金融危機がおきれば、必ず、銀行は資本不足になる。保有資産の価格の下落や質の劣化にともなう償却負担は、当然に大幅な資本の減少に帰結する一方で、銀行は、資本規制上、一定額以上の資本の維持を要求されているからである。
さて、この資本不足、資本規制上の技術的要因からくる一時的な表面的な不足なのか、それとも、回復不能な資本の毀損なのか。永久的な資本不足ならば、永久的増資をせざるを得ない。一時的な資本不足なのならば、一時的な増資が望ましい。一時的な増資は、まさに、言葉の本来の意味において、オポチュニティーである。
一時的増資では、普通株は発行しない。なんらかの償還できる株式同等物で、資本規制上の要件は充足する形態(そもそも、増資目的が資本規制の要件充足)、ということになる。具体的には、劣後債(ローン)や優先株など、広義のメザニンmezzanine(建築の中二階。一階の普通株と、二階の一般債権の中間だから)になるのだと思われる。
資本規制の目的充足という必達条件は、銀行側にとって不利な条件(投資家にとっての有利な条件)での発行を余儀なくさせるであろう。故に、銀行のメザニンは、魅力があり、良いオポチュニティーになるのである。ところが、もしも、資本規制を強化し、劣後債等の資本組入れに制限をつけると、結局、銀行は普通株増資を選択せざるを得なくなって、オポチュニティーはなくなってしまう。
事実、今の日本の株式市場でおきたことは、銀行の巨額な普通株による増資だ。純粋に市場の論理からいえば、つまり銀行の資本規制という社会的条件を捨象していえば、あまり投資家にはありがたくないことであった。もっとも、既発の劣後債(ローン)の保有者にとっては、よかったかもしれない。償還が確実になったのだから。
それにしても、オポチュニティーは、銀行のメザニンに象徴されるように、多くの場合、金融システムの歪み、歪みというと何か否定的な感じなので、少しいいかえると、金融システムの硬直性(規制と弾力性が完全に両立しないことは、止むを得ない)に起因する資金の流れの停滞や遮断が生み出すものである。
この資金循環の目詰まりを解くのが、銀行のメザニンをはじめとした投資のオポチュニティーなのだから、オポチュニティーは、投資として魅力があるだけでなく、重要な社会的使命も果たしている。より正確にいえば、重要な社会的使命を果たしているからこそ、投資として、魅力があるのだ。
最後に、大事なことは、オポチュニティーは、銀行のメザニン以外にも、金融の社会的機能の不全に伴って、色々なところに生起しているということである。投資という狭い世界に閉じ籠っているものには、銀行のメザニンのように目立つ大きなものは別にして、オポチュニティーは得られないどころか、理解もできない。今の投資には、金融の社会的機能と、その機能不全の科学的解析という大きな視野が必要なのだ。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行