MVNO論議の不思議 - 松本徹三

松本 徹三

MVNOとはMobile Virtual Network Operatorの略で、自らは通信回線設備を持たず、既存事業者から借り受けるが、顧客に対してはあたかも自らが事業者であるかのごとく携帯通信サービスを提供する会社のことです。もともと欧米で始まった事業形態ですが、日本でも総務省が後押しして、いくつかの会社が参入しています。ところが、自ら通信事業者であるソフトバンクが同じ新興通信事業者のイーモバイルの回線を借りてサービスを行うと発表したのに対し、「MVNOはそういうことをするためのものではなく、このようなやり方は不公正だ」と意義を申し立てる人達が出てきて、今ちょっとした議論になっています。雑誌「選択」の記事では、このようなやり方を「不公正だ」とまでは言っていませんが、「野合」であると揶揄しています。


私は、このブログサイトには個人の資格で投稿しており、この場を借りてたまたま自分が勤務しているソフトバンクの弁護をするかのような議論をすることには気が進みませんが、この議論は、「企業活動というものの本質」と「通信事業における法制度のあり方」に関係すること故、あえて一言言わせて頂きたいと思います。

そもそも、一面で競争関係にある複数の企業が、別の一面では協調し、お互いに有無を通じ合ってコストを下げようとするのは、ビジネスの世界では日常茶飯の事であり、色々な業種で行われていることです。また、欧州では、各国の大手携帯通信事業者どうしがお互いに設備を融通しあって、無駄な設備投資を抑制しています。当事者どうしの合意によって作り出されるこのような協調関係に司法や行政が介入するのは、それがカルテル行為とみなされる場合や、独占的な状況を作り出すと危惧される場合に限られるのが普通です。

ソフトバンクとイーアクセスの場合は、業界第三位と第四位の会社の提携であり、両者あわせても首位のドコモのシェアの半分にもならないわけですから、もとより問題になるべくもありません。それどころか、通信業界のように、規模の利益が大きくものを言う上、もともとは官営の独占事業であったものを民営化して何とか競争状態を作り出そうとしている業界では、十分な規模に達しない新興事業者どうしがお互いに面子を捨てて協調することは、むしろ奨励されてこそしかるべきだと思います。プロフィット・シェアというものは、各企業が目的とする「利益率の極大化」を我慢するものですから、本来嬉しくも楽しくもないものですが、自社に欠けているものがある限りは、各企業にとって当たり前の選択肢の一つです。

この問題で異議を申し立てている日本通信の三田社長は、私も個人的に存じ上げている方ですが、具体的に何を懸念しておられるのかよく分かりません。日本通信はドコモのMVNOですが、この条件については当初当事者どうしの合意が成立せず、やむなく総務省が「紛争処理」の対象案件として介入しました。そのこと自体は、「強い立場にある事業者を牽制し、新規事業者を助けて競争を促進する」という観点から、妥当なことだったと思いますが、この日本通信が、他の事業者間でたまたま合意された通常の商行為に異議を唱えることの背景は、私には理解できないことです。

さて、私が更に不思議に思うのは、このことに触れた幾つかの新聞雑誌の記事が、「既存事業者どうしの相乗りは『MVNOの本来の意義』から外れる」とか、「通信事業者は先ず自社の設備を増強すべき」とか言っていることです。

先ず、MVNOというコンセプト自体は欧米で生まれたものであり、「既存の通信事業者にはない柔軟な発想やブランド力を持った会社が、これに魅力を感じた既存の通信事業者との間で、通信サービスから得られる収入をシェアする契約を結んだ」ことに始まります。このような契約は、実質的には「回線の販売代理店契約」とあまり変わりはないのですが、施設を所有している事業者の名前が表に出ないため、ユーザーから見るとあたかも全く新しい通信事業者が出現したかのように見えるので、これにMVNOというニックネームがつけられたものです。従って、日本の雑誌などに出てくる「MVNOの本来の意義」という言葉自体が、私には何を言っているのかよく分からないのです。

次に「通信事業者は先ず自社の設備を増強すべき」という主張ですが、これは「経済原則などは無視し、結果的に顧客に提供するサービスのコストを上げることになってもよいから、とにかく設備を打つのが通信事業者の本来の仕事である」と決め付けているかのように聞こえ、これまた理解できません。こういうことを言われるのは、恐らく実際に企業経営というものをやったことのない人達ではないかと思いますが、実際の企業経営というものは、常にコストを最小に抑えるためのあらゆるalternativeを追求し、競争に備えていかねばやっていけないものです。後先のことも考えずにとにかく箱物を作りたがるのは、そういったプロジェクトから利益を得る業者からの政治献金に期待する政治家と、とにかく見かけをよくして自分の業績を誇示したい地方自治体の上層部ぐらいであり、このようなやり方を押し付けられては、コストダウンに不断の努力を傾注している「普通の民間企業」はたまったものではありません。

通信業界に関して言うなら、国がやるべきは下記の4点に限るべきであり、あとは原則的に民間企業の知恵と努力に任せるべきです。

1)安全且つスムーズな通信サービスを阻害するような行為の取り締まり。

2)独占体制を切り崩し、公正競争環境を整備する為の諸施策の遂行。

3)国民の共有資産である電波資源の有効活用のための政策の立案と遂行。

4)消費者の利益を守りその便宜を拡大する為の、その他の様々な努力。

かつての通産省がそうであったように、総務省としては、上記以外にも、「通信産業の振興」とか「国産技術の開発支援」などもやりたいのでしょうが、これは、下手をすると「要らぬおせっかい」になってしまう恐れがあります。そもそも、公正競争さえ実現していれば、各事業者は顧客の支持が得られるようにそれぞれに最大限の努力するわけですから、消費者の便宜は自ずと拡大し、産業界全体の振興も自ずと図られる筈なのです。逆に、現場から離れた役所が机上で考えることには、思わぬ見落としがあって、予期せぬ結果をもたらす危険があります。また、国の支援を受けて開発するような技術は、考え方がどうしても甘くなって、「世界市場に売込めない技術は優れた技術とはいえない」という認識を最初から欠き、結果として世界市場から孤立した技術で日本市場を囲い込んでします恐れがあります。

通信事業は公益性を持った国の認可事業ではありますが、かといって「資本主義体制下での企業経営の基本原則」を外してよいというものではなく、この機会に、官民の全ての関係者が、もう一度本質的な問題についての認識を共通化する努力をするべきと考えます。

松本徹三