「安倍首相を牢獄へ」で注目〜“革命能力なき革命家”白井聡という男

2020年03月03日 06:01

京都精華大HPより

安倍政権に批判的な京都精華大学専任講師・白井聡氏は以下の記事で次のように述べる

白井聡氏 75年前の失敗のツケを我々の手で清算しなければ(日刊ゲンダイDIJIGAL、白井氏のYahoo!ニュース個人にも転載された)

国家権力の究極的私物化だ。ここまでくれば明らかだ。安倍が私物化しているのは、権力や利権の一部分ではない。国家そのもの、つまり国土と国民を好きなように処分できる私物として取り扱っている。ゆえに、新型コロナウィルス問題への悲惨な対応も全く驚くべきものではない。国民の生命や健康を守ることになど、そもそも何の関心もないのである。

白井氏は実に強い調子で安倍首相の「国家権力の私物化」を批判している。

しかし、最近、コロナ対策の一環として安倍首相が地方自治体に小中学校と高校の休校を「要請」したが安倍首相が国家権力を私物化できるほどの権力を有しているなら「要請」なんて中途半端なことはしないはずである。

安倍首相が「要請」したのはそれ以上のことはできないからであり、仮に安倍首相に小中学校と高校を休校できる権限があるなら、それは当然、日本国憲法で保障された「地方自治」と衝突する。

白井氏は「国家」という言葉がお好きなようだが日本国憲法下の日本とは「国家」というピラミッド型の大きな役所に内閣総理大臣が頂点に立ち地方自治体を指揮・監督しているわけではない。

国・都道府県・市町村が並列し対等な関係で相互「調整」しているのである。

2/29の総理記者会見(官邸サイトより)

今回の休校問題では教育委員会の判断が重要であり、この組織は地方自治体の行政部局から独立した存在であり首長の指揮下にあるわけではない。地方では商工会議所のように補助金で成立している組織も多数あり色々な主体が相互調整しながら地域を動かしているのである

もちろん緊急事態では国が主体的に対応しなければならないのだが、それでも国(対策本部)の権限は「基本方針の策定」とか「総合調整」とか、もっとも強いもので「指示権」があるが国が地方自治体を下部組織のように扱えるわけではない。

日本国憲法下の日本の国家機構は相当に多元的であり「国家」という一言だけではとても表現できない。

日本国憲法はアメリカ型の憲法だから日本の国家機構が多元的になるのはある意味、当然であり日本国憲法下である以上、およそ「国家権力の私物化」など不可能である。

白井氏の「国家権力の私物化」の指摘は氏の日本の国家機構・行政組織への無理解の裏返しに過ぎない。

革命能力なき革命家

白井氏は更に続ける。

国民の課題ははっきりしている。安倍を退陣させるだけでは不十分であり、しかるべき場所(牢獄)へと送り込まなければならない。

これにいたっては批判ではなく誹謗中傷、いや、それを超えた言説ある。「しかるべき場所(牢獄)へと送り込まなければならない」というがでは一体何の罪で安倍首相を牢獄に送りこむというのか。単なる「疑惑」の段階で送り込めると思っているのか。漠然として根拠で他人を牢獄に送り込むはできない。完全な憲法違反であるし白井氏の人権感覚が問われよう。

白井氏の言説が注目される理由はその内容だけではなくこの種の過激なものが多いからである。

池田信夫氏の言葉を借りれば「名誉棄損で訴えられてもおかしくない」次元の発言であり(参照:首相の「破局願望」をめぐる与太話 『日本戦後史論』)、筆者としてはこれに「事件になってもおかしくない」を加えたい。

白井氏が「事件になってもおかしくない」次元の発言を行うのは氏が正真正銘の「革命家」だからである。

白井氏は「ロシア革命の失敗は、われわれが責めを負うべき事柄ではないか」とか東日本大震災の原発事故を根拠に「日本における革命の必要性を突きつけた」とか大真面目に言う人物である。氏の「革命思考」については国際政治学者の篠田英朗氏が実に丁寧に検証している。

白井聡『国体論』の反米主義としてのレーニン主義

「永続敗戦論」で革命家・白井聡が注目されたが、では、日本は白井氏が望む「革命」に向かっているのだろうか?

