中野区の秘史3 ~中野区役所と自民党本部は兄弟~

2020年12月31日 06:00

中野区政で区役所の移転におけるエピソードには様々な秘話があるが、時効ということで、中野区議会史(区政50周年記念、1932-1981年)と諸先輩方からの伝聞を基にその歴史をここにしたためる。

中野区役所の位置の変遷(google mapに著者加筆)

中野区の秘史1 ~中野町+野方町=中野区?の謎~」で説明させていただいたが、中野区は中野町と野方町が合併してできた自治体である。

中野町役場は中野区中央2-33-3(宝仙寺敷地内)、野方町役場は中野区野方5-3-1(現・野方区民活動センター)にあったが、1932年、合併を機に中野町役場が仮庁舎として、初代・中野区役所となった。自治体の役割が大きくなる中で初代・中野区役所は手狭であり、早急な移転が必要であった。

旧野方町の区民は新区役所の旧野方町エリアへの移転を望み、旧中野町の区民はできるだけ旧中野町エリアに留まって欲しいため、間を取り、中野駅から5丁(約545メートル)以内、800~1000坪以内の場所に設置することとした。

区役所の位置をどこに決めるかによって、旧町村の対立が生まれる可能性があった。結果、1936年、2代・中野区役所は、中野駅南口から程近い中野区中野2-27-1(現・中野郵便局)の敷地となった。

区政史において、度々、中野と野方の綱引きがあったようだ。

1968年、2代・中野区役所の老朽化に伴い、3代・中野区役所の移転となる。時代が時代ではあるが、この際には様々な政治力学が垣間見える。

3代・中野区役所の移転候補地として、無理筋なものを含めて、中野区新井3-37-6(旧中野刑務所、現・平和の森公園)、中野区中野4-11-14(当時は中野区立第九中学校、現在は旧・中野体育館、4代・中野区役所予定地)などが上がり、結果としては、中野区中野4-8-1(現・中野区役所)となった。

しかし、当時、この地は警察大学校の敷地であり、国からの払い下げなしには購入することはできない。また土地の購入、新庁舎建設費用を捻出するためには、2代・中野区役所の広大な敷地を売却する必要があった。

どちらとも大きな力が働いたといえるエピソードである。

まず土地の購入であるが、そもそも警察大学校の敷地内であり、国有地である。

「中野区の秘史2 ~田中角栄と中野サンプラザ~」でも取り上げたが、1973年開業の中野サンプラザもまた同じ警察大学校敷地内であった。

3代・中野区役所(現区役所)は中野サンプラザと隣接しており、当時、中野駅北口にあった警察大学校敷地の解放運動が盛んにおこなわれていた。建物の高層化により、敷地面積を減らすことができるというものである。

ちなみに全面解放は警察大学校が府中移転後の2012年までに至った。

中野区から警察庁、大蔵省などへの陳情をしていた。

田中角栄氏は当時、大蔵大臣、自民党幹事長を務められていたので、中野サンプラザ同様、何らかの指示があったと考えられる。また他にも中野区役所の建設に大きな関係があると思われる。

実は中野区役所と自民党本部は兄弟である。

石井桂(1898-1983、自由民主党衆議員1期、参議員2期、建築家)が両方の設計をした。建築時にはベランダ部分が足場の機能を有し、建設費用の圧縮ができると聞いたことがある。

ちなみに中野区役所建設時は7階建てだったが9階に増築された。

参考;Holography Architecture – ホログラフィー・アーキテクチャー

次に土地の売却であるが現在、中野郵便局があることから、郵政が土地を入手したことは間違いないが、区議会史には次のようにある。

「(1968年)11月25日の総務財政員会の模様につき『朝日新聞』は26日付で「土地処分に私企業が介在、区役所跡地問題でもめる」の記事を掲載した。この日傍聴席では東京郵政局へ売ることに反対している地元商店会の代表ら30人が傍聴していた。売買は土地をいったん京成電鉄へ売り、東京郵政局所有の土地と同電鉄が交換することになっていた。」(区議会史245ページ)

「東京郵政局の手続き上の理由により、やむをえず京成電鉄が介入することになったとのことであるが、これは民間に売却することであり、当然随意契約でなく競争入札の形をとるべきである。」(同246ページ)

「売却の相手方は公共機関郵政局であり、交換方式をとったのは郵政局の都合上、京成電鉄がこれに介入しただけで、区側に不利になる約款は存在していない。所有権移転登記は中間登記を省略し、区から直接郵政局へ登記替えすることになっており、下谷郵便局に関する郵政局と京成電鉄の交渉(郵政局が、上野駅前の下谷郵便局土地を京成に売る代わりに、京成の所有地と中野の跡地を京成から取得するもの。)が遅れても、被害が区へ及ばないことを考えており、異論をはさむ余地はない。」(同247ページ)

中野区と東京郵政局(現・ゆうちょ)の土地売買に京成電鉄が介入した。公有地を一時的とはいえ、民間に随意契約(任意で決定した相手と契約を締結すること)で売買するのはいかがなものかと議会で紛糾した。

現在の上野マルイは京成グループの所有物であり、その前身は下谷郵便局であった。

旧・東京郵政局下谷郵便局 位置図(現・上野マルイ)(google map)

当時、京成電鉄はJR上野駅・京成上野駅前の一等地に百貨店出店を希望しており、東京郵政局はおそらく地代を工面できないため、京成電鉄が介入することで現在の中野郵便局を取得した。

区議会史に具体的なものは明記されていないが、東京郵政局と京成電鉄間では+αの取引もされていたようだ。

これにより実質的には東京郵政局から地代を払われたことになった。様々な疑義があったものの、土地の売却に成功した。

中野区・東京郵政局・京成電鉄の取引概要図

そして令和の時代になり、4代・区役所移転が決定している。建築工事予定期間は令和3年7月~令和6年2月(32ヶ月間)で間もなく着工となる。

規模:地上11階・地下2階・塔屋1階
建物高さ:52.85m(平均地盤面からの高さ)
建築面積:4,096.66 ㎡
延床面積:47,390.21 ㎡
建蔽率:70%  容積率:450%

私は中野区議会議員として、現庁舎の老朽化に伴う4代・区役所の建設に関する議論に加わっている。

過去の新庁舎整備には中野町と野方町の綱引き、国とのやりとりなどがあった。

現在では、コロナ禍での財政悪化に配慮した予算措置、新しい生活様式への適応、マイナンバーカードの普及による来庁者の縮減、働き方改革を含めたペーパレス・フリーアドレス・テレワークの推進など多くの課題があり、今の時代ならではの問題が山積している。

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加藤 拓磨
中野区議会議員、元国交省研究官(工学博士)

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