自分が悪い 助けてといわない若者 - 原淳二郎(ジャーナリスト)

2010年02月09日 16:50

 だれのせいでもない。自分が悪い。そんなつぶやきに共感する若者が多いらしい。先日NHKテレビでそんな番組を見た。現在の不遇な環境、不幸は社会の責任ではないし、まして親の責任でもない。だからいくら困窮しても助けてといえないのだそうだ。30代の若者の現象らしいのだが、日ごろ学生を見ていて同じように感じることがある。心優しいのか、誰が悪い、社会が悪い、教師が悪いなどといわない。毎日の生活に被害者意識が薄い。私の子どものころは、毎日食うものに困り、親からは家業にこき使われ、何もいいことがなかった。なぜこんなに自分は不幸なのか、と思うと同時に、自分が悪いから不幸なわけではない、周りが悪いのだと考えた。事実社会はまだ貧しかった。家業は二度も倒産した。社会への関心政治への関心はそのころから生まれた。


だからテレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

90年代の就職氷河期に社会に出た人たちに見られる現象らしいのだが、昨年来また就職氷河期である。いま就職できない若者はやはり自分が悪いと考えるのだろうか。

大学は出たけれどという言葉が昭和恐慌のあと流行した。その後、軍部の青年将校たちが腐敗した政治を正そうと決起し、それが逆に軍部独裁と破滅的戦争へつながった。

いまも大学は出たけれど、パートやフリーターしか職がない若者がいる。農山村も疲弊している。海外進出しないと中小企業も生き残れない。状況は昭和恐慌の時代と似ている。でも若者は不満をあらわにしない。

社会保障が整備されているから。食糧の絶対的不足がないから。社会が豊かになったから。いろいろ理由は考えられるが、現代の若者は不平をいわない。

もうデモやストだけが社会的表現手段だった時代ではない。ネットなどでいくらでも表現できる。それらが重なり合って政権交代が実現したではないか。あれが現代の不平の表れだといわれるかもしれない。

今朝新聞を読んでいたらこんな記事があった。冬季五輪の会場、バンクーバーでホームレスや低所得の人たちが貧困オリンピックを開催、イベントを繰り広げながら「富めるものの五輪より、貧しいものへの支援を」訴えたとあった。日本だと年末年始に派遣村が開かれ、ホームレスや失業者が一時しのぎに集まる。彼らはイベント開催どころか、声を上げることさえしない。

日本には彼らが貧しいのは自己責任だという風潮がある。いつからこんな風潮が広まったのかは知らないが、不当に弱者に追いやられた人々が不満の声をあげられない社会をわれわれはいつの間にか作り上げてしまった。

母親から毎月1500万円も贈られながら「知らなかった」人には、貧しくて声もあげられない人たちの心情などとても想像できないことだろう。

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