神戸大学医学部の岩田健太郎教授が、DMAT(災害派遣医療チーム)の一員として“潜入”したダイヤモンドプリンセスの感染症防止対策の不備を告発した動画は、実に強烈なインパクトだった。18日夜に投稿した動画の再生回数は1日で143万回を超えた(数字はいずれも20日1時時点)。
(※追記:7:20 岩田氏は当該YouTube動画を削除した)
そしてその影響は瞬く間にネットからリアルに転化し、投稿翌朝には早くも大手ネットメディアや新聞各紙のネット速報で報じられ、午前の官房長官記者会見、衆議院予算委員会でもただちに取り上げられた。
政府側はただちに「感染拡大防止に徹底して取り組んできている」(菅官房長官、毎日新聞)と反論し、ツイッターでは現場で指揮を取る橋本岳厚労副大臣と岩田氏との船外バトルに注目も集まってしまっているが、本稿はこの動画を「政治とメディア」の視点から考えることが主眼なので、岩田氏の言動の妥当性などについては別の機会に書きたい。(一言だけ言うと、非常時なのだから党派性の病にとらわれず、責任追及は後回しに感染拡大防止を走りながら改善して緊急対応すべきだ)
岩田動画と尖閣ビデオを比較する
一本のYouTube動画が政治的なインパクトをもたらした事例としては、2010年11月の尖閣沖で中国漁船が海保の巡視艇に衝突した記録映像が流出した事件が想起される。はやいもので10年前にもなるが、当時はYouTubeが日本に普及し始めて数年。SNSもいまほど存在感がない時代だった。
しかし、当時、野党だった自民党の「情報参謀」だった小口日出彦氏が著書で振り返るように、この事件は政治とメディアの関係を変えた転機だった。先述したようにネット動画やSNSはまだマスコミに相手にされる存在ではなかったが、中身が中身だけに、問題の動画がテレビ報道で取り上げて騒ぎになるという異例の事態に発展。自民党が攻勢を強め、菅直人政権の足元が大きく揺らぐきっかけになった。
尖閣ビデオ事件は、菅政権が中国側への配慮で非公開を決め、批判にも耳をかさない状態だったが、政権の対応に業を煮やした海保関係者の匿名投稿だったのは周知の通り。“失政”を告発するという動機では、今回の岩田氏の動画と似ているように思えるが、専門家が実名顔出しで最初から出てきたと言う点で、初動時点での説得性は上回っていよう。
実際、そうしたこともあって投稿の直後は、門田隆将氏らの保守系論客から、おなじみの政権批判のリベラル系の人たちまで幅広く支持を集めた。YouTube上の「いいね」も4.7万に対し、ブーイングボタンは約1300。数字の上でも圧倒的に岩田氏が支持されている(数字は20日1時時点)。
これに対し、右派からは、岩田氏の過去の政治的言動から安倍政権に批判的とみられているようだ。ただ、尖閣のときは、左派政権を、右派が攻撃材料としたわけなので、政治的な対立構図という点では、左右がポジションを「真逆」にしただけで、大きな差異はない。
とはいえ、尖閣ビデオの衝撃はリアルに響いた。尖閣ビデオ事件を境にNHK調査では、菅直人内閣の支持率と不支持率が逆転したのだ。
一方、安倍政権は最近の各社調査で支持率が続落し、一部では不支持率が支持率を上回りはじめている。桜を見る会の問題、そしてこの新型コロナ対応の後手に回っている感が影響したとみられ、野党としてはさらに攻勢をかけていきたいところだろう。
野党はこの「敵失」を反転攻勢できるのか
では、かつて野党だった自民党が尖閣ビデオで反転攻勢への流れをつかみ、政権奪還につなげたことからすれば、今回の岩田氏の動画も(本人の政治的意図がないにせよ)同じように、安倍政権打倒につながるのだろうか。
初動のインパクトは、先述したように、本人が実名顔出しと言う点で岩田動画のほうが尖閣動画を上回っている。しかし、これが今後政局にすぐつながるかといえば、微妙なところが実情だろう。
というのも、野党の政治力が10年前とかなり異なる。当時は民主党は衆議院で300議席を超え、野党第一党の自民党はその3分の1はあったが(2009年時に119)、いまは与党の自民が300近くあり、野党は最大野党の立憲民主でも58しかない。国民民主、社民を合わせた会派としてなら120だが、年明けに合流はペンディングとなった。
