表現の自由を脅かす者、そして放棄する者-田部大輔

2009年06月06日 10:42

昨今、経済危機といわれる中、私個人として無視することができない問題について発言したいと考え、このアゴラで筆を執らせていただいた次第である。その話題というのが、「性暴力系ゲームソフトの制作が禁止へ–審査機構が決定」である。おそらく多くの人にとってはとるに足らない話題であるのであろうが、私は、今回の一件は日本が持つ(無意識かもしれないが大事にしてきた)自由の危機ではないかと考えている。


コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)がこのような決定をした背景には、記事にもあるように、海外の人権団体とやらが騒いでいることが直接の理由なのだろうが(誰の人権を守るつもりなのかは知らないが)、「アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同」をはじめとするある種のメディアや文化を追放しようとするキャンペーンや運動も遠因としてあげてよいだろう。

いわゆるエロゲをはじめとするアダルトメディアの世間に対する受けが悪いのは、今も昔も変わりないのだが、だからといって民間がこのような弾圧行為や言論規制を主導するのははっきり言って異常だ。国家との関係の一つとして規定されている「表現の自由」を民間団体であるはずの日本ユニセフ協会が平気で制限しようとしたり運動したり(それも論理的な整合性をともなうことなく)、ソフ倫が一時の身の安寧のためにこのような自主規制行為に走るのははっきり言って正気の沙汰ではない(長期的にみても自分たちの身を危うくする行為だ)。それとも、紙の上に描かれている、あるいはモニターの向こうにしかいない幻想上の人物の人権を本気で守ろうとでもいうのか。

マイクロソフトやヤフーは善意で協力しているだけのつもりなのだろうが、そんな連中がネット規制法医薬品のネット販売規制の問題点をもっともらしく語るのは笑止というほかない。結局のところ、自分たちの利害の絡むことについては常識人として行動するが、自分たちの利害と直接関係のないところでは無制限かつ無批判に善人として振る舞うということなのか。今の社会の自由を危うくするのは「悪人」ではなく、社会的に大きな影響力を持つ「善人」たちなのではないのか。

幻想や妄想の世界であっても、強姦や陵辱は許容できない一方、殺人は許せるというのであれば、そこにどんな論理や正義があるというのか。善人面でメディアを使ってキャンペーンをする輩、そしてそれに対して無批判に迎合するメディアは、是非ともこのことについて論理的に整合性を持った説明をしてほしいものである(とくに「性暴力に寛大な日本」などというレッテルを貼る輩は)。

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