卒業式に出席し、その後、お世話になった方々に感謝するお礼の旅を続けている。上海、無錫を回り、今は北京にいる。汕頭から上海は空路だったが、それ以外は高速鉄道を使っている。時間も正確だし、ゆったりできるので快適だ。
上海で中国メディアの元記者と日本の居酒屋で会食した際、飲み物を尋ねると、「ハイボール」と言われたのには驚いた。彼はさほど日本の事情に明るいわけではないが、上海の日本料理店を通じて学んだのだという。口当たりがいいので、いずれ、女性たちにも受け入れられていくだろう。日中の垣根がどんどん低くなっている証だが、これまで何度も繰り返してきたように、流れが一方通行になっているのではないか、との危惧も拭い去ることができない。
南方ほどではないが、北京も蒸し暑い。私の学生も何人かは北京のメディアで実習をしている。大都市の家賃は大きな負担だが、仲間と部屋をシェアしてしのいでいる。一流校でない学生にとっては、実習で力を発揮することが貴重な就職のチャンスにつながる。必死なのだ。
2日、北京の日本人が主宰する学術交流会に参加し、話をしてきた。テーマは、「いかに中国の素顔を日本に伝えるか」。汕頭大学で新設した課程「日中文化コミュニケーション」や今春の九州環境保護取材ツアーを通じ、中国の若者の日本に対する関心の広さと深さを伝えた。学生が実際に授業で発表した日本の居酒屋、弁当、妖怪文化に関する研究のPPTも紹介した。と同時に、日本側の無関心、不理解、偏見について指摘した。それは何も対中に限られたわけではなく、世界全般に対して冷淡なのではないのかとの問題提起もした。
参加者は、中国の大学で教える日本語教師やメディア関係者、経済専門家や日系企業で働く中国人もいた。同交流会ではこれまでも、日中相互理解におけるメディアの役割と問題点などについて話をしてきた。今回もまた、対中偏見を生む元凶として日本メディアの報道を取り上げる議論に偏った嫌いがあったが、それはいまだに日本の中国報道に関する不満が根強いことを物語る。メディアに対する期待や関心が強いことの裏返しでもあるが、一方で、もはや期待や関心が減退しているとの声も聞かれた。メディア自体が分岐点に立っていることを感じさせる議論だった。
最も印象に残った言葉は、中国人の女性が語った「日中関係は片思い」だ。学校を卒業して間もない彼女は、流暢な日本語で、中国の若者は日本が好きで、いろいろなことに興味を持っているのに、日本人は中国をそれほど大事に思ってくれていない、と話した。日本の留学生に「中国と聞いて何を連想する?」と尋ねると、1分じっと考えた末に、やっと出てきたのは「中華料理」だ。日本の駐在員に「なんで中国に?」と聞けば、「会社に言われたからしかたなく」と答えが返ってくる。だから完全な「片思い」なのだ。
私もある面では同感だ。講演の内容も、日本の、特に若者の中国に対する無関心への危惧だった。だが私は、九州取材ツアーで多くの日本人が温かく学生を迎えてくれた経験も述べた。元北京駐在の日銀北九州支店長(当時)の 福本智之氏は、中国語で北九州の産業史を紹介してくれた、福岡にいる元中国特派員のNHK福岡・小田真記者、西日本新聞・久永健志記者も熱心に応対してくれた。実際中国に駐在し、肌で触れた日本人の中には、中国、中国人に特別な思いを持っている人が多い。決して完全な片思いではない。
日中の翻訳にかかわる別の中国人女性は、相手に対する「深い思い」ということを言った。私はそれを愛と置き換える。愛がなければ、どんな言葉も心には届かない。偏見に満ちた言説はしばしば愛の不在から生じる。愛の反対は憎悪ではなく無関心だ、とはマザー・テレサの至言だ。
こうした人たちの思いをまとめて、力にしていくよい方法はないか。それがきっと「いかに中国の素顔を日本に伝えるか」の問いに対する迂遠ではあるが、確かな道なのではないか。すでにこれまで、メディア、経済界について「発信力」出版プロジェクトを進めてきた。いよいよ、より深い理解を支える文化編の計画を本格化すべきだとの思いを強くした。それが「片思い」に終わらせないではない
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同僚教師たちは各地の高校を巡回し、新聞学院への入学勧誘キャンペーンを行っている。一人っ子が多い中国は、日本と同様、大学の学生集めが大きな課題となっている。学校はすでに夏休みに入っている。9月になれば新学期だ。卒業生が去り、新入生がキャンパスにあふれる。大学は常に新緑で満たされている。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。