第一次世界大戦の勃発から100年。この1世紀を振り返る書をいくつか手に取りました。
1世紀前の出来事と今はどうつながっているのかを問います。一次大戦の勃発、宝塚歌劇の誕生、モダンアートの発展、相対性理論と量子論。経済と戦闘技術を掘り下げるのが通常のアプローチと考えますが、宝塚、婦人参政権、モダンアートに章を割いているバランスは新鮮といえば新鮮です。
一次大戦から戦争は軍事力より経済力の問題となったとの指摘があります。それは総力戦であり、軍隊だけでなく全国民が巻き込まれる戦争に変質したということです。だから最終戦にすべきだったのですが、人類はそうはしませんでした。
ケインズはヴェルサイユ講和条約によって、戦争で破壊された社会がさらに破壊されると見たといいます。ドイツを追い込むことによるその後の破局を予想していたのでしょう。一次大戦の終戦は終戦ではなかったと。
リチェルソンはインテリジェンスとスパイ活動が20世紀で最も大きく変化した分野としている、との記述があります。インテリジェンス要員は20世紀初めには数千人でしたが、今や数百万人に達します。逆に二次大戦後、外交文書の公開は限定的になったといいます。冷戦が発生し、東西の実質的な戦争が続いたからです。
他方、一次大戦を機にラジオが進展し、マスメディアの出現と受け手たる大衆が登場したと本書はみています。海軍の無線機を巡るシーメンス事件も1914年。軍事技術と情報技術を読み解くことが100年前も今もポイントだと思います。
100年を経て、冷戦は終結し、ITが普及し、21世紀も既に1/10を過ぎました。振り返りが今のわれわれに与えてくれるものは何か。いや、われわれは十分に振り返っているのか。類書に手を伸ばす気にさせられました。
外交、軍事、政治、経済、社会、文化という章立てがぼく好みであります。SV構文の短文で点描のように描くリズムも好みです。
大正時代はバブル経済崩壊後の失われた20年と共通する経済停滞であり、二大政党制の確立に至る政治システムの模索段階。経済的な国際協調を基調とする時代で、大衆が消費社会を支えた、とします。
百年後の今と重なります。その後の歴史を踏まえると、考えることが多い。なお、大衆の登場に重きを置くのは「1914年」と共通します。ネットによる大衆のエンパワーメントは、「これから」を読み解くための主要項目です。
一次大戦で日本海軍が地中海へ出かけて活躍する模様も、国際連盟で「国際会議屋」が大活躍し、日本の地位向上に貢献した様子も面白く描かれています。では、軍事・外交が弱まった今の日本が国際舞台で活躍するには、経済か、文化か。今の日本が海外に示すプレゼンスをどう評価すればいいでしょう。
原首相の政治指導、加藤外相の海軍統制、幣原外交によって、日本は軍縮交渉に参加・妥結したとあります。世界大戦という「総力戦」の悲惨さを踏まえ、平和と協調路線に転換したのです。しかしそのころから総力戦=経済戦=支那資源へと陸軍が向かったのは、必然だったのでしょうか。
一次大戦後、欧州の専制政治は終わり、民主主義が広がり、日本も政党政治となりました。それがその後、簡単に崩れたのはなぜでしょうか。結局、一次大戦は終結していなかったということでしょうか。終結のさせかた(ベルサイユ体制)が悪すぎたということでしょうか。
1930年、ロンドン軍縮条約に妥結しながら、翌年、満州事変が勃発します。「国民世論は急角度で満洲事変支持に転換した」。大衆社会に移行していた日本が戦争に進んだ責任は(少なくとも一端は)大衆にあります。軍部が・戦争が悪い一辺倒のドラマを見るたび、ぼくには違和感があります。
在カナダの「帰化した日本人」が参政権を求め義勇兵として欧州大戦に参加し、その多くが死んだといいます。日本国内には義勇兵への賛否両論があったといいます。当時、自分はその海外同胞の悲壮な行動をどう考えたでしょう。無謀だと思ったでしょうか。痛快と見たでしょうか。
(戦前戦中の朝鮮半島のかたがたが、日本国民として戦争に参加し、中には軍幹部となったかたもいて、戦地では日本人以上に勇猛果敢に戦ったひとも多いという。それは日本人として認めさせるための悲痛な行為でもあったのだろう。それに先立つ海外の日本人の行動を、当時ぼくはどう受け止めただろう。今はどう受け止めるべきだろう。)
9月1日の関東大震災後、三越は10月12日に、高島屋は10月15日に再開した、とあります。同年、小学校の教科書に偉人ダーウィンが登場したそうです。天皇は現人神ではなくなっていたわけです。同時の人たちは、いまわれわれが思い描く以上に、強く、俐発だったのでしょう。
100年前の旅人による世界の写真と文。日本編がすばらしく美しい。
100年前を特集した書によれば、当時の日本は列強に伍す勢いを示し、国際舞台でも活躍を見せているのですが、海外から眺めれば、やはりまだ極東の、異質な文化をもつ、実に珍しい国でありました。そのギャップがエネルギーを生み、焦りを生んだ、のかもしれません。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年12月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。