いまの日本にとって、相撲がモンゴルとの友好関係に役立っていることは、日本外交にとって一個師団に匹敵するくらいだ。日馬富士問題で保守系の人までがその効用を忘れているのは困る。
中国などにとって眼の上にタンコブ的な日本とモンゴルの良い関係を悪くしたいと思われる人と、モンゴル人力士がともかく嫌いという国粋主義者が手を組んでいるのは不思議な光景だ。少なくとも、モンゴルの世論が日本に対して悪い印象を持つような収め方は勘弁して欲しい。心ない発言をする、保守派の人は、2010年名古屋場所で相撲協会が天皇賜杯を辞退したときに次のようなエピソードがあったことを忘れてないか(日刊スポーツ記事を要約)。
白鵬のもとに、天皇陛下から応援メッセージが届いた。「おねぎらいとお祝い」という天皇陛下の言葉の入った文面。3場所連続全勝優勝などの偉業を達成した白鵬をたたえ、激励する内容だった。陛下が優勝力士に書簡としてお気持ちを伝えるのは異例。協会が天皇賜杯の表彰を辞退し、涙を流して悲しんだ白鵬を気遣ったと推測される。白鵬は会見で感激の言葉を口にした。
思わぬ吉報に、白鵬の目は潤んでいた。「こんなにうれしいお言葉はない。今年はまだ2場所ある。その2場所を、天皇陛下のお言葉を糧に頑張っていきたい。(書簡の)コピーをいただいたので、この世に2通しかない。1人で読みたい」と、喜びをかみしめた。書簡は天皇陛下の言葉を伝達する形で宮内庁の川島裕侍従長が書いたもので、書簡を持った1人の宮内庁関係者が両国国技館に到着した。白鵬と執行部の親方衆が見守る中、協会の村山代行に書簡を手渡した。
日本人と結婚し、日本の国と文化に敬意を払い、相撲の歴史などについての理解を深めようという姿勢も日本人の横綱以上だ。
相撲協会のあり方とか習慣に疑問を感じ、それを口にすることはあるが、それが悪いこととは言い切れない。これまでの大横綱は、お利口さん過ぎた。スポーツ界でよくあることだが、大選手がお利口さんになってしまうと、正当な不満をほかの選手もいいにくくなる。そのことで、改革がおくれているというのは、あちこちの競技であることだ。
力士は物言いつけられないというのはおかしいと思う。悪習に一石を投じたのは、それなりの批判承知でやったんでしょうから私はそんなに悪いと思わない。しかし、規則に違反した以上、ある程度の処分は覚悟だろうがその覚悟でやっているなら、いいのではないか。
あの一番について対戦力士は、わざと力を抜いたといっている。つまり、待ったになったとフェイクしたわけだ。もし本当に待ったが成立したとしたら、かまわずに、白鵬が相手を一気に押し込んだら危険なのではないか(このあたりはよく分からないところであるが)。
さらに、貴乃花親方を巡業について来て欲しくないというのは、当然の要求だ。紛争の当事者であるし、そもそも、モンゴル人力士に対する敵意ある態度をこれまでも見えていたということは多くの人が証言している。白鵬が力士全員が集まっている機会をとらえて発言するのがそんな悪いことなのか。
(日馬富士の暴行事件とそれに関する問題の評価はここでは含んでいません。事件と関係ない部分まで白鵬が批判されていることに対する憂慮を書いた物です)