STAP騒動 ~ 実験ノートの二つの顔 --- 山城 良雄

アゴラ

どうも、ようわからん。オボちゃんの実験ノート。そんな問題のあるシロモノなんやろか。Jcasニュースの記事によると、『「陽性かくにん!よかった。」といった実験に対する率直な感想や、「移植」の後ろにハートマークが書かれている』というような部分に食いついて、サイエンスライターや科学ライター(どう違う?)が、「脱力効果」とか「ものすごい破壊力」とか言うてはる。


この言い方はフェアではないやろ。「お前らの現役の時の御立派なノート持ってこいや」てな無茶は言わんが、批判をしている以上、十分な数の研究者の実験ノートを見た上での比較なんやろな(見せてくれるやつ、あんまりおらんと思うがな)。

ただの興味本位で食いついてるんやったら、「交通事故被害を訴えるために、渋々、裸になって傷を見せた女性」に、「わ、タトゥーや」「変なところにピアスが」とか騒ぐのと同じレベル。見るべきところが全然違う。こういう連中は、もしSTAP細胞の生成が立証されていたら、同じノートを見て、「小保方博士の素朴な人柄」とか「クールで可愛いオボちゃん」とか言い出すんやないかな。

以前にも書いたが、普通、研究ノートというのは他人様にお見せするもんやない。わけのわからん記載や、プライベートなメモまで書くこともある。今回の騒ぎで、20年以上前(オボちゃんと同年齢ぐらいの)の自分のノートを引っ張り出してきたが、まあ、いろんなことが書いてある。

「なんとか、大型化したい!!」とか「温度上げすぎ」とか「また、やってしまった」とか、何か思い出せないことや、思い出したくもないことが、あちこちに書いてある。

「夕方 クリーニング回収 忘れるな」

かさばる冬物を3月ごろドライに出して、そのまま、秋まで放っておくつもりやったのに、「当店はあなたのタンスではありません。お盆前に取りに来ないなら。ゴミとして処分します」と言われて、あわてて走って行ったことが書いてある。

大学に就職する前の若手研究者は生活の全てが研究になる。一日中、ノートを持って歩いている。電話のメモ、ふと感じたこと、無意味な「ポエム」を書いているページも多い。数物系の友人などは、定規とコンパスで訳のわからん幾何学模様を延々と描いていた。

アイデアをひねり出すんやろな。脳内にあるものを視覚化してみるスペース。黒板にでも書いて用が済んだら消してしまえばええようなもんやが、あとで全く役に立たないかというと、そうでもない。

たとえば、あの実験した日の気温が必要になったとして、「オーバーやらダウンやら7着かついで、セミと一緒に泣きながら帰ってきた日」とか言う形で思い出すようなこともある。具体的に使えることは1000に一つも無いけど、過去の脳内環境を再現するヒントを持つのは研究者にとって悪いことではないと思う。

特に現在では、数値データや、装置の使用記録、画像などがデジタル化されて整理されていることを考えれば、記録というよりアイデアツールとしての働きが、手書きの実験ノートでは重要になると思うが、誰か現役の研究者のひと、コメントくれんかのう。

実験ノートを見せてと赤の他人に言われてホイと出せる研究者は少ない。ワシがやるとすれば、刑事被告人としてアリバイが必要なときぐらいか。「お前は、〇月〇日、〇イヤル〇ストでハンバーグ定食を食い逃げしただろ」と刑事に言われ、ノート取り出し、「その日は『餃子食べ放題に行って研究室で嘔吐』との記録があります。17ページの右下のしみはラー油です」などとやるんかな。

少なくともワシにとっては、実験ノートは分身。紛失すると、死にたいような、すでに死んでしまったような気分になる(一回だけ経験有り、今でも出てきて欲しい)。

やはり実験ノートは他人に公開するものやない。オボちゃんかて、全体をメディアに公開しなかったのは、メールアドレスなどの個人情報や、プライベートな心情が、あちこちにあったからやないかな。

1990年代になると、科学研究とビジネスという話が全面に出て、ワシらのような牧歌的なやり方が通用せんようになっている面は確かにある。理学と工学、地球科学と生物学、大学と研究所、などの違いもあるやろ。

そやけど、いくらなんでも、日付どころか時間も記載、インクで書いて余白は潰す、訂正は二重線プラス訂正印、ページが終わったら上司のサイン……こんな、借金の証文のようなシャイロック風ノートは、研究者の頭脳の活性化には何の役にも立たんがな。

結局、実験しながらオボちゃん式の絵日記風をまず書いて、あとから転記という、重複の繰り返しが重なった二重帳簿の二度手間を、最も忙しい時期の研究者にさせることになる。

理研として、こういうのが必要なら、研究者全員にこのスタイルを強制しておくべきやった。それをやらんといて、今更、実験ノートで何かを証明しようということには、大きな無理があるで。

オボちゃん側の弁護士のセンセにも言いたいことがる。今回、ノートを一般に公開させたのは、実験をしたことの証拠を示すためやったらしいが、現時点での世間の嫌疑の中心は、「本当に200回もSTAPを作ったのか」ということにあるはずや。

ノートが何で「200回」の証明になるのか教えて欲しい。結果的には、クライアントをさらにマスゴミにさらしただけと違うか。本家、アホ方ハル子と名乗って芸人デビュー(相方の「ボケ方アキ男」をワシがしよか?)させる気でもあるなら別やが、かなり、いらんことをしたように思う。

と、ここまで書いてワシも脱力したことがある。考えてみれば、今回の理研での「罪名」は、「論文での記載の捏造」。特に重要なのは画像の「使い回し」やったはずや。

ならば、実験ノートなど相手にせずに、「手持ちの画像などのデータを全部提出しなさい」で済むはずやがな。その上で「過失を主張するなら、どの画像を使う予定だったのか提出しなさい」でええがな。紛失していても大丈夫。200回も追試しなたら同等のものが一枚ぐらいあるやろ。

ノーベル賞級の発見をし、200回以上も追試をし、何らデータを残さない。もし本当なら、個人的には懲罰の対象ではなく治療の対象やと思う。もちろん、責任は100%研究所の管理体制にある。

もう一つ理研に質問したい。「STAP細胞の存在を現時点でも明確に否定しないのか」とな。もし、STAPに未練があるなら、「功労者」の処分を早々に検討することは許されん。逆に、STAPの存在を否定するなら、はっきりと「今後、誰かが、酸を使った万能細部の生成が成功しても、われわれが捏造に失敗したSTAP細胞とは何ら関係なない」と宣言するべきや。

今後の研究成果に対するオコボレの請求や、管理責任のがれのための時間稼ぎに、無駄な経費や労力を使って追試を重ねるのは、絶対にやめてくれ。少なくとも、今後の追試研究には、厳密に記載したシャイロック風ノートの公開を要求するしたい。

今日はこれぐらいにしといたるわ(by 池乃めだか)。

帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