戦国史は都市伝説だらけ:日本史定説の嘘を糾弾

2020年03月12日 06:00

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歴史の定説100の嘘と誤解:現場からの視点で』(扶桑社新書)で扱ったテーマのうち、第三回は、戦国時代と江戸時代の始まり。

江戸300藩の大名は愛知県出身者が過半数

江戸時代には武士と農民が身分は違えども同郷人同士として手を取り合って地域作りに励んでいたと思う人が多い。しかし、殿様は半分以上が愛知県人で、東海地方周辺がほとんど。武士たちもほとんどは殿様が出身地などから連れてきたよそ者だ。東海地方以外だと、仙台藩士はほとんど福島県人で、長州藩士は広島県人で、宮城県人や山口県人は少なかった。

江戸は豊臣秀吉が選んだ「大阪の弟」だった

德川家康は江戸がよほど嫌いだったらしくあまり江戸に滞在もしていない。なぜか家康は港町が嫌いらしいのだ。幼い頃に船で誘拐されたことがあるからだろうか。城下町を選ぶときは常に内陸都市だったから、秀吉から大阪に地形が似ている江戸に城を置けと言われてさぞ困ったのだろう。晩年は伏見と駿府に住んだ。

安土城は織田家発祥の地の隣接地であることが築城の理由?

織田家発祥の地と言われるのは、安土城から3キロほどの近江八幡市の津田というところだ。平資盛の子を連れた女性がここの土豪の妻となり、その子が越前の織田神社の神官の養子になった。信長がここに本拠を置いたのが、この由来と無関係と考えるのは変だ。

安土城の再建イメージ(伊勢忍者キングダム:KUZUHA/写真AC)

武田信玄は信長最強のライバルだったのか

武田信玄は死の半年前まで信長の同盟者だったし、支配地の石高も信長の数分の一。対等に戦えるはずがない。勝頼の夫人は信長の養女だったから、天目山で死んだ武田家の跡取りは織田信長の孫だった。なんでそうなったかを解き明かす。

本能寺の変をマキャベリ的に解釈する

定説はないが、朝廷がからんだ陰謀と言うのは正親町天皇は信長大好きだったし、四国問題など主たる理由にはなりえない。と思ったらマキャベリがいいこといっている。

本能寺の変の絵図とマキャベリ(Wikipedia)

上杉家が120万石だったはずがない

大河ドラマではやたら何万石拝領とか言う話が出てくるが、はじめて石高確立したのは太閤検地だし、流布している大名の石高は江戸初期のもので関ケ原以前にそれで議論なんかするはずない。

浄土真宗や日蓮宗は戦国時代になって発展

鎌倉仏教といわれる浄土真宗や日蓮宗だが、大発展したのは戦国時代になってからだ。そして、江戸時代になると檀家が固定されて仏教は宗教としての活力を失い葬式仏教になった。明治新政府が仏教を弾圧したと言うが、江戸幕府は大事にしたのか。坊主の生活を保障しただけだろう。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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