敵は弱点を狙う=交通機関での対応措置をとれ

2020年02月29日 11:30

外務省委託事業の実施責任者として主に研修運営に従事した後、東京に戻ってきた。すると、コロナウィルスの意識が全く違う世界が、そこにあった。電車に乗るのも、大げさに言えば、命がけ、という世界だ。

けんぼ/写真AC:編集部

それでも現時点の日本国内の感染者数が200人程度にとどまっているのは、ほとんどの人が外出時にはマスクを着用しているといった国民性のゆえではないだろうか。マスクでどれだけ感染が防げるかわからない、といった言説も多々見られるが、やはり(潜在的)感染者がマスクを着用しているかどうかは、大きな違いであるように感じる。人々は自分を守るつもりでマスクを着用しているのだろうが、いずれにせよマスク着用率が高いことは、感染防止に意味があるように思う。

しかし、だからこそ逆に、私は、電車に乗ると、マスクを着用していない人の存在が気になってしまう。マスクを着用しない人物が、咳をした後、口を覆ったその手で吊革をつかむ場面を見たりなどしたら、うわ!! これはもう!! と背筋が寒くなる。

多くの識者が、感染症対策は、戦争と同じだ、と言っている。私もそう思っている。人類の歴史が、そのように語っている。

だから、戦場の比喩を使おう。軍事の世界では「兵力集中投下の原則」というものがある。相手の弱点に向けて、兵力を集中的に投下することが、戦場において最大限の効果を図るために最も効果的だ、という考え方である。

次々とイベントが中止され、(地域差が無視されて!)小中学校も休校が要請されている現在、日本社会で最も脆弱な弱点となっているのがどこであるかは、はっきりしている。医療援助のニーズのために閉鎖できない病院と、経済活動持続のために閉鎖できない大量輸送交通機関だ。

コロナウィルスは、ひとたび脆弱な空間を発見すれば、あたかもそれが相手の防御線を切り崩すための決壊ポイントであるかのようにみなし、襲いかかってくるだろう。

医療機関については、医療の専門家が管理する場所だ。機能し続けるとしても、最大限の配慮がなされていなければならないはずだと考える。

しかし全く別の意味で脆弱なまま放置されているのが、交通機関だ。特に通勤客を吸収する電車やバスであることは、言うまでもない。

密集した空間に数百人といった数の人間がいたら、ほんの少しの数の人によって、決壊ポイントは作られてしまう。

国会で、立憲民主党の枝野党首が、厚労省以外の省庁の当事者意識の欠如を指摘したという(参照:47 NEWS「政府の感染拡大対策に最も欠けているもの」)。

「交通機関の問題がある。これは国土交通省」

これは、全く妥当な指摘だ。より具体的な提案とともに指摘がなされたら、さらに良かった。

26日の衆院予算委で質問する枝野代表(立憲民主党サイトより:編集部)

通勤者による自己防衛(ちなみに私は除菌ティッシュ―を携帯している)、及び通勤者の雇用者に対する時差通勤への配慮への要請がなされている。だが交通機関側は何をしているのか。

駅のトイレに行っても、手洗い場はあっても、石鹸さえ置いていない場合が多々見られる。論外ではないだろうか。

本来であれば、プラットフォームや改札に、消毒液を多数設置するべきではないのか。できれば車内にも、咳エチケット用のティッシュ―や、吊革につかまりたい人向けの除菌ティシューを備え付けておきたい。

akizou/写真AC:編集部

いまだに咳やくしゃみをする際の留意事項を記した啓発ポスター類が全く見られないのも、残念だ。

私は平和構築活動の調査でシエラレオネなどの西アフリカによく行っていた。さすがにエボラ出血熱の大流行の際には渡航を控えた。収束後に入国すると、「愛する家族のために、社会のために、責任を持った行動をとろう」といった啓発目的の看板が、多々街に残って切るのを目にした。

感染症対策は戦争だ、といった比喩は、良いと思う。だがその比喩が間違って使われないことを願う。政府は強権を発動せよ、と言いたいだけであれば、わざわざ戦争といったレトリックを使う必要もない。

ポイントは、多くの人々に生か死かを問うような影響が及ぶ深刻な事態だ、ということだ。日常空間(たとえば通勤電車)に、非日常的な場面を挿入する(たとえば駅における大量の消毒液)といったことを、当然と考えるのが、「感染症との戦い」で必要な態度ではないだろうか。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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