厚労省クラスター対策班のメンバーである西浦博氏は、4月15日に突如「42万人死亡」説を発表し、国内に大きな驚きと反響を巻き起こしました。このまま何の対策もしなければ、日本の死亡者数は最大42万人にも達するというのです。
彼は、4月3日にも東京の感染者は1か月後に8万人になると発表し、これを受けるような形で、安倍首相が4月7日に緊急事態宣言を発出したのは記憶に新しいところです。
42万人も死亡するというのは、最近の自然災害と比べても桁違いの大災害です。参考までに、2019年の台風19号は89人、2011年の東日本大震災は1万8,400人、1995年の阪神・淡路大震災では6,400人もの方々が亡くなりました。これらの何十倍、何百倍の人的被害が出るというのだから、日本中が騒然となったのも当然です。
この戦後未曽有の大惨事を防止するために、人的接触を「8割減」にすればよいと提言したことから、彼には「8割おじさん」の名前が定着しました。
幸いなことに予測は大きく外れ、現実の死者は現在900人ほどにとどまっています。
多くの人が不思議に思っているのは、なぜ3桁も違う500倍も予測が外れたかということです。また、これだけ外れる可能性がある予測を、厚労省・専門家会議の責任者でもないメンバーが、マスメディアで大々的に発表したかということでしょう。
彼の発表には、2つの大きな謎が残されています。1つは、彼が使った数理モデルとデータがいまだに非公開であることです。もう1つは、正式な責任者でもないのに、テレビで大々的にプレス発表をしたかということです。
本人のインタビュー記事はいくつかあり(文春など)、それだけではなくニコニコ生放送に出演してベースとなる計算方法などを示しています。私は、これらも含め、複数の資料をチェックしました。しかし、謎が深まるばかりで、彼が何を考えているのか全く理解できません。
ところが、ある日のツイートがきっかけで、ほとんどすべての疑問が氷解したと感じたのです。結論は、
1. 予測に使った数理モデルは一般的なもの(SIRモデル)で実効再生産数Rtは2.5
2. 「42万人死亡」の根拠は、日本の人口1億2,600万人の60%が感染し、うち0.5%が死亡
3. 予想される大惨事を防ぐため、正義感から大々的に発表
ということになります。以下は、私自身の備忘録です。
予測に使った数理モデルとデータは何か
奇妙なことに、彼が予測に使った数理モデルとデータは非公表となっています。科学的な予測なら、何の根拠もないということはあり得ません。もっとも、概要は彼の8割の行動制限の動画を見れば、ほぼ推測できます。
結果だけ書いておくと、この数理モデルは感染症では一般的なSIRモデルで、実効再生産数Rtは2.5 (何も対策をしない場合はRoと同じになる) となります。
計算してみると、日本の人口1億2,600万人の60%が感染し、うち0.5%が死亡するなら、確かに「42万人死亡」という結果が得られます。SIRモデルとRt(実効再生産数、上の動画ではReと表記)は意外と難しいらしく、何人かから質問を受けました。そこで、改めて説明しておきます。
細かいことは全部省略して、シンプルかつ具体的に言いましょう。
仮に私が新型コロナに感染しているとします。運よくすぐに治ればいいのですが、たいていは完全に回復する前に接触した誰かにうつしてしまいます。
では、平均すると、感染者1人は何人ぐらいにうつしているのでしょう? 多くの研究がありますが、現在の定説では2.5人とされています。この「1人が他の人にうつす倍率」、つまり2.5人÷1人=2.5が実効再生産数Rtと呼ばれる数字です。
1人が2.5人にうつすと、時間とともに1人→2.5人→2.5×2.5=6.25人…と指数関数的に感染者は増大していきます。つまり、たった1人の感染者が、あっという間に何千人、何万人にもふくれあがり、重症者や死亡者が続出することになります。これが、新型コロナが恐れられている最大の理由です。
そこで、この実効再生産数Rtを「8割削減」すれば、新型コロナの感染が終息するというのが西浦氏や専門家会議の提言なのです。
