昨年10~12月期のGDPは年率マイナス12.7%となり、GDPギャップはマイナス4.3%に拡大しました。これを受けて3次補正予算の話が出ていますが、これは次のような前提にもとづいていると考えられます:
- 現在のGDPギャップは一時的なもので、景気対策で時間稼ぎをしていれば来年は元に戻る
- マクロ政策によってGDPギャップを埋めることができる
- 経済が潜在GDPの水準に戻れば、引き続き成長が可能である
まず問題なのは、1の前提です。現在のGDPギャップの最大の原因は、北米市場の落ち込みと円高による輸出産業の業績悪化です。これは世界的規模の経常収支インバランスがバランスに向かう動きなので、日本だけの力でインバランスに戻すことは不可能です。つまりGDPギャップの基準となる潜在GDP(マクロ政策で動かせない)が、大きく下がった可能性は否定できない。
したがって2も疑わしい。現在のGDPが潜在水準から大きく乖離していないとすれば、それは(定義によって)財政政策で埋めることはできないからです。話題の政府紙幣も無利子国債も、財政政策だから同じことです。金融政策も、ゼロ金利に近い状況では、限界があります。リスク資産の買い入れなどの非伝統的政策は、最大限やるべきだと思いますが、これも大した効果は見込めません。インフレ目標(人為的インフレ)は、世界のどこの国でも問題にならない。
究極の問題は3です。かりに潜在成長率に復帰したとしても、その水準は1%以下に低下したと推定されます。マイナス成長が、かなり長期にわたって続くという予想も少なくない。金融危機の前に出た昨年の経済財政白書でさえ、日本経済が長期停滞に入る可能性を排除していません。
私は個人的には、日本が優雅に衰退する道もあると思います。イギリスやフランスは、日本からみると衰退する老大国でしょうが、文化も芸術も盛んで、人々は生活を楽しんでいます。日本が成熟して、過去の資産を食いつぶして生きることができるなら、それもいいでしょう。みんな貧しくなっても、それによって安定した世の中になれば「幸福指数」が上がる可能性もあります。
しかし現実には、そうならないでしょう。「格差問題」でもわかるように、経済が停滞すると貧困の問題が大きくなります。それを騒ぎ立てるのは、市場経済や競争原理を否定して経済成長を阻害してきた人々です。
もっと大きな問題は、実は将来世代の純資産はそれほど大きくないということです。いろんな試算がありますが、たとえば鈴木亘氏の計算では、2005年生まれの人の年金給付は負担に比べて3500万円も少ない。世代間の不公平が、破局的に大きくなっているのです。あと20年のうちには、何らかの形で「徳政令」を発動することは避けられない。
したがって残念ながら、優雅に衰退する道は、日本人には残されていません。これは戦後ずっと、でたらめな政治と官僚機構を放置してきたツケなので、自業自得です。潜在成長率を高めることは可能ですが、そのためには終戦直後ぐらいの思い切った改革が必要です。失うものがあまりにも大きくなった日本人に、その覚悟はあるでしょうか。率直にいって、私は悲観的です。日本の最盛期は過ぎ、このまま下り坂を転がり落ちてゆくのではないでしょうか。それがゆるやかな衰退であることを祈るばかりです。