【独自】朝日新聞社、社主制度廃止へ。創業家異論でガバナンス構造に注目

アゴラ編集部

東京・築地の朝日新聞東京本社(Lazaro Lazo/flickr)

朝日新聞社が、社主制度の廃止に乗り出していることが16日、わかった。

今年3月に亡くなった前社主、村山美知子氏(享年99)のおい、恭平氏がアゴラに寄せた手記(17日朝掲載)において、朝日新聞大阪本社の取締役から、6月の株主総会で社主家制度の根拠となっている定款を変更する見通しを示され、その代わりに創業家を顕彰する構想を持ちかけられたことを明らかにした。

また、手記では、「W現社長」とイニシャルにとどめながらも、渡辺雅隆社長が、創業家の一つ、上野家出身の社員に対し社主制度廃止の可能性に言及したとする話も公表。恭平氏はこれについて「上野家に対する嫌がらせかマウンティングの類なのでしょうか」などと指摘し、朝日新聞社側が、社主制度を置く会社の規約を無視してきたなどと主張している。

朝日新聞の社主は長年、村山美知子氏と上野家の当主だった上野尚一氏が務めていたが、上野氏が2016年2月に79歳で、美知子氏が今年3月に99歳でそれぞれ亡くなり、現在は社主不在となっている。

社主制度を巡っては、上野氏が亡くなった翌年に、元朝日新聞経済部記者の阿部和義氏がブログで廃止の動きに出る見通しを示すなど、メディア業界では以前から取り沙汰されていたが、社主廃止となれば、141年の朝日新聞社の歴史において名実ともに転換点を迎えることになる。

上野理一(左)、村山龍平(Wikipedia)

朝日新聞社は1879年(明治12年)大阪で創業。まもなく経営権を獲得した村山龍平(1850〜1933)が、上野理一(1848〜1919)とともに共同出資し、創業期の経営に当たった。村山家、上野家は戦後も大株主、社主として君臨した。

しかし、龍平の養子、村山長挙(1894〜1977)は社長在任中の1963年12月、対立していた幹部を解任し、「村山騒動」と呼ばれる混乱を招いて引責辞任した。近年まで社主だった村山美知子氏は長挙の長女。上野尚一氏は理一のひ孫に当たる。

村山家の当主だった美知子氏は最大時には36.4%の朝日新聞社株を持つ筆頭株主だったが、2008年に21%余をテレビ朝日や村山家ゆかりの香雪美術館を運営する公益法人に譲渡。残りの11%の株も、同美術館に遺贈される見通しだ。村山家は美知子氏の妹とその長男である恭平氏が計8.57%保有していたが、2013年に朝日の従業員持ち株会社などに譲渡。上野家は20%近くの株を保有し続けているが、一族トータルで45%もの株を持っていた村山家が株主ではなくなったため、実質的に影響力はなくなっている。

しかし、村山美知子氏が死去した直後の今年3月下旬、元朝日新聞社会部記者の樋田毅氏が美知子氏の評伝『最後の社主』(講談社)を出版してから騒動の余波が起きている。同書では朝日新聞社が村山家の影響力を削ぐため、数々の暗闘を繰り広げてきた内容が赤裸々に語られ、メディア関係者の注目を集めており、朝日新聞社は、樋田氏と講談社に対して同社に無断で出版されたなどと抗議した

これに対し、村山恭平氏が朝日新聞社に対して反論する声明文をアゴラで発表。さらに美術館への美知子氏の保有株遺贈についても疑義を表明するなど、異例の事態が続いており、朝日新聞グループのガバナンスの動向が注目されている。