人との接触を8割減らせば(=2割にすれば)、1人が0.5人(=2.5人×0.2)にしかうつしません。そうなると、感染者は1人→0.5人→0.5×0.5=0.25人…と指数関数的に減少して最終的には収束します。細かいことを言うと、Rtが1より小さければ必ず終息するのですが、期間は長くかかることになります。
繰り返しますが、この本来2.5である実効再生産数Rtを「1より小さくする」というのが大きなポイントです。
「42万人死亡」はなぜ間違ったのか
しかし、日本のRtの実測値は0.7~0.8だったので、西浦氏の予測に反して、入国制限後には感染が自然に収束していきます。その経緯は、前回5月28日の記事に書いたとおりです。
ここで疑問になるのは、「42万人死亡」を発表した4月15日の時点で、既に感染が収束するきざしが見えてきたことです。具体的に当時の厚労省発表の数字(報告日ベース=感染から2週間後)で見てみましょう。
新規感染者は、4月12日(都道府県への報告は1日前の4月11日)をピークにして減少を始めています。しかし、統計的なバラツキもあるので、この減少は、(1)本格的に反転したのか、(2)単なる一時的なものなのかは判断に迷うところです。
もちろん、結果的には(1)の判断が正しかったことになります。
普通の人なら、このグラフを見て「42万人死亡」という断定的な結論は下せないでしょう。繰り返しますが、新規感染者が増えるか減るか判断に迷うはずだからです。しかし、当時の西浦氏は、自信満々で「激増する」と断定したことになります。それはなぜでしょうか?
この謎を解くきっかけが、あるツイートから見つかりました。
基本的には[RoやRtは]国際的に合意が取れてる数字を使います。じゃないとトンデモ研究扱いになるので。
納得してもらえたでしょうか。西浦氏は、感染症の数理モデルを扱う世界的権威に師事したことがあります。この数理モデルは絶対正しい…と強く信じていたとすると、彼の判断は当然すぎるほど当然だということになります。
実は、そう思って資料を読み返すと、感染の「オーバーシュート」も含め、過去の言動はすべて辻褄が合うのです。ただ、残念なことに、その結果がどうなったのかは、皆さんご存知のとおりです。
西浦氏の言動のバックグラウンド
ここからは個人的な感想が中心となり、それほど強い根拠があるわけではありません。
西浦氏は、医師として極めて異色の経歴を持っています。最初から医学部を目指していたのではなく、市立神戸高専・電気工学科出身で、ロボコンにも興味があったそうです。私はそういう人を多く知っていますが、たいていはアイドルやアニメが好きで人がよく、機械や数字をいじることも嫌いではありません。
これは、彼が指原莉乃の大ファンで、アイドル好きを公言していることと一致します。彼女から直接ツイートとされて、無邪気に喜んでいたという話も聞きます。感染症の数理モデルのために、コンピュータを駆使して膨大なデータを解析するというのも、高専出身であれば大いにありそうな話です。
こういう人物で、政治的な動きをするようなタイプは極めてまれです。一部の人から、彼の言動は非常に政治的だという指摘が出ていますが、私はそうは思いません。
ではなぜ、そういう非政治的な研究者が厚労省の事務室で大々的にプレス発表をしたのでしょう。それは、大惨事を防げるのは数理モデルを理解している自分だけ、という強い自負と正義感によるものだというのが一番腑に落ちる説明です。
残念なことに、医学部の偏差値は高いのですが、統計に弱い人が多いらしいのです。これは、感染症の専門である岩田健太郎氏の記事に「多くの[感染症の専門家の]人達が数理モデルそのものを理解していない」とあることでも裏付けられます。
こう考えると、西浦氏のほとんどの言動が合理的に説明できるのです。
秋口には第二波が襲来するかもしれません。現在までの知見と情報を幅広く公開し、日本のため、ひいては世界のために役立てほしいと願うのは私だけではないでしょう。
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大澤 省次
理系出身で、サラリーマンとして勤務する側、得意とする統計学を使って血液型と性格の相関などを研究中