IAEAで「北専属査察チーム」発足

ウィ―ンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)は8月、査察局内に北朝鮮の核関連施設への専属査察チームを発足させた。同チームの設置については、天野之弥事務局長が既に6月定例理事会(理事国35カ国)で発表していた。

▲天野之弥事務局長の記者会見(2017年9月11日、撮影)

▲天野之弥事務局長の記者会見(2017年9月11日、撮影)

IAEAは11日、年次総会開催に先駆けて9月定例理事会を開幕したが、天野事務局長は同日午後の記者会見で北専門チームについて、「北の核計画の検証問題でIAEAが中心的役割を果たす準備の強化が狙いだ」と説明し、同チームの発足目的については、①北朝鮮の核関連施設へのモニター能力の向上、②最新の検証履行を維持し、査察官が北に戻ることが出来た場合を想定し、その準備を怠らず、検証技術や機材を確保すること、と述べた。

▲北朝鮮使節団と協議するIAEA査察関係者(1990年代、ウィーンのIAEA本部で撮影)

▲北朝鮮使節団と協議するIAEA査察関係者(1990年代、ウィーンのIAEA本部で撮影)

IAEAと北朝鮮の歴史を簡単に復習する。

IAEAと北朝鮮の間で核保障措置協定が締結されたのは1992年1月30日だ。今年で25年目を迎えたことになる。
IAEAは1993年2月、北に対し「特別査察」の実施を要求したが、北は受け入れを拒否し、その直後、核拡散防止条約(NPT)から脱退を表明した。しかし、その翌年の1994年、米朝核合意が一旦実現し、北はNPTに留まったが、ウラン濃縮開発容疑が浮上し、北は2002年12月、IAEA査察員を国外退去させ、その翌年、NPTとIAEAから脱退を表明した。
そして2006年、6カ国協議の共同合意に基づいて、北の核施設への「初期段階の措置」が承認され、IAEAは再び北朝鮮の核施設の監視を再開したが、北は09年4月、IAEA査察官を国外追放。それ以降、IAEAは北の核関連施設へのアクセスを完全に失い、現在に至る。すなわち、IAEAは過去8年間、北の核関連施設への査察活動ができなかったわけだ(「北核問題の解決チャンスはあった」2016年9月29日参考)。

IAEA査察官の不在中、北は核開発能力を急速に進展させ、2006年10月に1回目の核実験を実施し、今月9月3日には爆発規模160ktの6回目の水爆実験を行った。IAEAは60年前、核エネルギーの平和利用の促進を目的で設立されたが、北朝鮮問題はIAEA歴史の汚点となってきた。そして北が核実験を実施するたび、「遺憾」を表明するだけに留まった。

ところで、北の核関連施設が集中する平安北道寧辺(平壌北部約80km)から車で約6km郊外に走ったところで左に曲がると、直ぐにゲストハウスに着く。IAEA査察官が宿泊する場所で、2階建てのハウスの収容能力は10人だ。同ゲストハウスを懐かしく感じるIAEAの査察官はもはやいないだろう。

ゲストハウスから主要道路に戻り、核関連施設が集中する核エリアに入ると、左側にロシア型研究炉、右手には5MW黒鉛型減速炉が見える。それに隣接していた冷却塔は2008年6月に破壊された。その近辺に軽水炉建設敷地がある。九龍江を超えると核燃料製造工場にぶつかる。同工場を通過すると、北のウラン濃縮関連施設に到着する。同施設は長さ約130m、幅約25m、高さ約12mの細長い施設だ。北のウラン濃縮施設は40余りある核関連施設の一つで、「4号ビル」と呼ばれている。

米ジョンズホプキンス大学の北朝鮮研究グループ「38ノース」(韓米研究所)は今年1月27日、「寧辺の5MW黒鉛減速炉が再稼働した兆候が見られる」と公表している。IAEA査察官の不在中、北の寧辺の核関連施設の様相は大きく変わったといわれる。

故金日成主席、故金正日総書記の時代は過ぎ去り、北は3代目の金正恩党委員長時代に入った。北は核保有国の認知を目指し、もはや核計画を放棄する考えはない。

天野事務局長は、「IAEA査察局には北関連施設を査察した査察官がいる。それに新しいスタッフを加えたチーム構成だ」と説明した。IAEAの北専属査察チームが寧辺の核関連施設に足を踏み入れ、査察できる日は到来するだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年9月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。