それ以上に深刻なのは選挙戦の目安となる政党別支持率(NHK調査)で、いまの自民はなんだかんだ40%近くをキープ。野党は立憲(6.0%)を筆頭に国民(1.0%)、社民(1.2%)に過ぎない。共産(2.6%)れいわ(0.6%)が共闘路線に入ったとしても、トータルで10%を超えるのがやっとなのだ。
一方、尖閣当時(2010年11月)のNHK調査では、野党自民党(22.1%)は前年選挙で大敗したにもかかわらず、与党民主党(24.1%)に肉薄するまでに回復している。
当時の野党自民と今の野党の決定的な違い
当時の野党自民党と今の野党を比較すると、何が違うのだろうか。細かいところをひとつ挙げると、上述した小口日出彦氏のように最新鋭のノウハウを使った情報分析を行い、世論を的確にとらえた対応がいまの野党にはできているようには思えない。それなりのブレーンを雇っていたとしたら、申し訳ないがとても機能していないと思う。
小口氏の著書で「今までの政治作法が通用しない」と題した一節がある。会期末に野党が内閣不信任案を出すのが政界の風物詩のようなもので、ネット上の口コミの数も増加するが、バズればいいというわけではない。中身が重要なのだ。
私たちの調べでは、内閣不信任案決議や問責決議案は、むしろ野党の支持率を下げるらしいということがわかってきた。(略)良識あるサイレントマジョリティ、つまり大方の有権者はどうせ不信任案など提出したところで通るはずがないとわかっている。(略)無意味な醜い争いに辟易している。(出典:『情報参謀』P112、113)
小口氏の「意外」な指摘に、情報分析会議の担当だった茂木敏充氏(現外相)は驚いた様子だったという。それから約10年。報道量やグーグルトレンドで「桜を見る会」はそれなりにバズっているようだが、新型コロナの緊急対応が切迫している中で、わざわざ取り上げるあたり、野党は、果たして最大党派の支持政党なしの層の心を本当につかんでいるのだろうか。野球でいえば精緻なデータ分析に基づいた戦術ではなく、昔ながらの感覚や反射神経主体でプレーしていまいか。
たしかに「桜」は一定の攻撃材料にはなるが、所詮は安倍政権の支持率を削るだけに過ぎない。倒閣できたとしても政権交代にはつながらない。やはり政権を任せても良いと思わせられるかは信頼感、安定感の醸成だ。
これは私の直感だが、おそらく消費増税の影響と新型コロナウイルスの問題を主軸にした追及こそが、国民の生活と生命に関わるので共感は得やすい。そして増税とコロナのダブルパンチが直撃した経済対策でいかに建設的な提案ができるかどうかをいまのサイレントマジョリティは注視しているのではないのか。
最後に、国家的な危機に瀕したときにどう向き合うかの価値観が問われることを指摘したい。
人知の及ばない異常事態に直面しているという点では、尖閣ビデオ事件から4か月後に東日本大地震が発生しており、被害の程度の差はあれ状況は近い。危機に瀕した中で野党第一党(会派)の振る舞いはどうあるべきなのか。震災当時の自民党総裁だった谷垣禎一氏がツイートした内容を、いまの野党の議員たちはどう思うのだろうか。
国民の中に心をひとつにして乗り切っていこうという気持ちがある今、政治は対立点を一時棚上げにして心を一つにこの危機と日本復興に当たっていくべきとの思いで、与野党が全力で対応に当たる場を設置するよう全政党に提案します。
— 谷垣禎一 (@Tanigaki_S) March 15, 2011
【筆者より追記:8:00】ダイヤモンド・プリンセスの現場に入った医師の高山義浩さんのFacebook投稿で、岩田氏の主張が否定され、岩田氏がけさ動画を削除。謝罪しました。本稿では、岩田氏の動画の妥当性を述べるのがテーマではないですが、岩田氏が動画を削除したことで、野党側がこれに乗っかって追及もあり得なくなりました。一方で野党側の国会追及のあり方、情報分析・発信のあり方が、自民党の野党時代と比較しても劣っているという私の見方に変わりはなく、その問題提起が本稿の柱であるので、このまま掲載いたします。