誰も触れたがらない大事なこと - 岡田克敏

2010年01月05日 12:56

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長がブログで語ったことが問題になっています。引用され、障害者への差別だと指摘されている部分は以下のところです。
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」「結果、養護施設に行く子供が増えてしまった」

 ここだけ読むとたしかに社会ダーウィニズムを思わせる、穏当とは言えない表現です。朝日、読売などが差別だとして批判的に取り上げ、TBSの朝ズバは手厳しく批判していたそうです。問題の09年11月8日のブログは修正中とされ、元の文は読めませんが、転載されたものなどを読むと、マスコミの批判は真意を理解しない、一面的なものと思われます。次のような市長の発言があります。


「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事、というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない」
「社会的な救済を受けられない人が数多く存在するという世の中の矛盾について、議論を喚起する必要がある」

 高度医療などに多額の費用が使われる一方、必要なのに救済がうけられない人がいることを市長は指摘したかったのでしょう。「命はなによりも尊い」として、例えば植物人間となった患者の延命に多くの費用(社会的資源)をつぎ込みながら、その一方で生活にもこと欠く人たちがいるという矛盾です。

 このような問題をヒューマニズムの観点から批判するのは簡単です。しかも多くの賛同が得られ、批判者はヒューマニズムあふれる善人との評価が得られます。しかしことはそれほど簡単ではありません。社会的資源の配分の問題に突き当たるからです。

 合計特殊出生率が変わらなければ2055年には生産年齢人口1.2人が1人を支えることになると試算されています。現在は3人が1人を支えていますから、この試算どおりにならなくても負担の増加は間違いないでしょう。

 07年度の社会保証給付は91兆円とGDPの約4分の1を占め、年々拡大している現状があります。10年度の一般会計予算案では、社会保障関係費は国債費と地方交付税を除いた一般歳出の5割強を占める最大の支出項目となっています。

 現在、予算の半分以上を借金に頼っており、これは将来の生産年齢層の大きい負担になります。もし人口が試算どおりで、社会保障の水準を現在と同じとするなら2055年には、社会保証給付はGDPの半分近くを占めることになり、生産年齢層は極めて大きい負担を強いられることになります。将来の生産年齢層はこの重い負担の上にさらに前世代のツケまで払うことになりかねません。

 少し話がそれましたが、「命はなによりも尊い」式の方法は資源配分の問題によっていずれ制約を受けざるを得ないことになると思われます。きれい事ではない、現実的な解決が必要となるでしょう。「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事というのは間違いだ」という発言はきれい事で済ませる形式的な考えに対する批判と受けとることができます。

 市長の発言に対する反応は批判的なものが大部分だそうですが、これはマスコミ報道の当然の反映だと思われます。単なる鏡像のようなものだと言ってよいでしょう。恐ろしいのはこのようにして、一見自発的と見える世論が形成されることです。

 障害者を例にとるなど、市長の表現に問題なしとは言えませんが、市長という立場にありながら非難を覚悟の、勇気ある発言は評価できるものです。誰かが言わなければならない問題です。批判を覚悟の、現実的な発言がこれに続くことを期待したいものです。

 ヒューマニズムを掲げてきれい事を言うのは簡単です。そういう人は掃いて捨てるほどいるのですが、そこには国民負担の増加が伴うことを意識する人はどれだけいるでしょうか。聞こえのよいマスコミ報道が分不相応な出費を促し、巨額の政府債務を作り上げた一因になったと言えるでしょう。

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