「視聴者を安心させないでください」 - 岡田克敏

2009年12月08日 18:11

 荻野アンナ氏は11月30日の日経夕刊のコラム「あすへの話題」にたいへん興味深いことを書かれています。テレビの健康番組に関わった医師の話です。

 『(医師は)健康番組の打ち合わせで、テレビ局側に最初に念を押されたという。
視聴者を安心させないでください
 不安を覚えた視聴者はチャンネルを切り替えずに番組を注視し、続編を出せば飛びついて見てくれる』


 私は「マスコミが幸福感を蝕む」で、幸福感と報道の関係に言及しましたが、この話はそれを裏付けるものです。

 視聴者に不安を与えてまでも視聴率を上げることを優先するこの考えは、私にはとても不穏当なものに思われます。またこのような問題のあることを外部の人に臆面もなく話すテレビ局の人間にも驚きます。おそらくこの感覚は放送業界の常識なのでしょう。

 これだけですべてのテレビ局や番組が同様の考えであるとは断定できませんが、放送の現状を見ると、不安を与えて視聴率を稼ぐという「手法」はマスコミ業界に広く定着しているという印象を受けます。

 食品の消費期限、農薬混入、ダイオキシン、環境ホルモン、これらは実害がほとんどないにもかかわらず大きな社会問題になりました。不安を煽ることによって初めて大きな社会問題となり得たわけです。出版業界もこの不安を巧みに利用し、「不安本」というユニークな市場を作り恩恵を受けています(参考拙記事)。残念なことに「不安本」のほとんどは不安を鎮めるものでなくさらに不安を増幅するものです。そしてこれらの本が大量に販売される結果、不安に駆られた読者は健康食品や電磁波防止グッズなどに向かいます。これらは「不安ビジネス」と呼んでもいいでしょう。

 ダイオキシンなどの不安材料があったとき、不安を小さく報道すると、それが誤りであった場合に報道の責任を問われる可能性があります。過大に報道すれば、そのリスクがない上に、読者・視聴者を惹きつけることができるので、報道は不安を誇張する誘惑に駆られます。しかし過度の誇張は社会に不安を蔓延させ、無視できない負の影響を与えます。

 新型インフルエンザが流行し始めた5月、異様なマスク姿が街に溢れたのは日本だけの特異な現象だといわれました。日本人が感染に対して過大な不安を持ったからだと考えられます。むろんその不安は自然に発生したものではなく、日本のマスコミ報道の反映に過ぎません。日本のマスコミは不安を煽るという点に於いて、世界でもっとも優れた能力をもっていると思われます。

 新型インフルエンザによる5月以降の経済的損失は関西の2府5県だけで2383億円とされています(秋以降の本当の流行期を含まず)。関西の経済規模は約2割ですから、全国の経済的損失は単純計算でこれの約5倍、1兆2000億円ほどになる可能性があります。マスコミの不安報道が観光、輸送に与えた打撃は大きく、日本航空の危機にも一役買ったことと思われます。報道が幸福感の減少だけでなく経済的実害をもたらした例と言えるでしょう。しかしながらマスコミが過剰報道を反省したという話はまだ聞きません。

 テレビや新聞は娯楽を提供してくれます。しかし同時に不安も押しつけてきます。差し引きするとプラスになるかマイナスになるかわかりませんが、ともかく最優先の動機が視聴率(購読数)で、視聴者・読者の不安や幸福感には「関知せず」では困ります。

 ブラジルではニュースキャスターが視聴率を上げようと、警察より早く到着して生々しい現場を生放送するために5件の殺人を指示していた疑いがもたれています。これは極端な例ですが、視聴率という魔物は国の内外を問わず存在するようです。

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