弁護士は多ければよいのか?・・・新聞の不勉強度 - 岡田克敏

2010年03月16日 22:11

 司法試験の合格者を年3000人から1500人程度に削減することを主張した宇都宮健児氏が日弁連の新会長に決まったことを受け、読売、日経、朝日、産経の各社は3月11日から12日にかけて一斉に社説でこの問題を取り上げました。それがまるで申し合わせたように同じ主張をしています。

 司法制度改革の目的、「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」ことを実現するために弁護士を増やす必要がある、にもかかわらず、それを減らそうとするのは、特権的職業集団の利益を守るためであり、認めることはできない、というのが各紙に共通した「筋書き」であります。したがって各紙とも増員を続けるべきだと主張します。


 弁護士という職業集団の利己主義を指摘するこの筋書きは大変わかりやすいのですが、いくつかの疑問点が浮かんできます。まず年3000人という司法制度改革の目標数値を無条件に前提としている点が問題です。私の知る限り、3000人という数値に明確な根拠はありません。日本に於ける弁護士の人口比率が外国に比べかなり低いということが論拠になったようですが、1000人がよいのか、あるいは5000人がよいのか、誰も明確な答を出せるものではないと思います。社会の違い、国民性の違いなどは数値化できるものではないからです。3000人という数は、恐らく大勢の「賢い人」が集まって「真剣な討議」を重ね、「当てずっぽう」で決めたもの、と私は想像しています。

 明確な根拠のないものは無条件の前提とせず、推移を見ながら副作用などの状況を観察しつつ変えていくのがまともなやり方です。年3000人を無批判に前提とする態度はあまりにも硬直的であり、愚かなことです。

 司法試験の年間合格者は500人前後の時代が長く続いてきました。それに比べると3000人は約6倍です。弁護士数はこの10年間で約1万人増加し、2万8千人となったそうですが、率にすると約55%の増加です。「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」というお題目はたいへん立派なもので、反対しようのないものですが、既に質の低下と就職先の不足という問題が顕在化しています。

 昨年の司法試験の合格者は2135人であり、目標の3000人にはまだ到達していませんが、3000人を合格させ、そのまま継続すればやがて弁護士数はかつての6倍に近づきます。55%の増加だけで質の低下と仕事不足という綻びが起きているわけで、6倍になるとさらに深刻な状況になることは十分予想できることです(合格者は91年から漸増傾向にあるため10年前を基準にすると6倍弱となります)。

 朝日や読売は、質の低下の問題は法科大学院の改革によって解決すべきとしています。しかし教育による質の向上は限定的であり、それよりもいかに多くの優秀な人間が司法試験を目指すかによって左右されます。大幅な増員によって将来激しい競争が起き、弁護士という地位に不安が生じれば弁護士を目指す優秀な人間は減少するでしょう。

 「競争によって、弁護士全体の質も高まるのではないだろうか(読売)」という主張もずいぶん楽観的に過ぎます。競争が商品やサービスの質を高めるというのは一般的には正しいのですが、弁護士の業務についても同じでしょうか。パンやシャツを選ぶように、弁護士サービスの質と対価を一般の人が依頼の前に評価するのは困難ですから、最適な選択ができるとは思えません。依頼者側に適切な評価・選別能力がなければ公正な競争環境は期待できないと考えられます。

 また次の朝日の社説の主張は「出色」です。
「司法制度改革は経済界や労働団体、消費者団体など幅広い国民の要請をうけ、日弁連、法務省、最高裁の法曹3者で進めてきた経緯がある」
「就職難をいうなら、法曹資格者の民間企業や官公庁などへの進出をどう促すか真剣に検討すべきだ」

 司法制度改革審議会には連合の高木氏、主婦連の吉岡氏、作家の曽野綾子氏が入っています。しかし法律の専門家が多くを占めるなかで、彼らがどれだけ影響力を持ったか疑問です。これをもって「幅広い国民の要請を受け」とするのは誤解を招くひどい表現です。すべてとは言いませんが、審議会は人選によってほぼ方向性が決まります。人選の過程が問題であり、単純に審議会を尊重する朝日の態度は大変おめでたいものです。

 また、弁護士の就職難を解決するために民間企業や官公庁などへの進出を促すべきだ、とまで主張していますが、これでは「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」という当初のお題目から外れてしまいます。朝日の姿勢は司法制度改革を金科玉条のごとく崇める素直な単純さが特徴です。

 弁護士の数が増え、相対的に仕事量が減ると、次に起きることは需要を掘り起こすことです。既に消費者金融に対する過払い金返還請求ではテレビ広告が目立つようになりました。しかし多額の手数料を受け取るケースなどトラブルがあり、金融庁は、弁護士の団体に対し、広告のあり方について自主的な改善を要請する方針とされています。

 米国では大規模リコールによって所有する車の評価額が低下したとしてオーナー数百万人がトヨタを相手取って集団訴訟を起こしたとされ、賠償額はAFPによると最大300億ドル(APでは30億ドル)に上る可能性もあると報道されています。日本の感覚ではちょっと考えられませんが、弁護士が仕事を作り出す必要に駆られればこんなことも起こるのでしょう。こうなればどう見ても商売です(法化社会という言葉は司法改革の目標として使われましたが、まさか米国をお手本にしたものではないでしょうね)。

 6倍もの増員によって強い競争状態が生まれれば、特権的職業という意味は薄れ、社会的地位や経済的な安定性も低下すると思われます。一方、弁護士の仕事は依頼者との情報格差が大きいため、依頼者が仕事を評価することは困難であり、任せ切りにならざるを得ません。それ故、弁護士には高い職業倫理が求められるわけです。命を預ける医師が経済合理性を追求しては困るのと同様、弁護士が経済合理性だけで仕事をしたのではちょっと困るわけです。仕事が不足する状況で高い職業倫理を保つことができるでしょうか、衣食足りて礼節を・・・ですから。

 要するに、増員そのものはよいとしてもその量はどのくらいが適当なのか、ということを頭から無視した議論は意味がないと思います。根拠の希薄な3000人合格、6倍増員を無批判に信じ込むような議論は有害ですらあります。

 これらの社説を読む限り、各紙が司法改革を十分理解しているとは思えません。司法改革は国民生活に重大な影響をもつ問題であり、一知半解のまま報道すれば世論をミスリードすることになりかねず、見過ごせない問題です。

 社説は新聞社の意見を代表し、また新聞社の見識を示すものです。それだけにこれらの社説を読むと暗い気持ちになります。

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