション文化がなぜ流行ったのか、といえば書籍を読む代わりにイベントや人を介して情報を得るからであります。しかし、そのれらの知識は直接的であり、学術的深みがなかったり、人によっていうことが違ったりしてどれが正しいのか、思案に暮れることもあります。

日本でも情報や知識はYouTubeをみればたいてい見つけることができるようになりました。しかし、それは浅い知識であり、深掘りしたものが何もなく、その情報をうのみするようになった時、真実の判断がしにくくなることに懸念を感じます。広範な知識量が支える大人としての良識と判断力が失われていくような気がしてなりません。

日本の書籍文化を廃らせないためには何が必要なのか、作家、出版社、取次、書店がその改革を考えるべき時が来たのだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年2月16日の記事より転載させていただきました。

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