「中間小説」の必要性 - 池田信夫

2009年02月09日 14:59

松本さんの記事にある藤原正彦氏のような議論は、学問の世界では問題になりませんが、彼の本がベストセラーになったことでもわかるように、床屋政談では主流派です。政治の世界でも「市場原理主義」を批判する通俗的な議論が与野党を問わず多く、経済学者の意見はほとんど影響力がない。オバマ政権の主要な経済閣僚が、経済学者で占められたのと対照的です。


この責任は、経済学者にもあると思います。日本の経済学界ではマルクス経済学の影響が強かったため、「近代経済学」の最初の世代は、アメリカから輸入した数学的モデルの華麗さでマル経を圧倒する戦術をとりました。これは成功を収めたのですが、その弊害として理論偏重のバイアスが残り、「経済学はアメリカの輸入品で役に立たない」という批判を浴びる原因になりました。このため昔の経済学しか知らない世代の政治家やジャーナリストは、経済理論を「机上の空論」として無視し、経験主義に頼る傾向が強い。

日本の経済学は、理論ではそれなりの水準に達していますが、実証研究が弱い。さらに少ないのが、一般向けに経済学の考え方を広め、あるいは政策を提案する経済学者です。経済学の専門誌には高度な理論が出ているのに、永田町では藤原氏のような「大衆小説」が流行し、派遣労働の規制のような明白にナンセンスな政策が出てくる。それを進めたのが、もとは政治学者だった舛添要一厚労相なのだから、病はなかなか深刻です。

経済学の理論を一般向けに語ることは、本質的にはむずかしい仕事ではありません。経済学のロジックは、よくも悪くも単純なので、それに慣れれば理解することはむずかしくない。むずかしいのは、それが人々の感情にさからう場合が多いことです。たとえばミルトン・フリードマンが50年前に『資本主義と自由』で提唱した負の所得税は、ほとんどの経済学者の賛成する制度ですが、全面的に実施した国はひとつもありません。日本でそれを実行すると、厚労省が廃止されるからです。

こうしたpolitically incorrectな提案で人々を説得するには、フリードマンのような超人的な雄弁がないとむずかしいでしょう。日本では、竹中平蔵氏がそういう才能をもっていたので、小泉政権の経済政策は世界からも評価されるものになりました。竹中氏には失礼ですが、学問的貢献という点では、彼の業績はフリードマンに比べるべくもありません。しかし問題は業績ではなく、コミュニケーション能力なのです。

経済学は自然科学と違って、経済学者だけが知っていても役に立ちません。多くの人々、特に政策担当者がそれを理解しないと意味がないのです。その意味で、経済学のロジックをわかりやすく伝え、合理的な政策を提案することは、学問そのものに劣らず重要です。経済学者が学術誌のような「純文学」に集中するのは、学界での地位を得るためには重要でしょうが、限界生産性から考えると、今のように間違いだらけの大衆小説ばかり横行している状況を是正するほうがずっと重要だと思います。

ケインズは、マーシャルの追悼文で「経済学者の本業はパンフレットを書くことだ」とのべています。当サイトも、いい意味でのパンフレットとして、経済学の常識を政策担当者やジャーナリストに伝える「中間小説」の役割を果たしたいと思っています。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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