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大変酷い写真だ。オリジナル写真は出典のhuffingtonPost UKの記事で見られる。これは今年5月インド北部で14歳と15歳の低カースト階級の少女が集団レイプの後に首を吊られて殺された事件のもの。村の人達がこのように取り囲んで、さっさと死体を片付けようとした警察を近寄せず、メディアに撮影させたことでこの事件は世界に広まった。インドでは報告されているだけでも毎年2万人以上の女性がレイプを受け、殺されることも多い。メキシコでは女性の47%が、生涯のうちに何らかの虐待を受ける。アメリカのヒラリークリントンが訪問先のアフリカ紛争地域で横行するレイプの酷さを新聞寄稿で指摘したのは2010年だ。、
また女性の悲劇は、レイプだけではない。パキスタンのマララ・ユスフザイ
は、女性への教育の必要性を訴え、15歳でターリバンから頭を撃たれた。ヨルダンのスアドは、結婚前に妊娠したことを家族の恥とされ「名誉の殺人」として義兄にガソリンをかけられ、生きながら火に焼かれた。ナイジェリアでは276人女子学生が、「ボコハラム」に「教育をうけるべきではない結婚すべき」理由で拉致され、いまだ行方不明だ。強制結婚制度の地域も多く、アフリカを中心に女子割礼も未だ残っている。アジアの貧困地域では、女性の売春は当たり前だ。
今この現在の世界でも、女性の人生は、生まれ落ちた地域と家族で決まる。
富裕層以外の女性が意に副わない生き方を強要されないのは、欧米先進国を中心とする限られた地域の女性に限られる。欧米でさえ、女性が教育を受け、セックス、結婚、職業、キャリア、人生を自分で決める権利を得たのは、ごく最近のこと。アメリカでさえ女性参政権は1020年、男女雇用平等法の制定は1964年だ。
例え女性の権利があってさえも、女性は、男性の劣情又は劣等感の矛先として肉体的精神的に虐待を受けやすい性だ。残念ながらこのリスクは、政治及び経済の成熟度、並びに身近な男性の教養及び倫理意識の成熟度と反比例する。
これら問題の難しさは、権利を持たず弱い女性の立場が、しばしば伝統及び宗教の名目で正当化されていることだ。しかも女性自身が、母から娘へと率先して受け継ぐ。女性にとっても多くの混乱がある問題だ。
日本もまだ問題は多いが、それでも私は女性として日本と言う先進国に生まれ、自ら考える力を得るだけの教育を受けられたことを感謝している。ただ日本人男性はどうだろうか。
例えば従軍慰安婦問題論争のエスカレート。この問題に関しては少し前にアゴラで石井氏が「吉原花魁日記を読む~恥ずべき過去の売春制度」の記事は真摯で良い記事を書いていたがその通りだ。
政治闘争は構わない。韓国側の主張を100%受け入れる必要もない。しかし従軍慰安婦問題は、全女性にとって「戦争-レイプ-売春制度」という上記の女性の負の運命を連想させる忌まわしき話題だ。それを当事者及び現在女性への配慮なく、安易に存在を否定したり、挙句の果て維新の党の橋本代表は、従軍慰安婦制度そのものを肯定したりすれば、それを女性がどう感じるか、どうして考えられないのだろうか。
意に沿わない性を強要される苦痛を想像することが、日本人男性はどうしてそんなに難しいのだろうか。
「銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だって分かる」と従軍慰安婦を肯定した維新の会の橋下代表は、だったらまず自らが外国軍に同性愛者用従軍慰安夫として赴き、1日10人に尻を差し出し1週間で70人、1ヶ月で400人の相手をしてきたらどうだろうか。ゲイバーの売り専もいるのだから、報酬があれば良いだろうと言われて納得できるだろうか。自分の奥さんや娘さんがそういう事になったらどうだろうか。
従軍慰安婦の問題は過去の問題だが、従軍慰安婦問題に関する女性への配慮のない発言は、現在の問題だ。自覚が無ければ、状況によってはまた同じことをしでかしかねないのではと不安になるのは、海外だけではない。日本女性も同じだ。
日本人男性としては、平和な先進国の日本女性にはそんな心配はいらないだろう、と思うかもしれない。しかし日本では、男性の女性に対する精神的虐待は常態化している。
つい先日も東京都議会で塩村文夏都議に対し、「自分が早く結婚すればいい」とヤジを飛ばした自民党男性都議がいた。日本ではよくある失言だ。がこの「野次」は明らかに、まず男性-女性及び既婚-未婚のヒエラルキー意識があり、最低カーストの未婚女性を貶めようという自民党男性都議の意図がある。その本質は、先の低カースト女性をレイプし首つりにしたインド人男性のものと、何ら変わりがない。違いは、暴力の質が性的肉体的暴行か言葉の暴行か、だけだ。女性から見れば、本質が変わらない以上、何をきっかけに言葉の暴力がエスカレートして、冒頭のインドの女性達のような目に合うか分かったものではないではないか。
しかし、先進国である現代の日本人女性は、男性が女性の権利を十分に尊重していないと感じれば、意に沿わない結婚を強いられない権利を生かして、結婚をしないことで我が身と精神の安全を守ることを選択できる。
独身女性が「いい男がいない」「自由を守りたい」というのは、女性の我がままではない。肉体的精神的安全確保の問題だ。何かあれば女性の権利を尊重できなくなる男性と結婚をすれば、何をきっかけに肉体的精神的性的な虐待を受け、怯えと嫌悪に苛まれる花魁のような人生に陥ることになるか分からないのだから。
自民党の男性「ヤジ」議員は知らないようだ。「結婚できない」のではない。もはや現在の日本女性は、この議員のように女性を尊重できない男性とは、無理に「結婚したくない」のだ。
つまり現在の少子化は、女性から日本人男性NO!のメッセージということだ。
東京都議会のセクハラヤジは、小さな事件だ。ただ日本社会で、特に性的発言に関して女性配慮を示せない男性が放置されている限り、多くの日本女性は安心して結婚できる「良い男」が見つけられない。日本人男性が変わらない限り、日本の少子化は決して決して止まらない。そしてこのまま順調に人口が減少すれば、遠からず日本は衰退し、中国韓国の属国にでもなるだろうか。
だから日本人男性も、そろそろ女性配慮の大切さに気が付いて頂けないものだろうか。
江本不動産運用アドバイザリー
代表 江本 真弓