より正確に言えば革命家・白井聡は「革命」に貢献する具体的な行動にでたのだろうか。

氏の『永続敗戦論』『国体論 菊と星条旗』といった著作は売れたかもしれない出版不況の現在、社会の大勢を変えるほどの影響力は発揮していないし、これから発揮するとも思えない。

氏の革命観を素直に受け取れば「暴力革命」だが「暴力革命」に向けて氏は何かやっているだろうか。せいぜい、安倍首相の演説に野次を飛ばすくらいだけではないか(参照:netgeek「しばき隊に交じって「安倍やめろ」と叫んでいたのは京都精華大学の白井聡。バリバリの共産党信者」)

野次しか飛ばせない革命家が「レーニンの革命」を目指すなんてちょっと冗談が過ぎないか。

あとはまあ、左翼的な高齢者を相手に講演したり日本共産党の選挙の応援演説をしたくらいである。もちろんこの程度のことで「革命」が実現するわけがない。

白井氏は典型的な「革命能力なき革命家」でありこの日本で「レーニンの革命」の再現を目指すなら氏は活動しないほうが良い。「革命能力なき革命家」なんて完全に漫画である。

若者から支持されなかった若手論客

「革命能力なき革命家」である白井氏だが、30代の時は「若手論客」として紹介されていた。

参照:時代を読む~若手論客に聞く(1)社会思想・政治学者=白井聡さん「平和と繁栄の終わり」:神奈川新聞 2013年12月31日

「若手論客」といっても文字通りに「若い」だけであって別に「若者代表」とか「メンズ・スター」というタイプではない。革命を目指すなら「若者の力」は必須であり、その獲得が期待されて白井氏は「若手論客」として売り出されたと思うが氏の周囲に「若者」がでてくることはほとんどない。

対談相手もその多くが中高年でたまにでてくる「若者」だが例えば『白井聡 対話集 ポスト『戦後』の進路を問う』では一応、30代の論客はいたが20代の論客はいなかった。

同著では白井氏より年下は同じ大学ゼミ出身の栗原康氏(東北芸術工科大学非常勤講師)だけであり、今はもう白井氏はもちろん栗原氏も40代の年である。実に寂しい話である。

世間では「若者の保守化」という言葉が普通になるくらい白井氏は若者に影響を与えなかった。

端的に言えば「2010年代の白井聡」とは「若者から支持されなかった若手論客」であり、今後、若者の支持が増える可能性もない。

白井氏は「しかるべき場所へと送り込まなければならない。」と言うが若者がこの発言を聞いた場合、彼(女)らは氏の「腕力」に関心を寄せるのではないか。

若者の世界で「腕力」の地位は大きく「腕力」とは無縁な「細身の先生」が過激な発言をすれば、そこにはあるのは「恐怖」ではなく「滑稽さ」である。

白井氏が「腕力」のあるタイプなのかどうか知らないが「しかるべき場所」発言により「好奇の目」でみられるリスクも高まったのではないか。

過激な発言なんて皆が怖がるわけではないのである。

中途半端なインテリ、思想オタク?

「革命能力なき革命家」「若者から支持されなかった若手論客」である白井聡氏は見方によっては「赤いエンターテイナー」であり我々を楽しまれてくれる。

しかし彼は大学人でありエンターテイナーではない。「しかるべき場所(牢獄)へと送り込まなければならない」と発言する人間が大学人である事実はやはり問題である。

大学人、特に人文系の大学人で白井氏のこの発言を放置したり、ましてや支持するようでは大変な誤解を受けるだろう。

「人文系大学人とは官僚にもなれない(=知識が偏向している)、政治家にもなれない(=多数派を形成できない)、中途半端なインテリ、思想オタクがなる職業」とみなされるだけではないか。

白井氏は例外的存在かもしれないが氏の言説は人文系大学人の知的権威を完全に失墜させるほど威力がある。

白井氏の放置の果ては文系学部の整理縮小を目指す「大学改革」の徹底である。

しかし、まあ、思い切ってやってみるのもいいかもしれない。

(参考文献)
白井聡『白井聡対話集 ポスト『戦後』の進路を問う』かもがわ出版 2018年

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