日本は「お任せ封建土候国」(「論争の不在」を読んで) - 北村隆司

2009年02月21日 22:44

大正デモクラシー時代に学生生活を送り本格的な論議に馴染んでいた父は、日本が敗戦によるアメリカの影響で論議を端折ったダイジェスト文化に汚される事を恐れていました。

勉強嫌いな私に、少しでも刺激を与えようと語ってくれた「福田徳三・小泉信三」師弟論争やアインシュタインの一橋大学訪問の興奮は、当時中学生であった私の其の後の人生に大きな影響を与えました。その様な父の影響もあり、大学では全学の学生が聴講できる特別講義は欠かさず出席するように勤めました。


特別講義の講師は国籍や時代を超えた偉大な方々で、その説得力に放心させられた事が何度もありました。単位を貰えないこの講義シリーズが、母校に一番感謝している経験です。物静かに語る偉人の講義は、折伏とは異なり物事を深く考えさせる不思議な説得力を持っていました。

中でも、故ネルー印度首相の言葉と語り振りは忘れる事が出来ません。ネルーが獄中から娘のインデイラに書いた196通の手紙を、954頁に纏めた「父が子に語る世界史(Glimpses of World History)」に私が惚れ込んでいた事が影響していたのかも知れません。

講演の中で日本に触れたネルー首相は、「昨日は東京の幼稚園にご案内いただきました。幼い子供達が、先生の合図で一斉に日印両国旗を振って歓迎して呉れる姿や、誰一人脇目もしない行儀の良さを見て、印度にこの十分の一の秩序があったら我国の発展はずっと早くできるのに!と羨ましくてなりませんでした。それと同時に、恐ろしさに戦慄が走った事を覚えています。こんな幼い年頃から、一糸乱れず指導者に従う訓練を受けた国民は、例えばヒトラーの様な誤った指導者が現れた時、果たして抵抗できるだろうか?と疑問に思ったのです。」

子供が先生の言うことに従うのは当前だと思っていた私こそ、驚きの戦慄が走った一瞬でした。大声で怒鳴り、相手を決め付ける事が論議と思われがちな日本とは全く異なった、「論理」の展開に目覚めさせられたものです。

その後、アメリカに永く暮らした実感は、父が心配していた「ダイジェスト文化」はアメリカには存在しないと言う事でした。他人の言う事を鵜呑みにしない伝統を持つ欧米では、普通の庶民でも、簡単には「ダイジェスト」は受け入れません。日本から見ると理屈っぽくて可愛げが無いのです。タブロイド情報に属するゴシップは、真偽を確かめる事も無く風の如く広まりながら、自分がステーク・ホールダーになると簡単に引き下がりません。

法律を決め手にする日本と異なり、説得力を持つ弁論の方が遥かに大きな影響力を持つアメリカの国柄は、論議の中身を濃くします。国民を巻き込んだ「税金論争」はその典型です。学問の無い一般アメリカ人でも、エゴ中心の日本の税金論争より遥かに社会全体を頭に置いた論議をします。

日本の論議の大半は受け売りで、権威者を引用して相手を攻撃する「虎の威を借る狐」論議の様に見えてなりません。その様な風潮の中で、解説する大学教授よりレベルの高い政治家の発言が散見され出した事は嬉しい限りです。

私には論評する資格はありませんが、TV局お好みの学者、評論家の方々決め付けの感情論と不勉強、データの誤解が目立つのは驚くばかりです。政治、経済は生き物です。実証の出来ない意見を事実と断じ、古びた紙芝居を繰り返し読んで出演料を稼ぐ識者の存在は、残念を超えて怒りすら覚えます。

自分の意見を表に出して批判される事を恐れる日本の風潮は、TVの報道や国会の論戦にも表れ、プロである筈の報道記者や政治家が目を原稿に落しながら喋るのが気になります。自分の言葉に責任を持ち、聴衆を見据えて語る諸外国との大きな違いです。自分の言葉や主張がない所に論戦は成立ちません。

「俺が正しい。お前は間違っている。お前は解ってない」とドグマを繰り返す日本の論戦は、実証的論議や内容より結論を知りたがる日本国民には解り易いのでしょう。論戦は理解を深める道具の一つですが、暗記教育を受けた日本人は理解や判断は苦手で、知的な論争は時間の無駄なのかも知れません。

池田、松本両氏は、「日本では未だに社会主義的影響が強い」と言っておられますが、私にはそれは「少し褒めすぎ」である様に思います。私は日本の現状を「お任せ封建土候国」だと思っています。

企業も国も再分配秩序で成り立っている日本が、社会主義に見える事は理解出来ます。然し、日本の再分配社会は論議の末に目的意識的に決められた制度ではなく、形式的欧米化に忙しく理念を見落とした維新の改革で、封建土候時代の習慣がそのまま残されたに過ぎません。

その典型的な例としては、日本には、給え与える「給与」の観念はあっても、勤労所得の実感を持つ人は殆どいません。又、賞め与える賞与には慣れていても、ボーナスとかインセンテイブと言う考え方は、格差を呼ぶとして好みません。お殿様に全てを献上して再分配を受けるお任せ封建土候思想が今でも脈々と生きる日本です。維新で変った事は、お殿様には言えなかった愚痴、陰口が増えた事くらいでしょう。

「小泉改革と地方格差」、「労働者派遣法と貧困」、「簡保の宿の不透明競売」。最近増えてきたこういう表題の批判記事の殆どには、どれ一つ取っても理性的説明がありません。特に負債や従業員付きで競売に付した「簡保の宿」の事業売却を、「不動産価値に換算して、安い」と主張する鳩山総務相は、権力悪用の危険思想の持ち主に思えてなりません。真否の論議を棚に挙げて、報道機関の喜ぶ事を繰り返す事で、国民が納得してしまう日本は、今後の国際競争の激化の中で一体どうなるのでしょう?

難しい事は「殿にお任せ」する日本に、客観的論議が育つ筈はありません。抱えないと運べないほど分厚い日曜版は別として、毎日60ページ以上の紙数がある英米の新聞報道と、その半分もない日本の新聞では、国民が接する情報の質が異なります。日本は悪い意味での「お任せ」、「ダイジェスト文化」のオンパレードで、オープンな論議を重んじた大正デモクラットは、今頃墓場の中で身を捩りながら嘆いているに違いありません。

北村隆司

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