仕分け人の態度と監獄実験 - 岡田克敏

岡田 克敏

 相手の言葉を平気でさえぎる、質問に対する簡単な答え以外の発言を許さない。事業仕分けのテレビ映像には、容疑者に対する訊問と見紛うような光景が見られます。このところの官僚バッシングを素直に信じ、官僚を悪と考える人たちにとって、仕分け人はたいへん頼もしく映ることでしょう。民主党の支持率が落ちないところを見ると素直な人が多いのかもしれません。


 一方、専門知識があるとは思えない人が極めて短時間に判断をするのを人民裁判にたとえたり、人気取りのための政治ショーと見る向きもあります。まあこちらの方があたっているように感じます。

 まあそれはともかくとして、私には仕分け人達の傲慢とも思える攻撃的な態度が印象に残りました。訊問された側の人たちはかなりのストレスをため込んだことでしょう。ところで、仕分け人となった人たちは元々あのような「非紳士的」な方々ではなかったと思います。なぜあのように変身したのか、思い出したのがスタンフォード監獄実験と呼ばれる心理学の実験です。

 1971年、スタンフォード大学で行われたもので、一般募集で集められた21人を看守役と受刑者役にわけ、2週間の予定で模擬刑務所内でそれぞれの役を演じることになりました。ところが看守役が凶暴化し、危険な状態になったため、実験は6日目で中止せざるを得ませんでした。演じる筈が実際の刑務所のような状況に陥り、看守役は囚人役を虐待し、禁止されている暴力まで振るって、囚人役は精神的にも危険な状況にまで追い詰められたとされています。

 実験の結果として、強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうことが示されました(Wikipedia)。またこの実験からは、演じる人間がその役にふさわしい人間に変化することが読み取れます。役へのはまり具合には個人差があったようで、これは本来の人格が影響していたのでしょう。役に適した人はより過激に演じたものと思われます。

 とすると仕分け人たちの攻撃的な態度は主として「役」を演じたことによって出来上がったものかもしれません(むろん元々の人格の影響は少なくないでしょう)。悪しき官僚を成敗するというシナリオを誰が用意したのかは知りませんが。

 スタンフォード大学の実験結果には批判もあるようですが、少なくとも我々の人格や理性といったものは意外に頼りないものであるということができるかもしれません。

 一方、こちら裁判員制度の話です。裁判員のなかには、被告を諭した、あるいは被告を叱った、などという言動が見られるように、ここには被告に対する裁判員の優越意識が感じられます。上からの目線といってもよいでしょう。

 裁判員は一般の人ですが、裁判が開かれる数日間だけは被告の運命を左右する権力をもっています。判事の「役」が優越意識をもたらしたと考えられます。

 裁判を経験した裁判員に対するアンケートでは「良い経験と感じた」が97.5%と圧倒的多数を占めるそうです。むろん裁判員制度を壊さないための裁判所の配慮も影響していると思いますが、肯定的な評価の裏には、演じた「役」が不愉快なものでなかったことがあるように感じます。

 上のスタンフォード大学の実験では、囚人役が報酬を返上してでも中止を望んだのに対し、看守役は続行を求めたそうです。僅かな期間であってもやはり権力は蜜の味なのでしょうか。

*ドイツ映画「es(エス)」はこのスタンフォード大学の実験を元に作られました。

コメント

  1. 事業仕分けについて腑に落ちないことは、同じ仕分け人が幾つもの事業仕分けをしていることです。民主党の各議員が一つの問題に対して、徹底的に学んだ上で、仕分けをしていくならばともかく、昨日はスーパーコンピュータ、明日は防衛費、明日は思い遣り予算と全く性質の異なる問題を短時間で処理していく。こういっては失礼かもしれませんが、ゲームを楽しんでいるという感覚すらみえます。民主党の公約は守るための予算を作らないといけないことはわかっていますが、あまりに短期間で「大丈夫か」と思わせます。

  2. courante1 より:

    同感です。背景には仕分け人は国民の代表であり、素人が正しいという考えがあると思います。クジで選ばれた素人裁判員が正しい判決を出す、という考えに似ています。
    残念ながら根底にはポピュリズムがあると思います。