ロックダウンという外来語の弊害について

2020年03月30日 11:30

「ロックダウン」というカタカナ言葉が人を惑わせている。この様子を見ると、一昔前まで「日本の社会科学者は横文字を縦にしているだけ」と揶揄する人が多かったことを思い出す。欧米人が使っている言葉を、カタカナ日本語にして、それを解説するだけでメシを食っている学者がいる、という話である。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

今回の「ロックダウン」もそれと似ている。一昔前に、大学でカタカナ日本語が羅列されているだけの内容の授業を受けた人たちがジャーナリストになり、今、マスメディアに入り込んで、このような事態を引き起こしているのだとしたら、社会科学者にも責任がある。

「ロックダウンとは何か」、「ロックダウンの定義は何か」、「ロックダウンはいつ発生するのか」、「ロックダウンになると我が町の橋は封鎖されるのか」といった、要領を得ない議論が噴出している。

「マルクスにおけるアウフヘーベンと何だかわかるか?・・・え、お前、ダメだ、そんな理解じゃ!だいたい、そんな簡単にマルクスが分かったような顔で喋るな!」

といった一昔前の「学術的」与太話と大差がない。

最近、新型コロナのせいで、理科系の学者が書いた文章をいくつか読んでみたが、理論疫学の分野の学術論文などでは、lockdownという概念を使うようだ。感染症数理モデルを作る時に仮説的に「city lockdown」の概念を使ったりする。たとえば、有名になったイギリスのインペリアル・カレッジのレポートでは、「social distancing of the entire population, case isolation, household quarantine and school and university closure」という「4つの介入措置」を上回る次元の措置として日常的な就業も止める「a complete lockdown」という概念が使われている。だがこれは一般論としての抽象的な用語法の域を出ていない。

アメリカで新型コロナウィルスの感染が爆発的に拡大し始めた2週間ほど前、サンフランシスコ市長が「shelter in place」という概念で、外出禁止措置を説明した。このときはアメリカのマスコミが、「ニューヨークもshelter in place措置をとるか?」といった質いを投げかけ始めた。

これに対してクオモNY州知事は、「買い物にも散歩にもジョギングにも行けるのに、核戦争が起こったようなときに使うshelter in placeという概念を使うのは人を惑わすだけだ、道路が封鎖される等のデマ情報を流すのはやめろ」と説明したうえで、「stay at home」(家にいてください)というメッセージでくくりながら、「就業者の50%の自宅待機を求める」「全員の自宅待機を求める」といった具体的な要請内容を毎日の説明で段階的に付け加えていくやり方をとった。

NY州クオモ知事(公式flickrより編集部引用)

こうしたやりとりをへて、世界のメディアは各国の異なる状況を一般的な総称でくくる便利な概念として、「lockdown」を学者にならって使い始めるようになっている。

このことが何を意味しているのかと言えば、今回の状況は、世界的に初めての出来事なので、そもそも厳密に確立された法概念のようなものはない、ということである。

「ロックダウン」は、地理的に限定された範囲で何らかの移動の禁止措置が取られた場合に、一般的総称として使えることが判明してきたので使っているだけだ。現在、イタリア、ケニア、ニューヨークといった無数の場所で「ロックダウン」が導入されていると言えるが、全ての場合で、状況が違う。だが、だからこそ一般総称の概念がほしいので、「ロックダウン」という概念でくくっている。それだけだ。

したがってある時に日本のどこかで「ロックダウン」がどういう内容を持つのかは、日本の法的・社会的状況をふまえて、しかも段階に応じた感染症の状況をふまえて、為政者が設定していくべきものだ。「ロックダウン」という名の実体を持った怪物が、空から降臨してきて、都知事か誰かの口を借りてその存在が宣言される、といったものではない。

たとえば気象庁は「大雨警報(土砂災害)の危険度」を4段階に分けて設定し、それぞれに「避難指示」「避難勧告」「避難準備」といった避難レベルを対応させている。実はこの4段階だけでは判断に困るところもあるので、実際の災害にあたっては問題になることが多々あるが、それでも4段階あるのは、1段階しかない場合よりもマシだ。

たとえば「ロックダウン」にも4段階くらいある、と仮定すればいい。現在すでに東京では、「自発的な外出の自粛の要請」という事実上の初期段階の「ロックダウン」が断続的に導入され始めている、と考えるべきだ。この後、非常事態宣言に基づく措置をとる段階の初期レベル、それがさらに発達したレベル、といった段階的措置を、どのような状況で、どのような具体的な内容で、導入していることが最も適切であるか、が検討されることになる。

しかし間違っても、「ロックダウン」なる怪物によって、一夜にして世界が変わる、といったイメージを持ちすぎないほうがいい。世界を変えるのは、あくまでも人間であり、重要なのは「ロックダウンとは何か?」と問い続けることではなく、「いつ、どのように、どのレベルのロックダウンを導入していくことが最も妥当か」を検討することである。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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