知的権威を失墜させた人々
安倍首相が健康を理由に退任を表明した。筆者も含めほとんどの国民は予想外だったと思われる。
SNS上では反安倍の方々も早速反応している。
例えばYahooに記事を投稿している弁護士の渡辺輝人氏は「今年の初めまで安定した支持率を誇っていた総理大臣を運動と世論で辞任に追い込んだ」と評価している。
もう、今日のツイッター世論は、それぞれの立場でものは言いようになっているので、私もそうするが、「選挙で多数派にならなくても衆院で3分の2を擁し参院でも安定多数を擁し、今年の初めまで安定した支持率を誇っていた総理大臣を運動と世論で辞任に追い込んだ」という視点は極めて重要ですよ。
— 渡辺輝人 (@nabeteru1Q78) August 28, 2020
しかし、不思議である。安倍首相は健康を理由に退任を表明しているのにどうして「運動と世論で辞任に追い込んだ」ということになるのだろうか。反安倍の運動と世論の圧力が安倍首相の健康を害したとでもいうのだろうか。本当に奇妙である。しかし、この奇妙さが「反安倍」である。それは一つの「醍醐味」と言えよう。
渡辺氏のSNSを見て改めて思うのは安倍政権下では相当数のマスコミ人、大学人、法曹人が「反安倍」の文脈で発言し、その知的権威を失墜させたということである。
本稿では知的権威を微塵も感じない反安倍の主張で筆者が特に印象に残ったものをランキング形式で紹介することをお許しいただきたい。
「正視に耐えない」ランキング
第5位「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる。」山口二郎法政大学教授
反安倍ウォッチャーなら誰でも知っている発言だろう。普段、自由・民主主義・人権の重要性を強調している「リベラルな学者先生」が実にストレートな発言をした。あまりにもストレートで芸はないがその芸のなさが全国の反安倍ウォッチャーを当惑させた「え?それを言っちゃうの…」というやつである。奇襲攻撃としての完成度は高い。何かのスポーツに応用できそうだ。もし山口氏にほんのわずかでも「遠慮」があればこの発言なかったはずである。
第4位「エビデンス? ねーよそんなもん。」高橋純子朝日新聞編集委員
これは高橋氏の著書「仕方ない帝国」の一文である。朝日新聞記者は事実ではなく「反権力」の姿勢、態度を追求するだけで成立する職業であることを教えてくれた文でもある。あくまで態度、姿勢だけの反権力なので全く中身がない。驚くほどない。「エビデンス? ねーよそんなもん。」なんてどう反応していいのか困る。「反権力の熱量が凄いですね」と反応するのがマナーかもしれないが常に「奇をてらっているつもりですか?」「全然おもしろくないですよ」と指摘したくなる誘惑にかられる。高橋氏の文は「女性記者」への偏見しか生まないだろう。
第3位「安倍を退陣させるだけでは不十分であり、しかるべき場所(牢獄)へと送り来まなければならない」白井聡京都精華大学専任講師
白井聡氏 75年前の失敗のツケを我々の手で清算しなければ(日刊ゲンダイDigital)
言外に「自分は何もしない」という姿勢がはっきりと見える。この記事からもう半年近く経つが白井氏は安倍首相を牢獄に送り込むために何かしたのだろうか。何もしていないだろう。白井氏の行動力のなさは依然指摘した。
「安倍首相を牢獄へ」で注目〜“革命能力なき革命家”白井聡という男
氏は2011年に「国家と革命」の解説で「日本における革命の必要性」を説いたが、革命はいつ起きるのだろうか。いや、いつ起こすのだろうか。子どもが大人になるくらいの時間を経たが氏がやったことと言えば過激な発言を繰り返してデジタルタトウーを量産したことではないか。
第2位「国民を代表する記者」日本新聞労働組合連合
新聞記者は国民を代表していたらしい。なぜ、民間企業に就職することが国民を代表することになるのだろうか。新聞記者は「国民の代表者」と同程度の価値があると言いたかったのかもしれないが、それならばその資質が問われるのは当然であり世間の批判には真摯に応じるべきではないか。
突き放した言い方をすれば「新聞は偏向している」と言われる内が花である。本当に世論から見放された場合、批判すらなくなり、血も涙もない冷酷な「改革」の対象になるだけだろう。
第1位「法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです」(朝日新聞2015年11月29日朝刊)長谷部恭男東京大学名誉教授
この発言は「国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。」で締められる。
独善の極みであり、憲法学者の政治的社会的影響力を考えればとても看過できない発言である。憲法学者は安全保障政策にも影響を与える存在である。なんの権限も資格もない一民間人が我々国民の生命、安全に影響を与えているのである。安全保障政策だけではない憲法学者はあらゆる分野に発言している。その姿はさながら「知的指導者」だ。
もっとも独善が過ぎるためか安保法制可決以降、憲法9条の解釈のおかしさを指摘されるようになった。憲法学者は英米法的な日本国憲法を自身の政治的イデオロギーに基づいて大陸法的に憲法解釈しているだけであり全く法律家的ではない、と。筆者もささやかながら憲法学者の解釈の奇妙さは9条だけではなく過去に地方自治の分野でも指摘されていたことを紹介させていただいた。
安倍政権の最大の功績
ここまでランキング形式で反安倍の奇妙な主張を紹介させていただいたが、安倍政権の「最大の功績」とはこれらの主張を世に知らしめたことである。上品な「保守本流」の政権・政治家では無理だっただろう。
そしてこの奇妙な主張する反安倍の正体は「在野の体制の番人」であり、すなわち「立憲主義を守る」とか「民主主義を守る」という名目で自由社会を超えた存在になり、自由社会自体を支配しようとする者である。
この「在野の体制の番人」は保護産業の一員もしくは同産業に密接に関係していることが多く、主権者たる国民に還元されるべき公的支援(減免、補助金交付等)を「特権」と誤認している者でもある。要は腐敗している。
意識的に解体を
筆者は安倍政権が終われば反安倍が消滅するというのは楽観的過ぎると考える。議論を妨害する「在野の体制の番人」は安倍政権の有無に関係ないことから意識的に解体すべきである。
その具体的な手法は報道・大学業界への公的支援の見直し、両業界の自由化、情報公開の推進(放送アーカイブの整備等)、国家試験(司法試験・公務員試験等)における憲法学の位置づけの見直しといった平和的なもので済む。
雇用リスクが生じる改革が問題だと言うならば放送アーカイブの整備、国家試験改革だけでもよい。それだけでも日本は良い方向に変わると筆者は信じている。
「ポスト安倍」の課題はこれらを実現することである。政局はよくわからないが「保守本流」には難しいのではないか。